来世なんていらない
「まつりが五歳になる頃だった。ある日ね、ふとなんか今日は気分がいいなーって日があって。もう典型的な躁うつだったのね。急に活力が湧いたと思ったら一秒後には死にたくなる。そんな精神状態だった」

「うん…」

「その日、気分が良かったからハンバーグを作ったの。自炊なんてそれこそいつぶりか分かんないくらいだった。最後にスライスチーズを乗せて。そしたらさ、その頃に付き合ってた男から会おうって連絡が来て。迷ったんだけど、もうあんたも五歳になるし、ちょっとくらい一人でも平気かって思ったの。たったのニ、三時間ならって。ほんの五歳の子どもに…。それで、これ食べててねって、アニメを観てるあんたの前にハンバーグを出したら、チーズが嫌だって、言ったのよ」

私はチーズが嫌いだ。
ついでにハンバーグも。
食べたいなんて思ったことが無くて、むしろ食べたくない。なんでだろうって思ってた。

「その瞬間にね、プツンッて頭の中で何かが切れて、気付いたらあんたを殴って、ハンバーグもお皿も、まつりが飲んでたジュースのコップもめちゃくちゃになってた」

真翔の部屋で粉々に砕けたグラス。
フラッシュバック。
その頃の記憶だったのかもしれない。

「泣き叫ぶまつりを見てたら後悔が押し寄せて、なんてことしてしまったんだろうって。あいつと同じだって…でもそれよりも怖かったのは、一瞬、スッとした感情があったことに気付いてしまったから…。そしたらもう恐ろしくなって、逃げるようにしてアパートを飛び出した。でも一時間くらいしてもっともっと、とんでもないことをしてしまったと思って、彼氏に謝って戻ってきたの。あんたはめちゃくちゃになった部屋で、ママの毛布を握り締めて眠ってた。頬っぺたに涙の痕が残ってた」

「その日からやめれなくなったの…?」

ママがコクンッて頷いた。

「まつりを叩いた瞬間にスッて気持ちが晴れて、後悔して死にそうになって、もうやめよう、今なら取り返しがつくって何度も思った。でも私に縋ってくる姿とか、無邪気に笑うまつりを見てると、自分の中の汚れや醜さを見透かされてるみたいで恐ろしくて、何度も何度もまつりに手をあげた。戻れなくなった。戻れないならもう、いっそこのままで、まつりのほうから消えてくれればいい…まつりが終わらせてくれって思ってた…」

「ママは…私を捨てられなかったんだね…」

「え…?」

泣いているママを初めて見たかもしれない。
本当は何度も私を殴っては、何度も何度も私の前で泣いていたのかもしれない。

私の中のママの記憶は、鬼の形相だけだった。
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