元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
 一人遅れていた三日月さんが音楽室に入室してきた今では、有朋さんもすっかり緊張が解けて、いつも通りの負けん気の強さが顔に溢れています。

「じゃあ、始めようか。初、君がジャッジだ。頼んだよ」
「オーライ、まかせとけ」

 今回の勝負のアドバイザーの下弦さんが進行役も務めるようで、ジャッジ役の三日月さんを正面よりやや右側の椅子に促しました。

「な、な、これじゃ弾いてるとこ見えなくね?」

 三日月さんが不平を鳴らせば、少し小ばかにしたように下弦さんが肩を竦めます。

「ピアノの音は、ここが一番よく聴こえるんだ。初はジャッジなんだから今日は寝ずにちゃんと聴けよ」

 その言葉に、私と有朋さん以外の全員が頷きました。本当に三日月さんは芸術関連には興味がないのですね。納得です。

「有朋雫。モーツァルト、きらきら星変奏曲」

 下弦さんの紹介に合わせて、ピアノ椅子の前に立った有朋さんがお辞儀をしました。ああ、少しばかり念入りに頭を下げすぎです。淑女のお辞儀というものは深くすればいいというものではありません。丁寧さと上品さの匙加減というものは紙一重なのです。
 これは次の対決までに一度マナーの見直しもしないといけませんね。そんなことを考えているうちに、椅子の調整が決まったようです。

 ふう。と一息ついたその次の瞬間、最初の小節が響きました。
 おなじみのきらきら星の音色のあと、明るく、はじけるような音色が追いかけっこをするように流れていきます。可愛らしいのだけれども、思いのほか元気なその様は、まるで有朋さんそのものといったようでした。

 あまり長すぎると三日月さんが飽きるから、とのアドバイスによって抜粋といった形で6分ほどにまとめられたきらきら星変奏曲でしたが、なかなか上手に弾けたのではないでしょうか。三日月さんも、しっかりと起きて聴いていられました。
 なにか言いたげにしている望月さんの姿が視界に入りましたが、それを無視して下弦さんはそのまま蝶湖様の紹介に入ります。

「月詠蝶湖。ドビッシュー、月の光」

 穏やかに、優しく、そして愛おしむように、ゆっくりと奏でられるその曲は、まさしく夜のしじまを縫うように、降り落ちてくるそんな美しい月の光。
 そんないくつもの零れ落ちた光がやがて集まり、一筋のスポットライトのようになって蝶湖様を照らし出します。
 まるで月の光、そのもの。そんな美しい演奏でした。
 最後の一音を響かせ終わり、立ち上がりながら悠然と微笑み弛む、その視線が絡み合います。
 
 ――――あなたのために弾くことにするわ。

 そうおっしゃられた時の動揺に再び襲われました。
 私のために弾いてくださったのですか? この美しい曲を? 嬉しい。恥ずかしい……、でも、嬉しい。
 あの時の火照が、胸の奥にまでじわりじわりと火を灯します。暖かいのに、苦しいこの感情をなんと名付けたらいいのでしょうか。
 そんなとまどう私の目を覚ますかのような拍手が後方から飛んできました。

「もう決まったようだな」

 パチパチパチと両手を叩きながら、望月さんが朗々と言い渡します。

「どう聴いても比べ物にならん。さっさとこの馬鹿げた茶番を終わらせろ」

 望月さんのその言葉に、有朋さんの身が固くなりました。
 確かに、技術もそうですが表現力にいたっても蝶湖様の演奏は段違いの素晴らしさです。そんなことは先程の演奏を聴いた皆さんはわかっているでしょう。
 それでも、その言いようはありません。自分が気に入らないからと言って、真剣にことに取り組んでいる人に対して、馬鹿にするような態度は容認できません。
 蝶湖様も望月さんに対し苦々しい視線を送っています。
 私はその彼の前に向かい立ち、恭しく淑女の礼をいたしました。

