雪降る夜はあなたに会いたい 【下】
――榊創介。
この会社にいて、その名前を知らない社員はおそらくいない。代々続く榊家の直系。現社長の長男だ。
その噂は事欠かなかった。
私は秘書課勤務だから、役員でもなかった榊創介とはほとんど面識もない。他人によってもたらされる情報だけが、彼を知るすべてだった。
『苦労知らずのボンボン』
『家柄を背景に、態度が大きい』
『金にものを言わせて遊びまくっていたらしい』
彼の入社当時の噂はそんなものだった。
私の知り合いに榊常務の母校『慶心大付属高校』出身者がいた。
その彼女が言っていた。
『校内で一番権力を持っていて、教師さえも何も言えなくて。成績だけは常にトップだったから、やりたい放題やっていた。遊びも、女も――』
成績トップなのは意外だったが、世間のおぼっちゃまなんて、たいていそんなものだろう。そう思って、大して驚きもしなかった。
でも、入社して一年も経たないうちに、榊創介の噂の内容は変わっていた。
『今年も、榊創介のいる部が、営業成績ナンバーワンで。その契約のほとんどに彼が関わっているらしい』
『想像に反して仕事ぶりが熱心で、誰より仕事している』
『判断の的確さとその速さ。超有能な御曹司』
さすがに日本を代表する大企業丸菱にあって、血縁だからという理由だけで社長の椅子に座れるわけではない。社内にはたくさんの外様役員がいる。
社員、役員すべてを納得させるため、そんなにがむしゃらに働いているのだろうか――?
そんなことを他人事ながらに思ったりもしたけれど、私にとって榊創介は関わりのない遠い人だった。