元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
結局、あれから蝶湖様とダンスを踊るという約束は実現しませんでした。
「朔くんに先手を取られた」
下弦さんが頭を掻きながら、悔しそうに伝えて下さったことには、まず新明さんがあの失言を望月さんへと伝え謝罪をなさったそうです。
「で、満が、知ったのが君たちだけなら、吹聴はしないだろうと言うことで無かったことにしちゃったんだよね」
失態を認めるとはおもわなかったんだよなあ。と、ぼやかれています。それで蝶湖様にストップがかかったのはわかりましたけれども、下弦さんはよろしいのですか?
「ああ、僕は有朋さんのパートナーとして手伝っていいってさ。お許しが出たよ」
確かにパートナーは必要ですからね。
すでに夏休みに入っていますので、朝から練習のため提供されたダンススタジオに来ています。三人で柔軟体操をしながら、下弦さんが事情を話して下さいました。
パートナーを務める気満々の下弦さんは、すっきりとした白いシャツに黒いパンツ姿で登場し、有朋さんといえば目がチカチカするようなショッキングピンクのジャージですが、妙にお似合いだと思うのは気のせいではないでしょう。
私といえば、少し着古した丈の長めな綿ワンピースですが、ダンスの練習ならば大丈夫かと思います。
「え、朧くんだけ? じゃあ、うららのパートナーはどうするの?」
そうですね、今日から一週間は午後一時間ほどダンスの先生が来て下さるということですから、その先生にお願いすればいいのですが……
「……それが、さあ……」
なんとも申し訳なさそうな顔を向けられると同時に、ドアの方から少し固めの声が聞こえました。
「自分が引き受けます」
聞き覚えのある声に、そちらの方向へ顔を向ければ、やはり新明さんですか。こちらは黒いシャツに黒いパンツとミステリアスで、随分と色っぽい格好ですね。
「アドバイザーですから、当然です」
「ふうん。正論だけどさあ……信用できないんですけどー」
有朋さーん、いきなり喧嘩を売るところは治した方がいいと思います。
「別に君に信用してもらおうとは思わないな。ただ、どちらにしてもパートナーは必要でしょう」
前の方は有朋さんへ、後ろの方は私へ向けての言葉です。そうして彼は左手を差し出されましたが、私には素直にそれを取ることは出来ませんでした。
あの掴まれた左手首の痛みは、まだ忘れることは出来ていません。けれども、蝶湖様や望月さんを思ってしでかした事かと思うと、やはりそう簡単に厭うことも出来ないのです。
少し考えたあと、一歩前に出て新明さんに向かい合いました。
「私も、正直今までの新明さんを信用できません。けれども、パートナーとなるのなら信頼は必要だと思うのです。ですから、」
──そのためにも、信用を作り直しませんか?
そう言って、私は右手を差し出します。
新明さんは一瞬だけ眉根をギュッと寄せ、すぐに元通りの冷たい表情に戻り、右手を差し出し直しました。
「少なくとも、パートナーの了承は得たようだね。……努力はしよう」
なんとも素直でない言葉をいただきましたが、本当に大丈夫でしょうかね。少し心配な気もします。
基本中の基本ステップを一通り教え、どうせパートナーがいるのならば、と早速実践です。有朋さんのような猪突猛進型の方は、時間が空くとやる気も削げてしまいますので、そこは様子をみながら教えましょう。
前回の轍は踏みませんよ。
「できるだけ姿勢を気にしながらステップを踏んで下さいね」
「はいはーい」
はい、は一回と言いたいところを、グッと我慢しながら様子を見つめます。まずはステップの完成度よりも、姿勢第一でいきましょう。
三拍子のテンポを叩き、同じステップを何度もなぞるように動いていくと、やはり有朋さんの肩や手が下がってきてしまいます。
「前途多難だね」
隣でチクリと細かい棘を刺すように言われますが、そうでもありませんよ。そう胸を張って答えます。
「下弦さんが、とてもよくサポートしてくださいます。それに、楽しそうでしょう?」
「……勝負なのにかい?」
「だからこそ、です」
賑やかにああだこうだと言い合いながらでも、二人とても楽しそうに練習しています。
この対決は競技ダンスというわけではないのです。ジャッジは目の肥えた望月さんでも、そこは好みと言うものもありますでしょう。
三日月さんの例もありますし、と笑顔で返せば、苦虫を噛みつぶしたような顔で唸られました。
