元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
重厚な扉が開かれると、それはそれは広いホールが現れました。大きく豪華なシャンデリアが高い天井からいくつも吊り下げられ、昼前の今、灯りは点けられていないものの、開かれた窓から陽光が映りこみ、きらきらと輝きを放っています。
これは、前世の王宮ほどではないものの、私の知っている限りでも、相当家格の高い貴族並みの大広間ですね。
ゆっくりと周りを見回し、その豪奢なつくりを堪能していると、大広間上座の方のドアが開かれました。
音もなく滑らかに開かれたドアから現れたのは――――
「望月さん……その、お姿は?」
「やだっ、推しの、推しの……ヤバい、尊い。鼻血出そうっ!」
目の前に現れた望月さんは、綺麗に髪を撫でつけて、完璧な正装をしていらっしゃいました。
新明さんも下弦さんも呆気にとられて言葉も出なくなっているというのに、雫さんはしゃぎ過ぎです。
いえ、しかしそれは仕方がないでしょう。なんといっても、彼は元々乙女ゲームの中での、雫さんの一押しだったのですから。
昼前ですので、本来ならモーニングコートのところですが、燕尾服を着ていらっしゃっているのは、やはり新明さんたち同様に夜会を想定されているのでしょう。
流石は雫さんが王子と呼ばれるくらいです。新明さんも下弦さんも素敵なのですが、やはり風格というか、洗練さが一段と高いように思われました。カフスに手をやる姿すら様になっています。
望月さんは私たちを一瞥すると、こちらへ足を向けて颯爽と歩いてこられました。そうして雫さんの前に立ち、手を差し出されたのです。
「さあ、始めようか」
「え……?」
「ちょっと待ってよ、満! 君、ジャッジだろう? なんで踊ろうとしてんのさ」
突然の出来事に一瞬皆が固まりましたが、真っ先に下弦さんが望月さんに対して異議を唱えます。それを軽くいなし、言葉を続けました。
「ジャッジするのなら、直接相手をした方が早い」
「しかし、三人ともお前が相手をするというのか、満?」
「今さらだろう。三曲ぶっ通しで踊ったことなんてざらだ」
新明さんの質問にもさらりとかわされます。確かにこのもの慣れた雰囲気なら、望月さんのおっしゃる通りなのでしょう。
四人で顔を見合わせます。
この対決をするということになってから、アドバイザーの新明さんが私のパートナー、下弦さんが雫さんのパートナーとして練習をしてきました。ですからてっきり彼らをパートナーとして対決をするものだとばかり思っていたのです。
「けど、僕らとしか練習してないんだから、いきなりそれはないよ」
「競技用のダンスという訳じゃあるまいし、相手が誰であろうと踊れなければ意味がない。だろう?」
正論を突かれては、下弦さんもそれ以上は言い切れず、悔しそうに唇を噛みしめています。新明さんはそもそも望月さんに反対する気もないようですが、それでも苦々しい顔つきで彼らの言い合いを見ていました。
それにしても、蝶湖様は一体どうしたというのでしょう。
望月さんの燕尾服での登場に驚いてしまったため気が付くのに遅れましたが、今の時点でもなお蝶湖様はこの大広間へいらっしゃっていません。
望月さんへ蝶湖様のことを尋ねようと顔を向けると、何故か背けられました。そうして二択を迫られたのです。
「さあ、踊るのか、棄権するのか、どちらだ?」
その問いに、最初のはしゃいだ一言以外はずっと大人しくしていた雫さんが、意を決したように一歩前に進みます。
「勿論、棄権なんて考えたこともないわ。どうぞお相手よろしくお願いします」
そう言うと、私が彼女へ前世のことを伝えた時に見せたカーテシーを、望月さん相手に見事にして見せたのです。
「ああ、こちらこそお相手願おう」
