溺愛されては困るのです ~伯爵令嬢、麗華の憂鬱~
「た、助けてくれっー」
 今度こそはっきりと聞こえた声に「ヒィ」と息を呑んで縮み上がる。

「い、今の、は――」
 俥夫が「いったん戻りましょう」と、向きを変えようとしたときだった。

 唐突に目の前に黒いなにかが現れた。
「えっ?」

 不意に雲が切れて満月が顔を出し、黒い影が実態を現す。
 形は人のようだが、見開いた目の真っ赤な瞳。裂けているように大きな大きな口。そして――手に持っているのは、男の頭?

「きゃーーー」

 黒い影に押されて、人力車が倒れた。

「お、お嬢様! 逃げてください!」
「ダメよ。ダメ! 皆逃げて!」

 すべて自分が悪いのだ。
「とにかく逃げて、小桃、いいから――そうよ誰か助けを呼んで」
「お嬢様こそ、わ、私が」

 立ちはだかる俥夫の後ろで麗華と小桃が震えていると「ウマソウダ……」と人とは思えぬ声がした。

(今のは?)
「うわっ!」

 黒い影が、俥夫のひとりを軽々と放り投げる。
「お嬢様! 早く逃げて!」
 俥夫が叫ぶ。
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