元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
【閑話】望月満の憂慮
「やあ、満君。息災で何よりだね」
「お久しぶりです。ええ、代り映えもしませんが、何とか」
色とりどりの派手なドレスに化粧と香水とアルコールの入り混じった匂いが鼻につく。こうやって見渡せば、不景気だの好景気だのいちいち細かいこととは、なんら関係のない世界のようだ。
謙遜しないでくれ、などと相も変わないご機嫌取りの言葉が続く中、それを適当に躱しながらつまらないパーティーの時間が流れていくのをただ過ごしていく。
これも付き合いの一環だと、かなり小さい時から連れられてきているので、あしらいも随分と慣れたものだが、退屈なものに変わりはしない。せめていつもの友人たちがいれば少しはマシなのだがと見回せば、会場の隅っこの方で挨拶周りもせずにたらたらと固まりあっていた。
周りに聞こえないように舌打ちをする。お前らは猿か、そう心の中で悪態をつきながらゆっくりと奴らの方へ近づいて行った。
「悪いね、満」
「そう思うなら、さっさと相手をしてこい。お前らがこんなところで遊んでるから俺一人が忙しいだろ」
開口一番、朧が詫び事を言うが、全く悪びれていないのがまた癪に障る。
「そうしたいのも、やまやまなのですが……」
「我らが月の女神様が、アレじゃあねえ。一人ほっとくわけにもいかねえじゃん」
そこには遠目からでもよく見えた、皆から目が離せないと言われるほど不機嫌に佇むアイツの顔があった。
それは、いつもの人を寄せ付けようとしない冷たい面差しではなく、苛立ちを隠すつもりのない見事な仏頂面だ。
はあ。そう溜息がでる。きっと、あれだ。今日の昼の、こいつが始めたお嬢様対決などという余興での出来事だろう。
「いい。俺が見てるから、お前らは行ってこい」
じゃあ頼んだと、肩を竦めながら初たちが散り始めた。あれでもそれなりの家の息子たちだから、それぞれの付き合いというものもある。
普段ならこいつ一人でも、余程の大間抜け相手でない限り、その空気だけで俺たち以外の人間は近寄らせないが、今のこいつではそうもいかないだろう。明らかに、集中力を欠いている。
俺は周りには人を近づけないようにと言い渡し、蝶湖に近づいた。
「いい加減にしろ。お前はこんなところで全てを台無しにする気か?」
流石にこの程度のことでバレるなどとは思っていないが、釘を刺しておくべきだと思い、そっと伝えれば、
「……そんなことある訳ないでしょう。私を誰だと思っているの?」
スッと姿勢を正し、凛とした口調で冷たく言い放つ。今日もトレードマークの蝶の着物を華麗に着付け、どこをとっても完璧な月詠蝶湖だ。だが――俺にとっては違う。
「お前は、……俺の大事な友人だよ」
そう言えば、どこか訝しげに俺を見直す。
「だから俺は、どんなつまらん勝負でも勝つためだったらなんだって手伝ってやる。お前が負けるのだけは嫌だ。悔しいし、腹も立つ。けど、本当に一番ムカつくのは、お前自身が勝つつもりもない勝負をしてるってことだ」
「今日は、ちゃんと、勝ったじゃない……」
「でもあれは、朧が、有朋のためを思って、彼女を負けさせただけだろう?」
俺たち的に言えば、料理なんてあれだけ出来れば十分だ。ただ、それを有朋自身がズルをしたと自覚していたのを朧が感じ取ったから、彼女を反省させるために負けを宣告した。それだけだ。
お前が勝ち取ったわけじゃない。
月詠蝶湖を貶めるな。お前が今まで作り上げてきたんだろ? 湖月の名前を使うことを止めてまで。
「あの娘、天道だってそう思ってるんじゃないのか? きっと違和感を覚えている。お前の本気がどこにあるのか、だから最後、お前を突きは……」
「うるさいっ!」
うるさい、うるさい、うるさい。そう大きな声でわめくこいつを随分久しぶりに見た気がする。
