元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました
「……なにを、」
「はあっ!? 何言ってんのよ、あんた!」

 久しぶりに被せられましたが、大丈夫ですよ、雫さん。自分で言いますからと、手で遮りました。

「新明さん、あなたの提案は聞き入れられません」
「どうして? 嫌なんだろう、自分との噂が立つのは」
「ええ、嫌です。けれども、そんな脅しのような申し入れを受けるのも嫌です。それくらいなら今すぐここを出て行く方を選びます」

 私の言葉に片方の眉を上げ、次のプレッシャーをかけてきます。

「そうすれば、君は蝶湖には会えなくなるな。せっかく満に頼み込んだのに、全てご破算だ」
「わかります。蝶湖さんの控えの間」

 ピクリと新明さんの肩が動きました。多分、あっているはずです。

「白薔薇の間ですよね。ここだって、十分すぎるほど素晴らしい控えの間だと思いますが、白薔薇はそれ以上です。上流のお家ほど、家格を大事になさいますから、蝶湖さんはそこにいらっしゃるはずです」

 それに、以前蝶湖様が連れて行ってくださった薔薇園を思い出します。あの時私へと渡して下さった白薔薇。おそらくですがあの象徴的な場所に咲いていた美しい花こそが、月詠家の花なのだと思いました。

「これ以上無茶をおっしゃるのなら、私も白薔薇の間の前で蝶湖さんが顔を出されるまでずっと待ちます」

 よろしいでしょうかと、強気な態度で新明さんへ向かい立ちました。
 先ほどまでの冷たい空気が、ふっと吐かれた新明さんのため息で少し解れたように思えます。

「本当に君は、理解し難い」

 そう一言呟いた後、私の目をじっと見つめながら、とても重要なお話を告げられたのです。

「今日の十五夜の儀式とは、望月家の嫡男と月詠家の長女の結婚の儀式だ。君も追い出されたくなければ、全てが終わるまでは邪魔だてはしない方がいい」

 息が止まるかと思うほど、本当に、本当に驚いてしまいました。
 まさかの説明に、頭がついていきません。なんとか自分自身で整理をしようと、言葉に出してみました。

「それは、望月さんと、……蝶湖さんの、ということでしょうか?」
「そうだ」
「朔くんっ! 君、それ以上はっ!」

 下弦さんが慌てて制止に入りますが、新明さんはそれをさらりとかわします。

「どうせ今日の招待客は皆知っていることだ。求婚、結婚、別離、そして月に帰るまでが儀式だとな。それが月の使者である月詠家の何百年も続いた使命だよ」

 開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。
 まるでその竹取物語のお話のようなことを、本当に何百年も続けてきたのですか?
 雫さんの方へ振り向き、知っていましたか? と視線で尋ねれば、ぶるんぶるんと大きく首と手を左右に振り回していました。全身で、知らないと答えています。

「有朋くらいの新興では知ることはないだろう。少なくとも百年単位の付き合いがなければ本来ここへは招待されることはない」
「そこまで……」
「その中でも蝶湖が本当は女でないと知っているのはホンの一握りだよ。自分たちの世代なら、いつものメンバーに、清晴さんくらいのものだ」

 それほど徹底されていたということは、この方たちにとって、この儀式とは余程大事なことなのでしょう。ただ……

「異類婚姻譚? 天人女房の一つのバージョンとでも好きなように思えばいい。少なくともそうした伝統の継承で自分たちの家が栄えてきたのは事実だ」

 新明さんが伝統に強くこだわる理由がわかりました。おそらくですが、小さな頃からその伝統を守るものとして強く言い聞かされてきたのでしょう。私が前世で伯爵家の娘として縛られてきた因習と同じように。

 けれども、それは月詠家に犠牲の全てを押し付けているだけです。
 蝶湖様は、そんなことのために、ずっと女性として過ごされてきたのですか?
 沸々とした何かが胸の中に沸き立ってきます。

「ねえ、あのさ、月に帰るってどういうこと? 形だけの結婚と離婚っていうのは、わかるんだけど……」

 どうしても我慢できなかったようで、雫さんが下弦さんの袖を引きながら尋ねます。下弦さんの方も、ここまで話を聞いてしまったのだからと、諦めたように説明をしてくれました。

「文字通り、月詠家に帰るんだよ。そうして、月詠家を継いでいくんだ。元々月詠は女系で、ほとんど男が生まれることがなかったから」
「でも、月詠さん……男の人なんでしょ? どうすんの、それって。戻ったら普通にバレちゃうじゃん!」
「それは……」

 言い淀む下弦さんに、さらにくってかかろうと雫さんが口を開けた時、横から新明さんが告げたのです。

「そのための、留学だ。それをもって、月詠蝶湖は二度と我々の前に現れることはなくなる」
「絶対に、嫌です! 蝶湖さんがいなくなるなんて、嫌っ!」

 自分でも驚くほどの大きな声が出たと思います。三日月さんや下弦さん、おまけに雫さんまでもが目を丸くして私の方を凝視しています。その中でも一人冷静な新明さんが、苦笑いを乗せながら私に向かいました。

「一庶民の君にそんな我が儘を言われても、なんともなることじゃないよ。それとも何か、君はどこかのお姫様とでも言うのかい? 望月や月詠と並んでも見劣りしないほどの」

 見劣りなんかするに決まっています。それでも、私が何者であるのか、それを全てこの場でお話して、理解していただけたなら、少しでも話を聞いていただけるのでしょうか。

 それならば、お教えします。私は――

「私の前世は、ラクロフィーネ王国、オルテガモ伯爵家長女のアンネローザ・オルテガモと申しました。こう見えましても貴族の一員として見劣りはしない程度には、淑女教育を受けてまいりました」

 そう名乗りを上げ、精一杯丁寧にとカーテシーをして見せたのです。
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