元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
踊れないお嬢様
「ダンスにとって一番大事なのは姿勢です」
にっこりと笑ってそう言えば、有朋さんが何故か口元をひきつらせました。
「あ、あのね、うらら?」
「はい、有朋さん。何でしょう?」
「えーと、これ何時までやってればいいのよ、ちょっとぉ!」
新明さんが約束通り提供して下さったダンススタジオで、有朋さんと一緒に早速レッスンを開始したのですが、なかなかに文句が多く出されます。
取りあえずダンスの先生に師事するところまでは、まだまだ全然いけてないということで、まずは私が姿勢を教えるところから始めたのです。
「まだ、ただ立っているだけじゃないですか」
「いや、立ってるだけで二時間とか、何の修業よっ?!」
いいえ、まだ一時間半です。
「まあまあ、確かに姿勢は大事だよ」
うんうんと、下弦さんが頷きます。そうですよね。
ところで、何故下弦さんがここにいらっしゃるのでしょうか? 私の目線に気がついたのか、手を挙げて自分から切り出されました。
「ダンスレッスンにはパートナーが必要だろ?」
「ええ、確かにそうですけれど、大丈夫ですか?」
アドバイザーの方以外が手を出すことに対してのルール違反には随分うるさく言われそうな気がします。
「ちゃんと朔くんには了解を取ってきたからね、大丈夫」
「よく許して貰えましたね」
「貸しを返して貰ったから」
少し驚きましたが、悪戯そうな顔をして言われましたので、それ以上は聞かないことにしましょう。
「じゃあさ、朧くんも、やんなさいよ。このっ、レッスン、をっ!」
「あ、下弦さんの姿勢はしっかりとなさっていますので、必要ありませんよ」
「ええーっ?!」
体の方はだいぶ疲れてきてらっしゃるようですが、口の方が達者なので後三十分は大丈夫ですよ。ファイト! と応援しながら、ダメ出しも伝えていきました。
「鬼だわ」
「どこに、ですか?」
「いや、あんたのことよ。うらら」
なるほど。前世ではダンスを始めたばかりの幼少期の子どもがするレッスンなので、当たり前のこととしてやってもらっているのですが、そんなに大変なのですね。なかなか教える立場になると難しいのです。
「あ、有朋さん。テーブルに突っ伏してはダメですよ」
休憩時間ですが、姿勢は崩してはいけません。スタジオ隅に設えられたティーコーナーでお茶を淹れついでに、マナーも一緒に教えてしまいましょうと口を出しました。
ガバッと起き上がり、ぷるぷると震えだした有朋さんですが、なんとか踏みとどまられたようです。
「ふっ、わかってる。わかってるわよ」
「ティーカップは両手で持たないようにしましょうね」
「……っ、うるさぁーい!」
更に追い討ちをかけてしまったようで、今度こそ有朋さんの堪忍袋の緒が切れてしまいました。
「今日は、もう帰る!」
ガタンと椅子を勢いよく鳴らし、足をふらつかせながらダンススタジオのドアを出て行ってしまいます。
「有朋さん……」
初めて教えるという立場に立って、妙に張り切りすぎてしまったのか、とうとう有朋さんを怒らせてしまいました。下弦さんが、「任せといて」と一言残し、有朋さんの後を追います。
一人残されたスタジオの隅でため息を吐きながら片付けをしていれば、ドアの方から、誰かの気配を感じました。
「蝶湖さん……」
「あら、うららだけ?」
差し入れを持ってきたのだけれど。そうおっしゃいながら、お菓子の箱を軽く掲げてくださる蝶湖様の姿を見た瞬間、思わず涙がこぼれてしまいました。
「少し、急ぎ過ぎた? 慌ててしまったのかしら」
みっともなく泣いてしまった私を、ゆっくりとなだめながら蝶湖様が話を聞いて下さいました。
「……そうかもしれません。あと、」
「あと?」
「お恥ずかしながら、仲のいいお友達ができたのが初めてですので……つい、図々しくなってしまったのかもしれません」
自分が教えられることがあるのが嬉しくて、有朋さんの気持ちも考えずに押し付けてしまったのです。
なんだかとても自分自身が傲慢な気がして、本当に有朋さんに申し訳ない気持ちで一杯になりました。そんな自己嫌悪に浸る私の髪を撫でながら、蝶湖様が少し拗ねたような口調でおっしゃいます。
「ねえ、うららの初めての仲のいいお友達は、私ではないの?」
「え……?」
「私の方が、先にお友達になったのに……ズルいわ」
