元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
一応スタートの合図では、問題なく飛び出された蝶湖様とモーンタイザーでしたが、それでもなんとなく様子がおかしく思えます。
初めて見た時のように緊張してというのではなく、むしろ少し興奮しているのではないでしょうか?スピードはかなり速く、障害を飛び越えていくのですが安定されず、蝶湖様が彼の扱いに随分苦戦しているように見えます。
「なんか、すっごく速くない?」
「でも、おかしいです」
普段の練習を見ているからこそわかります。モーンタイザーも、蝶湖様も、あんなに無理な飛び込み方は絶対にしません。
「あっ!」
カシャンッ!
私が声を出すのと同時に、バーの落ちる音が届きました。
「珍しいね、蝶湖が落とすだなんて」
下弦さんも心配そうに呟きます。
「ええ……」
本当に心配です。でも、けれども……
目線を真っ直ぐに見据え、何かを囁くように蝶湖様の口元が動くのがわかります。あれはきっと、モーンタイザーへ語りかけているのでしょう。少しずつ、彼の興奮が落ち着いていくように見えてきます。
最後のバーを、今日一番の高さで飛び越えて、ゴールを通過すれば、蝶湖様の優しい笑顔がキラキラと光っていました。
「蝶湖さん!」
ゴールしたばかりの蝶湖様へ、思わず駆け寄って声をかければ、苦笑いで応えてくださいます。
「一つ落としてしまったわ」
「十分速かったですから。それより、モーンタイザーはどうしたのですか?」
そう尋ねている間も、蝶湖様も少し気がかりな様子で彼の首筋を労うように撫でています。
「わからないの。ジムカーナはまだ普通だったのだけれど、水を飲ませて休ませてから急に興奮しだして……」
今はもうだいぶ落ち着いてきたようなモーンタイザーが、蝶湖様へ鼻先を押し付けてきました。それに応えるように蝶湖様もぽんぽんと首を軽く叩きます。
興奮した理由はわからないままでしたが、何事もなく本当に良かったです。そう、ホッとしたのもつかの間、三日月さんたちの呼ぶ声が聞こえました。
「この子たちが、モーンタイザーの水桶に何か入れたようだね」
蝶湖様がスタートされてから、いつの間にか居なくなっていた新明さんに押され出てきた方々とは、
「……服部さん? え、どうして?」
何故ここに? いえ、それよりも、何故そんなことをこの方々がしたのでしょうか?
はあーっと、大きな溜め息があちこちで響きました。私以外の皆さんは、彼女たちを見てそれなりに察するところがあったようです。
皆さんの前に出されてなお、何も言葉を発せずにいる彼女たちを、じっと見つめる私たち。シンッとした嫌な空気がまとわりつくようです。
誰も身動きしようとしない中、私の目の前を風が通りました。瞬間、パンッ! という音が一つ、そして後二回引き続き響いたのです。
「何するの?! 痛いじゃないっ!」
赤く腫れた頬をおさえ、服部さんが大きく噛みつく相手は、冷ややかな表情をされ、彼女たちの前に静かに立たれる蝶湖様でした。
「モーンタイザーが怪我をするかもしれないと予測出来なかったのかしら?」
そうです。馬があんなに興奮するようなものを口にさせて、競技をさせるなどありえません。万が一にも、蝶湖様やモーンタイザーが怪我をしてしまったらどうするのでしょうか?
