元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
 昼過ぎに入ったアロウズの店内でしたが、流石にあれだけフルコースでお手入れをされた後からの支度でしたので、気が付くと全てが完了した時はすでに夕方といっていい時間になっていました。
 私たちの支度が済むと同時に、迎えに来た男性が早速車へと案内して下さいます。大ぶりのドレスに着替えていますので、出来るだけ皺にならないように気を付けなければと思っていると、先ほど迎えに来た車よりも更に広く大きな、リムジンというのでしょうか? そんな車が用意されていたのにとても驚きました。

「少々お時間がかかりますので、お飲み物をご用意しておきました。何か他に御用がございましたら、そちらのボタンを押してください」

 丁寧にそう教えて下さると、すぐにドアから離れようとされたので、思わず声をかけてしまいます。

「あのっ、今から向かう場所というのは、一体どちらになるのでしょうか?」

 私の言葉を聞くと一瞬動作を止められたように見えましたが、すぐに落ち着き払った態度で答えて下さいました。

「先日、おいでになりましたね。本日は、お二人には白百合の間をご用意しておりますので、宴までごゆるりとお待ちくださいませ」

 そう言うと、すっとドアからその体を出して、静かに閉められました。

「やっぱり、あそこか」
「そのようですね。どうみても専用の社交場のようでしたし、周りにもいくつかの離れのようなものも見当たりましたので、もしかしたら宿泊もできるのではないでしょうか」
「うぇええ。やっぱヤバいわ、王子んとこって」

 同感ですね。あれだけの施設を個人所有できるというのがまず凄いのです。その望月さんのお宅と勝るとも劣らないと言われる蝶湖様のお宅も、きっと私の想像以上に凄い名家なのでしょうね。
 そんな雲の上の方に、庶民の私が告白などと、傍から見ればなんという場違いな者と思われても仕方がありません。
 それでも、私は決めたのです。決して後悔しない生き方をするのだと。今世こそ、きっと。

「まあ、とりあえず場所もわかったし、時間も大体わかるか」
「そうですね。どうせなら、この道中すら楽しみましょう」

 楽しんでやりましょうと、ガッツポーズをして見せました。


 披露の宴が行われるという、望月家の社交場へと着いたのは、すでに日が落ちかけ夕暮れが薄闇に変わり始める頃でした。運転席と仕切られたカーテンの向こうから、到着しましたと声がかかり、外側からドアが開けられると、思っていたよりもずっと心地よい空気が頬をなでます。

 一歩、足を踏み出して外に出ると、そこは以前と全く違った様相を呈していました。
 大きな玄関から漏れるシャンデリアの光に、招待されたであろう人、人、人の山。そのすべての方々が、仕立ての良い夜会服にドレスを着ていらっしゃっています。
 そして、何故か私たちの乗ってきた車が正面玄関に横付けされたため、その招待客の皆様方に随分と物珍しそうな目で見られているようでした。

「うわっ、何これ? ヤバい」
「雫さん、お静かに。手を前に揃えて。それから、背筋を伸ばして少しあごを引きましょう」

 私の助言をすぐさま聞き入れ、その上おしとやかな笑みを表情にのせられました。
 素晴らしいです。これならばどこからどう見ても深窓のご令嬢です。先ほどの好奇の視線も、いつの間にか少し違ったものになっていくようです。
 すると、以前お世話になった山梨さんが私たちの前に立ち、いらっしゃいませと挨拶されました。

「有朋様、天道様。白百合の間へご案内いたします。どうぞこちらへ」

 はい、と返事をする前に、何故か周りからどよめきが沸き上がりました。一体なんなのでしょうかとも思いましたが、ここであまりきょろきょろとするのも見栄えがよくありません。
 声の一番大きかった方へ顔を向け、ほんの少しだけ口角を上げ軽い会釈をしてから、山梨さんの後をついていきます。会釈をした方向で、なんとなく見覚えのあるお顔があったような気がしましたが、ここは全く知らない振りを決めて、急いでいるように見えないよう、足を進めることにしました。

「いたわね。服部グループ」

 ああ、やっぱりそうでしたか。あの方たちに驚かれる白百合の間というのはどうなのでしょうかと、どきどきしながら案内されるまま部屋に入ったのですが、なんとなく思っていたのとは違う様子でした。

「ここも凄いんだけどさー……でも、この間の白薔薇の間の方が高そうじゃなかった?」
「ええ。確かにそうですね。あちらの方が、ランクが上だと思います。場所も、広さも、調度品も」
「じゃあ、なんであの人たちあんなに驚いてたのよ。それともここって何かあるの? あー、出る、とか?」

 いえいえいえ、雫さん。その両手首を下げるのは止めましょう。この素晴らしく手入れの行き届いた社交の館で、まさかそんなはずはないと思います。

「ぶふっ!出るって……ぐっぶ……」
「相変わらず君の話は聞くに堪えないね」
「朔くんっ! うるさいよ。彼女はあれでいいんだよ」

 雫さんをたしなめようとしたその時、表のドアではなく、部屋の奥の方から声がかかってきたのです。

「朧くんっ! え、いつ入ってきたの?」
「あー……雫。ようやく会えた。今日もなんて可愛いんだ」

 突然の出現にもビックリしましたが、それ以上に、下弦さんの雫さんしか見えていないご様子に驚きです。いえ、今日の雫さんはいつにもまして可愛いですけれども。近くに寄るなり、ぎゅっと手を握り、にこにこと雫さんのドレス姿を堪能する下弦さんには少し引きますね。
 そんなことよりも、そうです。何故ここに、下弦さん、新明さん、そして笑い転げている三日月さんがいらっしゃるのでしょうか?

「何でここに居るかって顔しているけど、知りたいかい?」
「はい。ドアから入ってきていませんよね?」
「蓮の間とここ白百合の間は奥の隠し扉で繋がっているんだ。詳しい開け方は蓮の間に入ることの出来る自分たちの家のものくらいしか知らない話だが」

 なるほど。でもそうすると、皆様のあの驚き様というのは何故なのかと首を傾げると、その疑問にさらりと三日月さんが答えます。

「だから、ここは俺らの婚約者か、またはその候補者しか通されることはないの。わかる?」
「実際、自分たちの代では今まで誰一人も入れたことは無いしな」
「えっ!? 困ります!」

 そんな……例え本当でないことでも、そんな噂が万が一にでも蝶湖様に届いてしまったらと思うと嫌で嫌で仕方がありません。

「困る、か」
「はい。困ります」
「なら話していけ。君が何者であるのか。洗いざらい、全部をだ。そうしなければ、自分の相手は君だと、この場で周知させよう」

 唐突な要求に、思わず息をのみました。一体この方は何をされたいのでしょうか。わかりません。
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