「……君は、本当に自分を不愉快な気分にさせてくれるよ」
あら、そんなつもりもなかったのですが、私の方にもまだわだかまりがあったのでしょうか。これではいつまでたっても信頼関係が築けませんね、少し反省しませんと。
そう考えていると、隣からスッと右手が差し出されました。
「では、少し気分を変える為にも、一度お相手して下さいますか?」
おお、女性へのエスコートは手慣れたものですね。有朋さん曰わく、彼の立ち位置は、とにかく色気担当とのことでしたから、こんなふうにされたら皆さんクラクラするのでしょう。
「はい。では、よろしくお願いします」
その手に私が躊躇なく重ねると、逆に少し戸惑われたような態度を返されます。どうしましたか? と尋ねると、
「いや。君は、自分が何か仕掛けると心配はないのかな? と思って」
仕掛けるといわれましても、流石に前世であったように、剣で斬りつけるような命にかかわるようなことは、この世界ではないでしょう。
「ここで出来ることとなると、せいぜい足をかける程度ですかね。あまり大したことはありませんし、気になりませんよ」
正直に答えます。するとその切れ長の目をまん丸に広げたかと思うと、ぐふっ、と体を大きく曲げて吹き出されました。
「あー……いや、悪い。そうだな、では足をかけることないよう、最大限気をつけることとしよう」
そう言うと、早速ホールドの形をとられました。
心なしか、今までのつっけんどんな態度が若干緩和されたような気がしますが、この短い間に何か心変わりするようなことがあったのでしょうか。不思議ですね。
「ミイラ取りがミイラ……」
後方から、下弦さんの声で何か呟きが聞こえたような気もしますが、とりあえず練習に集中しましょう。
「朔くんに先手を取られた」
下弦さんが頭を掻きながら、悔しそうに伝えて下さったことには、まず新明さんがあの失言を望月さんへと伝え謝罪をなさったそうです。
「で、満が、知ったのが君たちだけなら、吹聴はしないだろうと言うことで無かったことにしちゃったんだよね」
失態を認めるとはおもわなかったんだよなあ。と、ぼやかれています。それで蝶湖様にストップがかかったのはわかりましたけれども、下弦さんはよろしいのですか?
「ああ、僕は有朋さんのパートナーとして手伝っていいってさ。お許しが出たよ」
確かにパートナーは必要ですからね。
すでに夏休みに入っていますので、朝から練習のため提供されたダンススタジオに来ています。三人で柔軟体操をしながら、下弦さんが事情を話して下さいました。
パートナーを務める気満々の下弦さんは、すっきりとした白いシャツに黒いパンツ姿で登場し、有朋さんといえば目がチカチカするようなショッキングピンクのジャージですが、妙にお似合いだと思うのは気のせいではないでしょう。
私といえば、少し着古した丈の長めな綿ワンピースですが、ダンスの練習ならば大丈夫かと思います。
「え、朧くんだけ? じゃあ、うららのパートナーはどうするの?」
そうですね、今日から一週間は午後一時間ほどダンスの先生が来て下さるということですから、その先生にお願いすればいいのですが……
「……それが、さあ……」
なんとも申し訳なさそうな顔を向けられると同時に、ドアの方から少し固めの声が聞こえました。
「自分が引き受けます」
聞き覚えのある声に、そちらの方向へ顔を向ければ、やはり新明さんですか。こちらは黒いシャツに黒いパンツとミステリアスで、随分と色っぽい格好ですね。
「アドバイザーですから、当然です」
「ふうん。正論だけどさあ……信用できないんですけどー」
有朋さーん、いきなり喧嘩を売るところは治した方がいいと思います。
「別に君に信用してもらおうとは思わないな。ただ、どちらにしてもパートナーは必要でしょう」
前の方は有朋さんへ、後ろの方は私へ向けての言葉です。そうして彼は左手を差し出されましたが、私には素直にそれを取ることは出来ませんでした。
あの掴まれた左手首の痛みは、まだ忘れることは出来ていません。けれども、蝶湖様や望月さんを思ってしでかした事かと思うと、やはりそう簡単に厭うことも出来ないのです。
少し考えたあと、一歩前に出て新明さんに向かい合いました。
「私も、正直今までの新明さんを信用できません。けれども、パートナーとなるのなら信頼は必要だと思うのです。ですから、」
──そのためにも、信用を作り直しませんか?
