元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
どこをどう歩いてきたのか自分でもわかりませんが、気がついたら家の前でした。
そこで丁度、きららちゃんと、彼女を送って下さった上弦さんのお店のお姉様と、タイミング良く会えたことに驚きます。
どうやら日はまだ降りきってないものの、剣道場から飛び出してから結構な時間が経っていたようです。
なんとも回らない頭で、お礼の言葉を絞り出しました。
「今日は本当にありがとうございました」
「こっちも楽しませてもらったわ」
ねー。と、きららちゃん笑い合う二人を見ながら、いつもなら良かったと思う気持ちも、全く何も沸いてきません。
明日はお店で待っているわね。と帰り際、お姉様が言って下さいましたが、曖昧に微笑みを返すのが精一杯でした。
「お姉ちゃん?」
「ごめんね、きららちゃん。少し頭が痛いの、一人にさせてね」
何かおかしいと思ったのか、心配そうに私に声をかけるきららちゃんに向かい、そう一言だけ告げ、自室へと戻りました。
ベッドの上、布団にくるまりながら私は、ただただ何故? どうしてと? その言葉だけを繰り返します。
夕飯もとらず部屋に籠もる私に、家族も案じてくれているようですが、頭痛がすると押し通しました。
「あの……姉ちゃん。黙ってた訳じゃなくてさ」
一度、はると君がドア越しにそう言って来ましたが、続きを聞こうという気持ちにはなれません。そうして、ふとんの中で耳をギュッと押し付けたまま、いつの間にか意識を手放してしまったのです。
「ほら、行くわよ。うらら」
朝、空っぽの頭を抱えながら重たい体を引きずるようにしてリビングへと降りて行くと、何故かテーブルの真ん中にドンっと座る雫さんを見つけました。
「あ、え……?」
「早く支度しなさい。なんか今日、あんた凄くブサイクよ」
ええ、それは大変自覚していますが。いえ、それよりも何故ここに?
雫さんは、きららちゃんに淹れてもらった紅茶を受け取り、ありがとうと伝えると、直ぐに私の方へ向かいなおります。
「昨日何回も連絡したのに電話でないんだもん。だから、直接来ちゃった」
ふふん。と、サプライズに成功しましたと言うような雫さんの顔と、その横に立ち、うんうんと頷くきららちゃんの顔。
どちらもとても楽しそうです。
「とにかく、早く! 支度! 約束の時間に遅れちゃうわよ」
「え、あの……一体、どこへ?」
「ドレスよ、ドレス! 手直し出来たんだからね。さあ、レッツゴー!」
「えへへ。私も一緒に行っていいって!」
腕を両側から掴まれ、私を挟みながらにこにこと笑い合っています。
き、昨日の今日で、どうやってあの方達と顔を合わせればいいのでしょうか!? 流石に蝶湖様の秘密を、何も知らない雫さんに暴露する訳にもいきませんし、今日のところはこのまま黙ってついていくしかないのでしょう。
凄く、もの凄く、不安しかありません。
「あー……天道さん、大丈夫?」
「……あ、はい。とりあえずは」
本当に、とりあえずですが。
なんとか体裁は取り繕ってきたものの、目の下のくまと腫れぼったい瞼は隠しようがないので、なるべく顔をそらしながら答えます。
当然ですが、付き添ってこられた下弦さんも、昨日の出来事は聞き及んでいるようです。私に対する態度がとてもよそよそしく感じました。何か探るような視線を向けられるのがわかりましたが、敢えて気がつかない振りをして案内されるまま足を進めます。
けれども、先日お邪魔させていただいたのと同じサロンへと通され、並んで飾られたドレスを見ると、あまりの素晴らしさに、先ほどまでの鬱々とした空気がすうっと晴れてくるようです。
「素敵……」
私と同様に、雫さんときららちゃんも、その美しく手直しされたドレスに釘付けになっていました。
胸元と袖口に大きなリボンが新たに付けられましたが、決して派手すぎるというわけではありません。前身頃と袖に飾られたレースは、さらに繊細な薔薇が刺繍されたものに変えられてはいます。
ベースは先日試着したもので間違いありませんが、手直しというレベルではなく、これはもうほとんど新作といっていいものではないでしょうか?