それが、仮にも馬術部の部員の仕業など、あってはならないことです。
蝶湖様だけでなく、この場にいる全員がその危険性をわかっているからこそ、彼女たちの返事を待ちました。
「っ、知らないわよ、そんなこと! 私じゃないわ、この寺脇が、やったのよ!」
「服部様っ!? そんな、水にカフェインを入れなさいといったのは、服部様では……」
「知らない、知らない。望月様っ、私本当に知らないんです!」
目の前の蝶湖様を避け、服部さんが望月さんへと声を張り上げながら近寄り走ると、三日月さんがその前に立ちはだかります。
「女の子に手荒なまねはしたくないけど、ここまでのことをやられたら話は別だ」
見たことのないような鋭い目つきで、突き放すように言い放ちました。
その言葉に縮みあがった服部さんがずりずりと後ろへ後ずさりすれば、止めろと、冷ややかな声がかかります。
「止めろ。もうそんな戯言は見たくも聞きたくもない。さっさと立ち去れ」
望月さんのその声に、がく然とされる服部さんでした。
「そう言う訳だから、君たち、もういいよ。帰りなさい」
望月さんを庇うように立つ新明さんが、無情にもそう言い渡せば、服部さんはギッと目をつり上げ蝶湖様へと振り返りました。
「あなたなんかっ、あなたなんかが、望月様たちに張りついているからっ! なによ、怪我ですって? 望むところ……」
「黙れ! 服部!」
耳をつんざくほどの大声で望月さんが制止されると、ヒィッと声を上げ、その場にへたり込んでしまいました。
ふうっと、小さく息を吐いた蝶湖様が、寺脇さんと呼ばれた方に声をかけ、連れて帰るよう促します。
「行きなさい。そのかわり、二度目はないわ」
そう言い聞かされた取り巻きの方々が、慌てて服部さんを引きずるように立たせて、その場を立ち去りました。
「……なんというか、怖いわね。あれでお嬢様? 鼻で笑うわ」
「まあ、あそこまで酷いのはなかなかいないけど……そこそこある、かな?」
そこそこあるのですか……本当に有朋さんの言う通り、怖いのですね。ブルッと軽く震えを感じてしまうと、目ざとい三日月さんが声をかけてきます。
「ごめんねー、嫌になっちゃった?うららちゃん」
明るく言ってのけますが、あんな風に憧れを超越した的になってしまう事を、好き好んでいないことは一目瞭然です。
だから、精いっぱいの気持ちを込めて伝えます。
「嫌なのは、あの方々がしていることで、皆さんのことは、好きですよ」
にっこりと、笑顔をのせてそう言えば、皆さん一様にホッとした顔をみせてくれました。
一部、苦々しい表情をみせていられますが、あの……蝶湖様、笑って、笑って下さい。
初めて見た時のように緊張してというのではなく、むしろ少し興奮しているのではないでしょうか?スピードはかなり速く、障害を飛び越えていくのですが安定されず、蝶湖様が彼の扱いに随分苦戦しているように見えます。
「なんか、すっごく速くない?」
「でも、おかしいです」
普段の練習を見ているからこそわかります。モーンタイザーも、蝶湖様も、あんなに無理な飛び込み方は絶対にしません。
「あっ!」
カシャンッ!
私が声を出すのと同時に、バーの落ちる音が届きました。
「珍しいね、蝶湖が落とすだなんて」
下弦さんも心配そうに呟きます。
「ええ……」
本当に心配です。でも、けれども……
目線を真っ直ぐに見据え、何かを囁くように蝶湖様の口元が動くのがわかります。あれはきっと、モーンタイザーへ語りかけているのでしょう。少しずつ、彼の興奮が落ち着いていくように見えてきます。
最後のバーを、今日一番の高さで飛び越えて、ゴールを通過すれば、蝶湖様の優しい笑顔がキラキラと光っていました。
「蝶湖さん!」
ゴールしたばかりの蝶湖様へ、思わず駆け寄って声をかければ、苦笑いで応えてくださいます。
「一つ落としてしまったわ」
「十分速かったですから。それより、モーンタイザーはどうしたのですか?」
そう尋ねている間も、蝶湖様も少し気がかりな様子で彼の首筋を労うように撫でています。
「わからないの。ジムカーナはまだ普通だったのだけれど、水を飲ませて休ませてから急に興奮しだして……」
今はもうだいぶ落ち着いてきたようなモーンタイザーが、蝶湖様へ鼻先を押し付けてきました。それに応えるように蝶湖様もぽんぽんと首を軽く叩きます。
興奮した理由はわからないままでしたが、何事もなく本当に良かったです。そう、ホッとしたのもつかの間、三日月さんたちの呼ぶ声が聞こえました。
「この子たちが、モーンタイザーの水桶に何か入れたようだね」
蝶湖様がスタートされてから、いつの間にか居なくなっていた新明さんに押され出てきた方々とは、
「……服部さん? え、どうして?」
何故ここに? いえ、それよりも、何故そんなことをこの方々がしたのでしょうか?