そう言って、私は右手を差し出します。
新明さんは一瞬だけ眉根をギュッと寄せ、すぐに元通りの冷たい表情に戻り、右手を差し出し直しました。
「少なくとも、パートナーの了承は得たようだね。……努力はしよう」
なんとも素直でない言葉をいただきましたが、本当に大丈夫でしょうかね。少し心配な気もします。
基本中の基本ステップを一通り教え、どうせパートナーがいるのならば、と早速実践です。有朋さんのような猪突猛進型の方は、時間が空くとやる気も削げてしまいますので、そこは様子をみながら教えましょう。
前回の轍は踏みませんよ。
「できるだけ姿勢を気にしながらステップを踏んで下さいね」
「はいはーい」
はい、は一回と言いたいところを、グッと我慢しながら様子を見つめます。まずはステップの完成度よりも、姿勢第一でいきましょう。
三拍子のテンポを叩き、同じステップを何度もなぞるように動いていくと、やはり有朋さんの肩や手が下がってきてしまいます。
「前途多難だね」
隣でチクリと細かい棘を刺すように言われますが、そうでもありませんよ。そう胸を張って答えます。
「下弦さんが、とてもよくサポートしてくださいます。それに、楽しそうでしょう?」
「……勝負なのにかい?」
「だからこそ、です」
賑やかにああだこうだと言い合いながらでも、二人とても楽しそうに練習しています。
この対決は競技ダンスというわけではないのです。ジャッジは目の肥えた望月さんでも、そこは好みと言うものもありますでしょう。
三日月さんの例もありますし、と笑顔で返せば、苦虫を噛みつぶしたような顔で唸られました。
「……君は、本当に自分を不愉快な気分にさせてくれるよ」
あら、そんなつもりもなかったのですが、私の方にもまだわだかまりがあったのでしょうか。これではいつまでたっても信頼関係が築けませんね、少し反省しませんと。
そう考えていると、隣からスッと右手が差し出されました。
「では、少し気分を変える為にも、一度お相手して下さいますか?」
おお、女性へのエスコートは手慣れたものですね。有朋さん曰わく、彼の立ち位置は、とにかく色気担当とのことでしたから、こんなふうにされたら皆さんクラクラするのでしょう。
「はい。では、よろしくお願いします」
その手に私が躊躇なく重ねると、逆に少し戸惑われたような態度を返されます。どうしましたか? と尋ねると、
「いや。君は、自分が何か仕掛けると心配はないのかな? と思って」
仕掛けるといわれましても、流石に前世であったように、剣で斬りつけるような命にかかわるようなことは、この世界ではないでしょう。
「ここで出来ることとなると、せいぜい足をかける程度ですかね。あまり大したことはありませんし、気になりませんよ」
正直に答えます。するとその切れ長の目をまん丸に広げたかと思うと、ぐふっ、と体を大きく曲げて吹き出されました。
「あー……いや、悪い。そうだな、では足をかけることないよう、最大限気をつけることとしよう」
そう言うと、早速ホールドの形をとられました。
心なしか、今までのつっけんどんな態度が若干緩和されたような気がしますが、この短い間に何か心変わりするようなことがあったのでしょうか。不思議ですね。
「ミイラ取りがミイラ……」
後方から、下弦さんの声で何か呟きが聞こえたような気もしますが、とりあえず練習に集中しましょう。