横の雫さんのドレスを見ても、先日のものよりも可愛らしく華やかになっています。
「どう? 気に入ってくれた?」
いつの間にかいらっしゃっていた上弦さんが、にこやかに話しかけてきました。
ドレスに見入ったままの雫さんが、凄い、凄い! 勿論! と何度も頷きます。
「うららちゃんは、どうかな? どこか気になるところ、ある?」
「いえ、とても素敵です。でも、こんなにしていただいて本当によろしかったのでしょうか?」
前世ではドレスを着用するのが当たり前でしたから、これだけ手の掛かったドレスが、どれだけの時間を要するのか見当がつきます。いくら技術的にかなり進んだ世界とはいえ、この短期間でここまで仕上げるのは大変でしたでしょう。
そういった思いをのせてお聞きすれば、さらに笑みを深められます。
「いや、いいインスピレーションを貰ったよ。うちのデザイナーやパタンナーが皆こぞって手伝いたがった」
「そんな」
「ほっとけば、一から作り出すところだったけどね。時間も無いことだし、そこは諦めさせたけど、次はきちんと作らせてもらうから」
安心して。そう言われました。
「なっ、何を言われるのですか!? こんなに凄いドレスは、庶民の私には本来手に届かないものですよ。必要ありません」
慌ててそう断れば、眉を少し上げて困ったような顔をされます。何故そんな表情をされるのかと、不思議に思っていると、つっと私の横につき、こっそりと耳元で囁いたのです。
「昨日はゴメンね。余計なことをしたみたいだ」
……っ。油断していたところを、急に押されたように背中が跳ね上がりました。
わかっています。何がいいたいのかなんて。
上弦さんは下弦さんの従兄弟さんです。そしてファッションブランドを立ち上げているのなら、蝶湖様のお洋服の用意も全てなさっていることは想像できます。
何のことでしょうと、しらをきることも出来ません。
それでも、はい。とも、いいえ、とも伝えることもしたくないのです。
それをしてしまうと、どうしてか今までの蝶湖様を全て捨ててしまうようで怖いのだと――――
なんとか頭の中を整理しないと、と目をギュッと瞑ります。そうして、ゆっくりと目を開けて、上弦さんに相対しました。
「あ……」
「あーっ!!」
え?
「く、く……熊じゃないっ!?」
上弦さんのお顔のヒゲのことを言っているのでしょうね。
……雫さん、今さらですが、少し助かりました。
そこで丁度、きららちゃんと、彼女を送って下さった上弦さんのお店のお姉様と、タイミング良く会えたことに驚きます。
どうやら日はまだ降りきってないものの、剣道場から飛び出してから結構な時間が経っていたようです。
なんとも回らない頭で、お礼の言葉を絞り出しました。
「今日は本当にありがとうございました」
「こっちも楽しませてもらったわ」
ねー。と、きららちゃん笑い合う二人を見ながら、いつもなら良かったと思う気持ちも、全く何も沸いてきません。
明日はお店で待っているわね。と帰り際、お姉様が言って下さいましたが、曖昧に微笑みを返すのが精一杯でした。
「お姉ちゃん?」
「ごめんね、きららちゃん。少し頭が痛いの、一人にさせてね」
何かおかしいと思ったのか、心配そうに私に声をかけるきららちゃんに向かい、そう一言だけ告げ、自室へと戻りました。
ベッドの上、布団にくるまりながら私は、ただただ何故? どうしてと? その言葉だけを繰り返します。
夕飯もとらず部屋に籠もる私に、家族も案じてくれているようですが、頭痛がすると押し通しました。
「あの……姉ちゃん。黙ってた訳じゃなくてさ」
一度、はると君がドア越しにそう言って来ましたが、続きを聞こうという気持ちにはなれません。そうして、ふとんの中で耳をギュッと押し付けたまま、いつの間にか意識を手放してしまったのです。
「ほら、行くわよ。うらら」
朝、空っぽの頭を抱えながら重たい体を引きずるようにしてリビングへと降りて行くと、何故かテーブルの真ん中にドンっと座る雫さんを見つけました。
「あ、え……?」
「早く支度しなさい。なんか今日、あんた凄くブサイクよ」
ええ、それは大変自覚していますが。いえ、それよりも何故ここに?