雫さんの美しいカーテシーに満足したような笑顔を見せ、望月さんがあらためて手を差し出しました。そこに手を重ね、堂々とフロアへとエスコートされ進んでいきます。
互いに手を取りスタンバイが出来るタイミングで音楽が鳴りだすと、それはとても自然に、流れるようなステップでダンスが始まりました。
ゆったりとした音楽に、ふわりふわり、ドレスの裾が美しく波打っています。
「雫さん、とても綺麗ですね」
思わずそう口にすると、至極不機嫌ながらも同意の声が返ってきました。
「悔しいけどね。本当に満はダンスが上手いから」
「当たり前だ。こなしている場数が違う」
ギリリという歯ぎしりの音は、聞こえなかったことにします。ここで私が何を言っても、おそらくはまともに受け取ってもらえないでしょうから。
音楽の終わりとともに、雫さんのステップも静かに鳴らし終わりました。望月さんにエスコートされこちらへ帰ってくる雫さんの、少し上気した頬がとても愛らしいです。
そうして私に近づいた途端、望月さんの手をパッと離し、飛び込んできました。
ド、ドレスが皺になりますよ、雫さん。
「ね、ね、どうだった? 私、今までで一番上手く踊れたの!」
「ええ、とても優雅でしたよ。お上手になりました」
「朧くんも、ちゃんと見てた? どうっ!?」
無邪気に笑う雫さんへ向かい、笑顔を引きつらせながら、うん、綺麗だったよ。と、言わせられる下弦さんに少し同情しました。
「これならどこに出しても十分だろう。それだけでも合格点だな」
望月さんの総評に、とても鼻高々な雫さんですが、合格点とは? その言い方になんとなく違和感を覚えました。
「じゃあ次は、うららの番? って、あれ? 月詠さん……は、まだ?」
ようやく気が付いた雫さんが、周りをきょろきょろと見回しますが、未だに蝶湖様の姿を現して下さいません。
今度こそ、きっちりと話を聞かせていただこうと、望月さんへと顔を向けます。
すると、とんでもないことを口にされました。
「月詠蝶湖はダンスを踊らない。よって、この対決は君らの勝ちだ」
無情にも、そう言い切られたのです。
これは、前世の王宮ほどではないものの、私の知っている限りでも、相当家格の高い貴族並みの大広間ですね。
ゆっくりと周りを見回し、その豪奢なつくりを堪能していると、大広間上座の方のドアが開かれました。
音もなく滑らかに開かれたドアから現れたのは――――
「望月さん……その、お姿は?」
「やだっ、推しの、推しの……ヤバい、尊い。鼻血出そうっ!」
目の前に現れた望月さんは、綺麗に髪を撫でつけて、完璧な正装をしていらっしゃいました。
新明さんも下弦さんも呆気にとられて言葉も出なくなっているというのに、雫さんはしゃぎ過ぎです。
いえ、しかしそれは仕方がないでしょう。なんといっても、彼は元々乙女ゲームの中での、雫さんの一押しだったのですから。
昼前ですので、本来ならモーニングコートのところですが、燕尾服を着ていらっしゃっているのは、やはり新明さんたち同様に夜会を想定されているのでしょう。
流石は雫さんが王子と呼ばれるくらいです。新明さんも下弦さんも素敵なのですが、やはり風格というか、洗練さが一段と高いように思われました。カフスに手をやる姿すら様になっています。
望月さんは私たちを一瞥すると、こちらへ足を向けて颯爽と歩いてこられました。そうして雫さんの前に立ち、手を差し出されたのです。
「さあ、始めようか」
「え……?」
「ちょっと待ってよ、満! 君、ジャッジだろう? なんで踊ろうとしてんのさ」
突然の出来事に一瞬皆が固まりましたが、真っ先に下弦さんが望月さんに対して異議を唱えます。それを軽くいなし、言葉を続けました。
「ジャッジするのなら、直接相手をした方が早い」
「しかし、三人ともお前が相手をするというのか、満?」