はあーっと、大きな溜め息があちこちで響きました。私以外の皆さんは、彼女たちを見てそれなりに察するところがあったようです。
皆さんの前に出されてなお、何も言葉を発せずにいる彼女たちを、じっと見つめる私たち。シンッとした嫌な空気がまとわりつくようです。
誰も身動きしようとしない中、私の目の前を風が通りました。瞬間、パンッ! という音が一つ、そして後二回引き続き響いたのです。
「何するの?! 痛いじゃないっ!」
赤く腫れた頬をおさえ、服部さんが大きく噛みつく相手は、冷ややかな表情をされ、彼女たちの前に静かに立たれる蝶湖様でした。
「モーンタイザーが怪我をするかもしれないと予測出来なかったのかしら?」
そうです。馬があんなに興奮するようなものを口にさせて、競技をさせるなどありえません。万が一にも、蝶湖様やモーンタイザーが怪我をしてしまったらどうするのでしょうか?
それが、仮にも馬術部の部員の仕業など、あってはならないことです。
蝶湖様だけでなく、この場にいる全員がその危険性をわかっているからこそ、彼女たちの返事を待ちました。
「っ、知らないわよ、そんなこと! 私じゃないわ、この寺脇が、やったのよ!」
「服部様っ!? そんな、水にカフェインを入れなさいといったのは、服部様では……」
「知らない、知らない。望月様っ、私本当に知らないんです!」
目の前の蝶湖様を避け、服部さんが望月さんへと声を張り上げながら近寄り走ると、三日月さんがその前に立ちはだかります。
「女の子に手荒なまねはしたくないけど、ここまでのことをやられたら話は別だ」
見たことのないような鋭い目つきで、突き放すように言い放ちました。
その言葉に縮みあがった服部さんがずりずりと後ろへ後ずさりすれば、止めろと、冷ややかな声がかかります。
「止めろ。もうそんな戯言は見たくも聞きたくもない。さっさと立ち去れ」
望月さんのその声に、がく然とされる服部さんでした。
「そう言う訳だから、君たち、もういいよ。帰りなさい」
望月さんを庇うように立つ新明さんが、無情にもそう言い渡せば、服部さんはギッと目をつり上げ蝶湖様へと振り返りました。
「あなたなんかっ、あなたなんかが、望月様たちに張りついているからっ! なによ、怪我ですって? 望むところ……」
「黙れ! 服部!」
耳をつんざくほどの大声で望月さんが制止されると、ヒィッと声を上げ、その場にへたり込んでしまいました。
ふうっと、小さく息を吐いた蝶湖様が、寺脇さんと呼ばれた方に声をかけ、連れて帰るよう促します。
「行きなさい。そのかわり、二度目はないわ」
そう言い聞かされた取り巻きの方々が、慌てて服部さんを引きずるように立たせて、その場を立ち去りました。
「……なんというか、怖いわね。あれでお嬢様? 鼻で笑うわ」
「まあ、あそこまで酷いのはなかなかいないけど……そこそこある、かな?」
そこそこあるのですか……本当に有朋さんの言う通り、怖いのですね。ブルッと軽く震えを感じてしまうと、目ざとい三日月さんが声をかけてきます。
「ごめんねー、嫌になっちゃった?うららちゃん」
明るく言ってのけますが、あんな風に憧れを超越した的になってしまう事を、好き好んでいないことは一目瞭然です。
だから、精いっぱいの気持ちを込めて伝えます。
「嫌なのは、あの方々がしていることで、皆さんのことは、好きですよ」
にっこりと、笑顔をのせてそう言えば、皆さん一様にホッとした顔をみせてくれました。
一部、苦々しい表情をみせていられますが、あの……蝶湖様、笑って、笑って下さい。