雫さんは、きららちゃんに淹れてもらった紅茶を受け取り、ありがとうと伝えると、直ぐに私の方へ向かいなおります。
「昨日何回も連絡したのに電話でないんだもん。だから、直接来ちゃった」
ふふん。と、サプライズに成功しましたと言うような雫さんの顔と、その横に立ち、うんうんと頷くきららちゃんの顔。
どちらもとても楽しそうです。
「とにかく、早く! 支度! 約束の時間に遅れちゃうわよ」
「え、あの……一体、どこへ?」
「ドレスよ、ドレス! 手直し出来たんだからね。さあ、レッツゴー!」
「えへへ。私も一緒に行っていいって!」
腕を両側から掴まれ、私を挟みながらにこにこと笑い合っています。
き、昨日の今日で、どうやってあの方達と顔を合わせればいいのでしょうか!? 流石に蝶湖様の秘密を、何も知らない雫さんに暴露する訳にもいきませんし、今日のところはこのまま黙ってついていくしかないのでしょう。
凄く、もの凄く、不安しかありません。
「あー……天道さん、大丈夫?」
「……あ、はい。とりあえずは」
本当に、とりあえずですが。
なんとか体裁は取り繕ってきたものの、目の下のくまと腫れぼったい瞼は隠しようがないので、なるべく顔をそらしながら答えます。
当然ですが、付き添ってこられた下弦さんも、昨日の出来事は聞き及んでいるようです。私に対する態度がとてもよそよそしく感じました。何か探るような視線を向けられるのがわかりましたが、敢えて気がつかない振りをして案内されるまま足を進めます。
けれども、先日お邪魔させていただいたのと同じサロンへと通され、並んで飾られたドレスを見ると、あまりの素晴らしさに、先ほどまでの鬱々とした空気がすうっと晴れてくるようです。
「素敵……」
私と同様に、雫さんときららちゃんも、その美しく手直しされたドレスに釘付けになっていました。
胸元と袖口に大きなリボンが新たに付けられましたが、決して派手すぎるというわけではありません。前身頃と袖に飾られたレースは、さらに繊細な薔薇が刺繍されたものに変えられてはいます。
ベースは先日試着したもので間違いありませんが、手直しというレベルではなく、これはもうほとんど新作といっていいものではないでしょうか?
横の雫さんのドレスを見ても、先日のものよりも可愛らしく華やかになっています。
「どう? 気に入ってくれた?」
いつの間にかいらっしゃっていた上弦さんが、にこやかに話しかけてきました。
ドレスに見入ったままの雫さんが、凄い、凄い! 勿論! と何度も頷きます。
「うららちゃんは、どうかな? どこか気になるところ、ある?」
「いえ、とても素敵です。でも、こんなにしていただいて本当によろしかったのでしょうか?」
前世ではドレスを着用するのが当たり前でしたから、これだけ手の掛かったドレスが、どれだけの時間を要するのか見当がつきます。いくら技術的にかなり進んだ世界とはいえ、この短期間でここまで仕上げるのは大変でしたでしょう。
そういった思いをのせてお聞きすれば、さらに笑みを深められます。
「いや、いいインスピレーションを貰ったよ。うちのデザイナーやパタンナーが皆こぞって手伝いたがった」
「そんな」
「ほっとけば、一から作り出すところだったけどね。時間も無いことだし、そこは諦めさせたけど、次はきちんと作らせてもらうから」
安心して。そう言われました。
「なっ、何を言われるのですか!? こんなに凄いドレスは、庶民の私には本来手に届かないものですよ。必要ありません」
慌ててそう断れば、眉を少し上げて困ったような顔をされます。何故そんな表情をされるのかと、不思議に思っていると、つっと私の横につき、こっそりと耳元で囁いたのです。
「昨日はゴメンね。余計なことをしたみたいだ」
……っ。油断していたところを、急に押されたように背中が跳ね上がりました。
わかっています。何がいいたいのかなんて。
上弦さんは下弦さんの従兄弟さんです。そしてファッションブランドを立ち上げているのなら、蝶湖様のお洋服の用意も全てなさっていることは想像できます。
何のことでしょうと、しらをきることも出来ません。
それでも、はい。とも、いいえ、とも伝えることもしたくないのです。
それをしてしまうと、どうしてか今までの蝶湖様を全て捨ててしまうようで怖いのだと――――
なんとか頭の中を整理しないと、と目をギュッと瞑ります。そうして、ゆっくりと目を開けて、上弦さんに相対しました。
「あ……」
「あーっ!!」
え?
「く、く……熊じゃないっ!?」
上弦さんのお顔のヒゲのことを言っているのでしょうね。
……雫さん、今さらですが、少し助かりました。