「今さらだろう。三曲ぶっ通しで踊ったことなんてざらだ」
新明さんの質問にもさらりとかわされます。確かにこのもの慣れた雰囲気なら、望月さんのおっしゃる通りなのでしょう。
四人で顔を見合わせます。
この対決をするということになってから、アドバイザーの新明さんが私のパートナー、下弦さんが雫さんのパートナーとして練習をしてきました。ですからてっきり彼らをパートナーとして対決をするものだとばかり思っていたのです。
「けど、僕らとしか練習してないんだから、いきなりそれはないよ」
「競技用のダンスという訳じゃあるまいし、相手が誰であろうと踊れなければ意味がない。だろう?」
正論を突かれては、下弦さんもそれ以上は言い切れず、悔しそうに唇を噛みしめています。新明さんはそもそも望月さんに反対する気もないようですが、それでも苦々しい顔つきで彼らの言い合いを見ていました。
それにしても、蝶湖様は一体どうしたというのでしょう。
望月さんの燕尾服での登場に驚いてしまったため気が付くのに遅れましたが、今の時点でもなお蝶湖様はこの大広間へいらっしゃっていません。
望月さんへ蝶湖様のことを尋ねようと顔を向けると、何故か背けられました。そうして二択を迫られたのです。
「さあ、踊るのか、棄権するのか、どちらだ?」
その問いに、最初のはしゃいだ一言以外はずっと大人しくしていた雫さんが、意を決したように一歩前に進みます。
「勿論、棄権なんて考えたこともないわ。どうぞお相手よろしくお願いします」
そう言うと、私が彼女へ前世のことを伝えた時に見せたカーテシーを、望月さん相手に見事にして見せたのです。
「ああ、こちらこそお相手願おう」
雫さんの美しいカーテシーに満足したような笑顔を見せ、望月さんがあらためて手を差し出しました。そこに手を重ね、堂々とフロアへとエスコートされ進んでいきます。
互いに手を取りスタンバイが出来るタイミングで音楽が鳴りだすと、それはとても自然に、流れるようなステップでダンスが始まりました。
ゆったりとした音楽に、ふわりふわり、ドレスの裾が美しく波打っています。
「雫さん、とても綺麗ですね」
思わずそう口にすると、至極不機嫌ながらも同意の声が返ってきました。
「悔しいけどね。本当に満はダンスが上手いから」
「当たり前だ。こなしている場数が違う」
ギリリという歯ぎしりの音は、聞こえなかったことにします。ここで私が何を言っても、おそらくはまともに受け取ってもらえないでしょうから。
音楽の終わりとともに、雫さんのステップも静かに鳴らし終わりました。望月さんにエスコートされこちらへ帰ってくる雫さんの、少し上気した頬がとても愛らしいです。
そうして私に近づいた途端、望月さんの手をパッと離し、飛び込んできました。
ド、ドレスが皺になりますよ、雫さん。
「ね、ね、どうだった? 私、今までで一番上手く踊れたの!」
「ええ、とても優雅でしたよ。お上手になりました」
「朧くんも、ちゃんと見てた? どうっ!?」
無邪気に笑う雫さんへ向かい、笑顔を引きつらせながら、うん、綺麗だったよ。と、言わせられる下弦さんに少し同情しました。
「これならどこに出しても十分だろう。それだけでも合格点だな」
望月さんの総評に、とても鼻高々な雫さんですが、合格点とは? その言い方になんとなく違和感を覚えました。
「じゃあ次は、うららの番? って、あれ? 月詠さん……は、まだ?」
ようやく気が付いた雫さんが、周りをきょろきょろと見回しますが、未だに蝶湖様の姿を現して下さいません。
今度こそ、きっちりと話を聞かせていただこうと、望月さんへと顔を向けます。
すると、とんでもないことを口にされました。
「月詠蝶湖はダンスを踊らない。よって、この対決は君らの勝ちだ」
無情にも、そう言い切られたのです。