元伯爵令嬢は乙女ゲームに参戦しました

求愛のお嬢様

 顔を完全に隠し、蝶湖様の代わりにウエディングドレスを着た新明さんが、大きく放たれた下手の扉から退場しようとしたその時、何故か驚きの歓声が上がりました。

 皆さんの視線を追うようにのぞき込むと、燕尾服に身を包んだ一人の男性がその同じ扉からすれ違うようにして姿を現したのです。
 綺麗にカットされた艶々しい黒髪に、涼しげな瞳が周りを見渡せば、徐々にその喧騒が静まっていきます。

 そしてその男性は、蝶湖様と同じ顔をして、同じ様な気品を纏い、そして全く違う名前で挨拶されました。

「この帰月の儀式を持ちまして、月詠蝶湖は月に帰りました。当主代理、月詠湖月の名において、今後の望月、月詠の両家、及び皆様方の発展を祈り、儀式の納めの言葉と代えさせていただきます」

 そう、美しい声が朗々と儀式の終わりを謳い上げると、一瞬の沈黙の後、割れんばかりの拍手が響き渡りました。
 何が起こっているのかわからない私と雫さんは、周りをきょろきょろと見回します。すると、ああ、あれが嫡男のとか、お帰りになられたなど、皆さん口々に歓迎の言葉を口にされていました。
 全く様子がわからず、この説明が欲しいのですと、三日月さんへ顔を向けると、後の方から大変良く通る声で私の名が呼ばれました。

「うらら!」
「っ……蝶湖さん」

 寄る人波を大雑把にかき分け、私の方に微笑みかけながら近寄ってこられるその方は、紛れもなく私の知っている蝶湖様です。
 けれども、私の知らない蝶湖様でもあるのです。

 燕尾服をきっちりと着こなし周りの大人たちをあしらうこの人は誰ですか?
 若い女性の熱い視線を一斉に浴びるほど美しいあなたは誰なのですか?
 私の方から会いたいと、無理をお願いしてここまで来たというのに、ようやくここで会うことが叶ったというのに、あまりにも変わられてしまったその姿が、何故か急激に怖くなってしまいました。

「会いたかった、うらら」

 私もです。毎日取って貰えることのない電話をかけるほどに、会いたかったのです。
 けれども、どうしてもその一言が口から出てくれません。
 気おくれしてしまい何も言葉がでない私の正面に立ち、蝶湖様は優雅な仕草で燕尾服の胸ポケットに刺さる白薔薇を抜くと、そっと私の髪に飾り入れてくれました。そうしてうっとりとした顔をされ、「とてもよく似合うよ」そう言ってくださったのです。

 周りの人たちがどよめく声が聞こえます。月詠の総領から白薔薇を受け取ったのは誰だ? と、まるで伝言ゲームのように言葉だけが飛び回ります。
 ああ、やはり蝶湖様は月詠の総領だったのですね。こうしてあらためて聞いてしまいますと、その身分違いに身が縮むような思いがします。
 蝶湖様はそんな周りの言葉も意に介さないように、手を差し出されました。

「踊っていただけますか? いつかの約束通り」

 ええ。あの時の約束ですね、覚えています。勿論です。私、男性パートを練習しなければなんて意気込んでいました。けれど本当はそんな必要なかったのですよね。
 ふっと、蝶湖様との思い出が、胸の中を駆け巡ります。

 なかなか返事の出来ない私の様子に、蝶湖様は怪訝な面もちでもう一度名前を呼ばれました。

「うらら?」

 なんと答えればいいのでしょうか。

 湖月さん? きっとその名が正しいのでしょうが、まだ私の中ではあなたは蝶湖様なのです。
 思いがけない方向からの、思いもよらない格好での再会に、酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開くだけで、息が出来なくなりそうでした。
 ですから、

「ごめんなさい!」

 なんとかそう言い捨て、形だけのお辞儀をすると、足早にその場を逃げ出してしまったのです。
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