いえ、その……確かにそうです。そうなのですけれど……
お友達になってね、と蝶湖様に伝えていただき、はい、とお答えしました。何故かお嬢様対決などをすることになってしまいましたが、切磋琢磨しあい、初めの頃よりもどんどんと距離も縮まっています。
第一、こうして私のダメなところをさらけ出し、それを慰めていただくなど、仲のいい方でなければとてもではないけれど、恥ずかしくていたたまれません。
それなのに、どうしてか、お友達と言い切るには……
そんな、もやもやとした気持ちで蝶湖様の姿を見つめれば、今日は長い髪を一つにまとめ、とてもすっきりしたシンプルなパンツ姿でいらっしゃっていました。
普段の制服姿しか知りませんでしたから、思っても見なかった姿に、顔が赤らんでしまいます。
頬を染めた私の顔を、じっと覗き込む蝶湖様の視線が少々痛いです。なんとかそれを振り切って、正直な気持ちを伝えます。
「あのっ、初めての友達とか、そんなの関係なく、私は蝶湖さんのことが大好きですから!」
それは、間違いありません。その言葉を口にした途端、蝶湖様の顔がぱぁっと明るくなり、見たこともないほどの蕩けるような笑顔で、「うらら、私もよ」そうおっしゃいました。
その顔がとても素敵で、なんだか急に落ち着かなくなり、不意にここから逃げ出したくなりました。もう一度、うららと呼ぶ声に、戸惑いながら顔を上げれば、すぐ目の前に蝶湖様の顔が近づいたのに慌てて目をぎゅっとつむってしまった、ところで――
「うららー、ゴメン! ほんっと、ゴメン!」
「有朋さん?!」
バタンと大きく音を立てドアから飛び込んできた有朋さんが、そのままの勢いで私に飛びついて来られました。
「もう二度と文句言わないから、レッスンしてちょうだい。今度はちゃんと頑張るから!」
少し涙ぐみながら、そう言ってきてくれた有朋さんに、私もほろりとしてしまいます。私こそ、言い過ぎましたと二人で謝り、今度こそ一緒に頑張りましょうと誓い合いました。
「やっ、だからさ、ゴメン! 早く仲直りさせようと思っただけで、邪魔するつもりは全然なかったって! 怒るなっ」
抱き合って友情を確かめ合う私たちの後ろで、何だか不毛な言い争いが起こっているようですが、意味はさっぱりわかりませんでした。
にっこりと笑ってそう言えば、有朋さんが何故か口元をひきつらせました。
「あ、あのね、うらら?」
「はい、有朋さん。何でしょう?」
「えーと、これ何時までやってればいいのよ、ちょっとぉ!」
新明さんが約束通り提供して下さったダンススタジオで、有朋さんと一緒に早速レッスンを開始したのですが、なかなかに文句が多く出されます。
取りあえずダンスの先生に師事するところまでは、まだまだ全然いけてないということで、まずは私が姿勢を教えるところから始めたのです。
「まだ、ただ立っているだけじゃないですか」
「いや、立ってるだけで二時間とか、何の修業よっ?!」
いいえ、まだ一時間半です。
「まあまあ、確かに姿勢は大事だよ」
うんうんと、下弦さんが頷きます。そうですよね。
ところで、何故下弦さんがここにいらっしゃるのでしょうか? 私の目線に気がついたのか、手を挙げて自分から切り出されました。
「ダンスレッスンにはパートナーが必要だろ?」
「ええ、確かにそうですけれど、大丈夫ですか?」
アドバイザーの方以外が手を出すことに対してのルール違反には随分うるさく言われそうな気がします。
「ちゃんと朔くんには了解を取ってきたからね、大丈夫」
「よく許して貰えましたね」
「貸しを返して貰ったから」
少し驚きましたが、悪戯そうな顔をして言われましたので、それ以上は聞かないことにしましょう。
「じゃあさ、朧くんも、やんなさいよ。このっ、レッスン、をっ!」
「あ、下弦さんの姿勢はしっかりとなさっていますので、必要ありませんよ」
「ええーっ?!」
体の方はだいぶ疲れてきてらっしゃるようですが、口の方が達者なので後三十分は大丈夫ですよ。ファイト! と応援しながら、ダメ出しも伝えていきました。
「鬼だわ」
「どこに、ですか?」
「いや、あんたのことよ。うらら」
なるほど。前世ではダンスを始めたばかりの幼少期の子どもがするレッスンなので、当たり前のこととしてやってもらっているのですが、そんなに大変なのですね。なかなか教える立場になると難しいのです。