「まだ私の演奏が残ってましてよ。よろしくご清聴くださいませ」

 私の言葉に虚を突かれた望月さんが黙ってしまった隙に、グランドピアノへと進み寄ります。軽く礼をし、椅子の調節をさっと済ませてから、下弦さんへ合図をしました。
 さあ、はじめましょう。

「……っ、天道うらら、あっ……曲は?」

 そうでした。はじめは皆さんが知っている曲を弾こうかと思っていたのですが、中々に決めかねていて、まだ伝えていませんでした。いっそ、それならば――

「春の、春の鳥たちの歌です」

 前世で弾きなれた、そして歌いなれた、恋の歌を弾かせていただきます。

 一羽の春鳥が歌います。
 大きく高らかに歌います。
 私の花嫁はどこですか。
 私はここで待ってます。
 二羽の春鳥が歌います。
 囁くように歌います。
 あなたが愛しい、恋しいと。
 どうぞ一緒に歌いましょう。

 最後の一音をなんとか弾ききった音の余韻に浸る間もなく、ふわん、とした感触に包まれました。ちょ、蝶湖様っ、あの、後ろから抱きしめるのは反則です。

「素敵な曲と歌だったわ、うらら」

 慌てる私を意に介さず、耳元で優しく言葉をかけてくださいますが、本当に恥ずかしいです。
 というか、歌っていましたかー……思わずやってしまいましたね。

「いい歌でした。しかし聞いたことのない言葉でしたが、どこの歌なのでしょうか」

 十六夜さんの言葉に、さらに衝撃の事実を知らされました。
 なんと、前世の言葉(ラクロフィーネ語)で歌っていたようです。これは完全にアウトです。

「えっと……昔聞いた歌なので、……ど、どこの歌でしょうね……ねえ?」

 説明の仕様がありません。ここは笑ってごまかすしかないと、黙って笑顔を振りまきます。
 フィン語? が近いような、などと十六夜さんが言っていますが、いーえ、どうでしょう?

「おいっ!ピアノ勝負だろう?歌は反則だ」

 不意に直球を投げつけられ、場が一瞬で静かになりました。
 皆さん私の不思議な歌に対して妙に好意的な態度でいてくださいましたが、今の意見に関して言えば望月さんのおっしゃることが正論だと思います。

 申し訳ありませんでしたと、引こうとした時、蝶湖様の腕に力が入りました。そういえば抱きしめられたままでした。あああ、なぜこんな状況に慣れてきているのでしょうか、私は。

「満、いい加減にしなさい。今回のジャッジはあなたではないのよ」

 私の耳元で発しているので、それはもう冷たく突き放したような声が響きます。蝶湖様が怒ると、すごく怖いのですね……初めて知りました。

「っ、初! お前はどうなんだ? まさか月詠を選ばないはずないだろ?」

 蝶湖様からのお目玉を受け、慌てて三日月さんへと矛先を変えたようです。いえ、いいのですが少々情けな……いえ。なんでもありません。

「うーん。蝶湖上手かったけどさあ……なんか面白かったから、あっちが勝ちかな」

 知ってる曲だったし。そう付け足して、三日月さんは有朋さんへと指差しされました。
 あらまあ。こういう場合はなんと言いましたでしょうか、逆転満塁ホームラン? 下弦さんのアドバイスが素晴らしく功を奏しました。
 三日月さんのジャッジを聞いた望月さんは、それはもう泣き出しそうなくらいに、くしゃんと顔を歪めました。そうして大きな声で叫んで去って行ったのです。

「初のばかやろー! 裏切者ーっ! お前なんかもう知らねえーっ!!」

 ……お子様?

 バターンッ! と、響くドアの音にため息が重なります。

「あれ?怒らせちゃった」
「怒らせるなよ、面倒くさい」
「ほっときなさい、どうせ二日もしたら忘れます」
「他に友達いないんだから、寂しいのは満のほうだけだよ」

 んー、なんだか有朋さんから聞いていた王子様像と違いますね。彼女はどう思っているのでしょうかと、有朋さんの方を覗き見しました。

「……え、なんか違うし」

 ですよねえ。
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