雪降る夜はあなたに会いたい 【下】
オフィスを出て歩道に出る。雪が降りしきるなかタクシーを捕まえようとするが、こんな天気だからだろうか空車を見つけることができない。じりじりと焦りばかりが募る。
今頃、雪野は苦しんでいないだろうか。大変な状況にはなっていないか――。
いや、大丈夫だ。絶対に、大丈夫。
相反することを交互に思いながら目を走らせるけれど、こんな天気のせいか、いっこうにタクシーは捕まえられない。
もう、
車を捕まえられるまで走った方が早いか――。
コートを乱暴に羽織り歩道を走る。
いつもはアスファルトやビルに覆われた都会も、みるみるうちに雪に覆われて。無我夢中で、その中を走った。足跡一つないどこまでも続く汚れのない雪の白さとは違う。でも、俺の目には、都会の雑踏を静けさに帰す美しい雪景色に見えて。いつの日か雪野から聞いた、雪野の名前の由来。それを、思い出していた。
雪が強くなる中、ようやく病院にたどり着いた。
結局、空車のタクシーは捕まらず、徒歩と慣れない電車でここまで来た。急いで受付へと行き、雪野の元へと駆け付ける。
病室のベッドに横たわる雪野の姿を見た途端、無事に病院へと来ていた雪野に安堵する。安堵したのも束の間、見たこともないほどに顔を歪めている様子に、俺の方が慌てた。
「雪野、大丈夫か?」
「あ……創介さん」
額には少し汗をかいて、何かを堪えるようにベッドのシーツを握りしめていた。
「創介さん、髪も服も、すごく、濡れてます。大丈夫?」
「俺より、おまえだろう? 痛いのか? 辛いのか?」
大きな腹をさすりながら、酷く顔をしかめている。シーツを握り締める血管の浮き出た手の甲が目に入り、その手のひらを取った。そして、俺の両手で握りしめる。
「う、ん。痛い。痛いけど、痛くないと、赤ちゃん産まれないっていうから、だ、いじょぶ――っ」
「お、おいっ」
雪野が、歯を食いしばるようにして身体を丸める。出産は、男では想像もできないほどの痛みを伴うと知識としては知っている。
でも、まさにこれから出産しようという状況を目の当たりにしたことなどない。どうしても、目の前で苦しむ雪野を見れば、ただただ慌てふためいてしまう。どうしてやるのがいいのか分からなくて、とにかく雪野の手を握りしめその背中をさすった。
「痛みが増すほど、赤ちゃんが出て来るのが近付いている証拠なんだって。だから、私が痛がっても、あんまり気にしないで――」
「気にするなって言ってもだな」
男なんてものは、本当に無力で。一人痛みと闘う雪野の前で、右往左往するだけだ。
「どうして欲しい? してほしいこと、何でも言ってくれ」
雪野の手を握りしめながら、もう片方の手で雪野の汗を拭う。
「手を……手を握っていて」
「あ、ああ。ずっとこうしてる」
雪野が眉をしかめながらも微笑もうとする。その顔は、もう既に母のもののような気がした。
それから、数時間。結局俺は何もできず、おろおろと雪野を見守るばかりで。苦しむ雪野の側でただ祈った。
どうか、無事に――。
天国でいるであろう、俺の母親と雪野の父親に、雪野のことを頼んでいた。