「あ、有朋さん。テーブルに突っ伏してはダメですよ」
休憩時間ですが、姿勢は崩してはいけません。スタジオ隅に設えられたティーコーナーでお茶を淹れついでに、マナーも一緒に教えてしまいましょうと口を出しました。
ガバッと起き上がり、ぷるぷると震えだした有朋さんですが、なんとか踏みとどまられたようです。
「ふっ、わかってる。わかってるわよ」
「ティーカップは両手で持たないようにしましょうね」
「……っ、うるさぁーい!」
更に追い討ちをかけてしまったようで、今度こそ有朋さんの堪忍袋の緒が切れてしまいました。
「今日は、もう帰る!」
ガタンと椅子を勢いよく鳴らし、足をふらつかせながらダンススタジオのドアを出て行ってしまいます。
「有朋さん……」
初めて教えるという立場に立って、妙に張り切りすぎてしまったのか、とうとう有朋さんを怒らせてしまいました。下弦さんが、「任せといて」と一言残し、有朋さんの後を追います。
一人残されたスタジオの隅でため息を吐きながら片付けをしていれば、ドアの方から、誰かの気配を感じました。
「蝶湖さん……」
「あら、うららだけ?」
差し入れを持ってきたのだけれど。そうおっしゃいながら、お菓子の箱を軽く掲げてくださる蝶湖様の姿を見た瞬間、思わず涙がこぼれてしまいました。
「少し、急ぎ過ぎた? 慌ててしまったのかしら」
みっともなく泣いてしまった私を、ゆっくりとなだめながら蝶湖様が話を聞いて下さいました。
「……そうかもしれません。あと、」
「あと?」
「お恥ずかしながら、仲のいいお友達ができたのが初めてですので……つい、図々しくなってしまったのかもしれません」
自分が教えられることがあるのが嬉しくて、有朋さんの気持ちも考えずに押し付けてしまったのです。
なんだかとても自分自身が傲慢な気がして、本当に有朋さんに申し訳ない気持ちで一杯になりました。そんな自己嫌悪に浸る私の髪を撫でながら、蝶湖様が少し拗ねたような口調でおっしゃいます。
「ねえ、うららの初めての仲のいいお友達は、私ではないの?」
「え……?」
「私の方が、先にお友達になったのに……ズルいわ」
いえ、その……確かにそうです。そうなのですけれど……
お友達になってね、と蝶湖様に伝えていただき、はい、とお答えしました。何故かお嬢様対決などをすることになってしまいましたが、切磋琢磨しあい、初めの頃よりもどんどんと距離も縮まっています。
第一、こうして私のダメなところをさらけ出し、それを慰めていただくなど、仲のいい方でなければとてもではないけれど、恥ずかしくていたたまれません。
それなのに、どうしてか、お友達と言い切るには……
そんな、もやもやとした気持ちで蝶湖様の姿を見つめれば、今日は長い髪を一つにまとめ、とてもすっきりしたシンプルなパンツ姿でいらっしゃっていました。
普段の制服姿しか知りませんでしたから、思っても見なかった姿に、顔が赤らんでしまいます。
頬を染めた私の顔を、じっと覗き込む蝶湖様の視線が少々痛いです。なんとかそれを振り切って、正直な気持ちを伝えます。
「あのっ、初めての友達とか、そんなの関係なく、私は蝶湖さんのことが大好きですから!」
それは、間違いありません。その言葉を口にした途端、蝶湖様の顔がぱぁっと明るくなり、見たこともないほどの蕩けるような笑顔で、「うらら、私もよ」そうおっしゃいました。
その顔がとても素敵で、なんだか急に落ち着かなくなり、不意にここから逃げ出したくなりました。もう一度、うららと呼ぶ声に、戸惑いながら顔を上げれば、すぐ目の前に蝶湖様の顔が近づいたのに慌てて目をぎゅっとつむってしまった、ところで――
「うららー、ゴメン! ほんっと、ゴメン!」
「有朋さん?!」
バタンと大きく音を立てドアから飛び込んできた有朋さんが、そのままの勢いで私に飛びついて来られました。
「もう二度と文句言わないから、レッスンしてちょうだい。今度はちゃんと頑張るから!」
少し涙ぐみながら、そう言ってきてくれた有朋さんに、私もほろりとしてしまいます。私こそ、言い過ぎましたと二人で謝り、今度こそ一緒に頑張りましょうと誓い合いました。
「やっ、だからさ、ゴメン! 早く仲直りさせようと思っただけで、邪魔するつもりは全然なかったって! 怒るなっ」
抱き合って友情を確かめ合う私たちの後ろで、何だか不毛な言い争いが起こっているようですが、意味はさっぱりわかりませんでした。