ようこそ、むし屋へ    ~深山ほたるの初恋物語編~

羽化

「昆虫の変態をざっくり分けると、シミやイシノミのように幼体から成体までほとんど姿の変わらない無変態、セミやトンボのように卵→幼虫→成虫と変化する不完全変態、そして蝶や甲虫のように卵→幼虫→蛹→成虫と変化する完全変態の三パターンがあります。人間に宿るむしの分類もこれに似ていますが、昆虫にはない亜完全変態という分類があり、喪失目のむしはこの亜完全変態に当たります。亜完全変態は完全変態同様、蛹の形態を経て成虫になりますが、蛹の間に晒された感情により成虫の形態が異なるのです。喪失目の成虫は昆虫の蝶や蛾に姿が似ています。中には毒の鱗粉を振りまく厄介なむしもいます」
 向尸井は、ほたるの前にピンセットを掲げてみせた。

「……ふるふるしてる」
 親指ほどの大きさの蛹は赤黒くトゲトゲしていて、ほたるの父やおじいちゃんが酒の肴に摘むナマコに似ていた。向尸井が人差し指でちょんと蛹の突起に触れると、ビクビクビクっと蛹は全身を細かく震わせる。

「い、生きてる」
「むしですので。この子は羽化直前ですね。この色からして、毒むしになるかどうか微妙な線ですねぇ。万が一、毒を持ったまま体内で羽化したら恐ろしいことになっていたかもしれません」

「恐ろしいこと……」
 ごくり、とほたるは唾を飲んだ。

「ここで羽化させましょう」
 向尸井は、赤黒い蛹を年輪テーブルの中央にそっと置いた。

(こんなのが身体の中にいたなんて)
 ぶるっと、鳥肌が立った。

「強い光は羽化の妨げになるため、照明を落とします。羽化の時間は、ほんのひとときです。くれぐれもお忘れなきよう」

 向尸井の声と共に天井の照明が消えた。すると大理石の床から淡くやわらかな光がぽわんと漏れ始める。
 向尸井は、銀製の霧吹きを蛹の上からシュッと吹いた。中から飛び出した金色の粒子が赤黒い蛹に降りかかると、蛹が閃光のように激しく眩く輝きだした。

(ま、眩しい)
 ほたるは思わず目をつぶった。その時「よ」と、聞き覚えのある声がした。

「え」
 細目を開くと、白い人影のようなものが見える。

「ほたる、だよな?」
 まさか、とほたるは信じられなかった。そんな、まさか。

 白い空間の中、白かった人影に、徐々に色が現れる。
 まさか。でも。

「篤……」
 それは、あの日、図書館で見たままの、篤の姿だった。
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