まだ完璧な月詠蝶湖を演じ始める前、湖月でいる時はたまにこんな風に爆発することがあった。いつの間にか俺たちだけの時でも、一切こんな姿を見せることはなくなったというのに……
どれだけお前、彼女に執着してるのかと思うと、少し頭がクラっとした。
しかし、突然の大声に、会場が一瞬で静かになったのはマズい。慌てた不知たちが一斉にこちらへ戻ってくる。その中には、今日は近づいてこなかったから来ていることも知らなかったが、朔の姿も見て取れた。
あーあ、ヤバい。これは相当絞られそうだと頭を抱えるが、そんな俺をよそ目に、蝶湖は仏頂面を更に顰めて、帰る、そう一言だけ口に出しドアへと向かって行ってしまった。朧が気づき追いかけていったから、そっちはいいだろう。
それよりも、この会場の雰囲気だ。あの、月詠蝶湖が、大声でうるさいと連呼したなどと、その理由を聞かれたくもないし、絶対に話せない。だとしたら、俺が泥をかぶるべきなのだろうと、皆に向かい苦笑する。
「すみません、僕が怒らせました。つい昔話に花が咲いて……女性に言ってはいけないことを口走ったようです」
そう言っておけば、適当に脳内補完するだろう。見込み通りくそ爺どもが、満君もまだまだだね、はっはー、とかなんとか言い出し始めて、パーティーの喧騒が戻ってきた。
はーっと息を吐き出せば、やたら冷たい視線で、朔と不知が説明しろと迫ってくるが、無理矢理それをスルーする。
初が、ごくろーさんと、飲み物を渡してくれたので一気に飲み干した。ああ、疲れた。
薄々わかってはいたが、今回のことで確定だ。
湖月は天道うららに惚れている。多分、俺が思っているよりも、ずっと。
初恋? そんなことは知らないが、あんな恰好させられて、歪まないわけないよなあ。なまじ綺麗な女顔で器用にこなすからって、今時無理難題すぎるだろう。最近はまた少し背だって伸び始めたし、心なしか声が低くなってきているのに。
けれど、本当にあと少しのところまできているのだ。
なんとか十五夜の儀式までは、無事に過ごして欲しい。
友人として、切にそう願う。
「お久しぶりです。ええ、代り映えもしませんが、何とか」
色とりどりの派手なドレスに化粧と香水とアルコールの入り混じった匂いが鼻につく。こうやって見渡せば、不景気だの好景気だのいちいち細かいこととは、なんら関係のない世界のようだ。
謙遜しないでくれ、などと相も変わないご機嫌取りの言葉が続く中、それを適当に躱しながらつまらないパーティーの時間が流れていくのをただ過ごしていく。
これも付き合いの一環だと、かなり小さい時から連れられてきているので、あしらいも随分と慣れたものだが、退屈なものに変わりはしない。せめていつもの友人たちがいれば少しはマシなのだがと見回せば、会場の隅っこの方で挨拶周りもせずにたらたらと固まりあっていた。
周りに聞こえないように舌打ちをする。お前らは猿か、そう心の中で悪態をつきながらゆっくりと奴らの方へ近づいて行った。
「悪いね、満」
「そう思うなら、さっさと相手をしてこい。お前らがこんなところで遊んでるから俺一人が忙しいだろ」
開口一番、朧が詫び事を言うが、全く悪びれていないのがまた癪に障る。
「そうしたいのも、やまやまなのですが……」
「我らが月の女神様が、アレじゃあねえ。一人ほっとくわけにもいかねえじゃん」
そこには遠目からでもよく見えた、皆から目が離せないと言われるほど不機嫌に佇むアイツの顔があった。
それは、いつもの人を寄せ付けようとしない冷たい面差しではなく、苛立ちを隠すつもりのない見事な仏頂面だ。
はあ。そう溜息がでる。きっと、あれだ。今日の昼の、こいつが始めたお嬢様対決などという余興での出来事だろう。
「いい。俺が見てるから、お前らは行ってこい」
じゃあ頼んだと、肩を竦めながら初たちが散り始めた。あれでもそれなりの家の息子たちだから、それぞれの付き合いというものもある。
