雪降る夜はあなたに会いたい 【下】
《幕間》秘書 神原由希乃の苦悩
「――本日の榊常務のご予定です。
午後、先週土曜日に行われました結婚披露宴にご出席された社内役員に、ご挨拶回りをされますので、スケジュールの確認をよろしくお願いします。
奥様も御同行されますので、その点も重ねて配慮していただきますようお願いします」
月曜日の朝、秘書室内で各役員の秘書による申し送り事項を済ませると、すぐに榊常務の部屋へと向かう。
この日の榊常務の出社は午後からだから、少し業務に余裕がある。そんなことを考えながら、役員の部屋が連なるフロアを足早に歩いていた。
「神原さん!」
背後から私の名前を呼ばれて振り向く。
その声の主は、ここ、丸菱グループ関連会社”丸菱テクノロジー”の専務秘書の多賀さんだった。
「何か」
「榊常務、やっぱりさすがよね。うちの取締役の中では末席だけど、披露宴の出席者を聞いただけで全然格が違う。大物国会議員とか? 経団連の会長とか? うちにいたら絶対関わらなそうな人たちよね」
朝からそんな話題。それに、その言い方――。
同じ秘書としてどうかと思う。でも、一方で、仕方がないとも思う。
ここ”丸菱テクノロジー”は、丸菱の関連会社と言っても、かなり小規模の企業と言える。
はっきり言って、関連会社の中でも末端に近い。
そんな会社に、本社の、それも創業家一族で社長のご子息がやって来たら、ざわめかずにもいられないだろう。
心の中でそっと溜息を吐き、言葉を返した。
「榊常務は、そういうお立場の方なので。では、午後、林専務にもご挨拶される予定ですので、その時はまたよろしくお願いします」
多賀さんの話題を膨らますことなく、淡々と答えて立ち去ろうとした。なのに彼女は解放してくれない。
「そうそう。その挨拶回り。今日、榊常務の奥様もいらっしゃるんでしょう? どんな人?」
榊常務の奥様――。
その響きにお門違いの胸の痛みを感じて戸惑う。それを誤魔化すように、目の前の秘書を心の中でたしなめた。
この人、これから仕事じゃないのか――。
今度こそ本当に溜息が出てしまいそうになる。
「私もまだ、直接お会いしたことはないので――。では、失礼します」
今度こそ切り上げ、会釈をする。そして、常務室へと身体を向けた。