普段ならこいつ一人でも、余程の大間抜け相手でない限り、その空気だけで俺たち以外の人間は近寄らせないが、今のこいつではそうもいかないだろう。明らかに、集中力を欠いている。
俺は周りには人を近づけないようにと言い渡し、蝶湖に近づいた。
「いい加減にしろ。お前はこんなところで全てを台無しにする気か?」
流石にこの程度のことでバレるなどとは思っていないが、釘を刺しておくべきだと思い、そっと伝えれば、
「……そんなことある訳ないでしょう。私を誰だと思っているの?」
スッと姿勢を正し、凛とした口調で冷たく言い放つ。今日もトレードマークの蝶の着物を華麗に着付け、どこをとっても完璧な月詠蝶湖だ。だが――俺にとっては違う。
「お前は、……俺の大事な友人だよ」
そう言えば、どこか訝しげに俺を見直す。
「だから俺は、どんなつまらん勝負でも勝つためだったらなんだって手伝ってやる。お前が負けるのだけは嫌だ。悔しいし、腹も立つ。けど、本当に一番ムカつくのは、お前自身が勝つつもりもない勝負をしてるってことだ」
「今日は、ちゃんと、勝ったじゃない……」
「でもあれは、朧が、有朋のためを思って、彼女を負けさせただけだろう?」
俺たち的に言えば、料理なんてあれだけ出来れば十分だ。ただ、それを有朋自身がズルをしたと自覚していたのを朧が感じ取ったから、彼女を反省させるために負けを宣告した。それだけだ。
お前が勝ち取ったわけじゃない。
月詠蝶湖を貶めるな。お前が今まで作り上げてきたんだろ? 湖月の名前を使うことを止めてまで。
「あの娘、天道だってそう思ってるんじゃないのか? きっと違和感を覚えている。お前の本気がどこにあるのか、だから最後、お前を突きは……」
「うるさいっ!」
うるさい、うるさい、うるさい。そう大きな声でわめくこいつを随分久しぶりに見た気がする。
まだ完璧な月詠蝶湖を演じ始める前、湖月でいる時はたまにこんな風に爆発することがあった。いつの間にか俺たちだけの時でも、一切こんな姿を見せることはなくなったというのに……
どれだけお前、彼女に執着してるのかと思うと、少し頭がクラっとした。
しかし、突然の大声に、会場が一瞬で静かになったのはマズい。慌てた不知たちが一斉にこちらへ戻ってくる。その中には、今日は近づいてこなかったから来ていることも知らなかったが、朔の姿も見て取れた。
あーあ、ヤバい。これは相当絞られそうだと頭を抱えるが、そんな俺をよそ目に、蝶湖は仏頂面を更に顰めて、帰る、そう一言だけ口に出しドアへと向かって行ってしまった。朧が気づき追いかけていったから、そっちはいいだろう。
それよりも、この会場の雰囲気だ。あの、月詠蝶湖が、大声でうるさいと連呼したなどと、その理由を聞かれたくもないし、絶対に話せない。だとしたら、俺が泥をかぶるべきなのだろうと、皆に向かい苦笑する。
「すみません、僕が怒らせました。つい昔話に花が咲いて……女性に言ってはいけないことを口走ったようです」
そう言っておけば、適当に脳内補完するだろう。見込み通りくそ爺どもが、満君もまだまだだね、はっはー、とかなんとか言い出し始めて、パーティーの喧騒が戻ってきた。
はーっと息を吐き出せば、やたら冷たい視線で、朔と不知が説明しろと迫ってくるが、無理矢理それをスルーする。
初が、ごくろーさんと、飲み物を渡してくれたので一気に飲み干した。ああ、疲れた。
薄々わかってはいたが、今回のことで確定だ。
湖月は天道うららに惚れている。多分、俺が思っているよりも、ずっと。
初恋? そんなことは知らないが、あんな恰好させられて、歪まないわけないよなあ。なまじ綺麗な女顔で器用にこなすからって、今時無理難題すぎるだろう。最近はまた少し背だって伸び始めたし、心なしか声が低くなってきているのに。
けれど、本当にあと少しのところまできているのだ。
なんとか十五夜の儀式までは、無事に過ごして欲しい。
友人として、切にそう願う。