雪降る夜はあなたに会いたい 【下】
この日、午後に入ってすぐ、榊常務が奥様と出社して来た。
――この方が……?
それは、あまりに私にとって衝撃で。想像していた女性とは似ても似つかなかった。
初めて榊常務の奥様を見て、狼狽えるほどに取り乱している自分がいる。
まさかとも思わなかった。想像もしていなかった。
だって、そうだろう。
私はただの秘書で、相手は丸菱グループの御曹司であり私の上司で。
そんな人を恋愛対象にするはずもない。そんな不毛で生産性のないことをするはずがない。
それなのに、よりによって常務の奥様にお会いして気付くなんて。
「妻の雪野だ。よろしく頼む」
榊常務が、隣に控えめにたたずむ奥様に、優しく視線を寄せながら私に紹介する。
「榊常務の秘書を勤めさせていただいております、神原由希乃と申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
私は慌てて、深くお辞儀をした。
「いつも、主人、がお世話になっております」
”主人"という言葉をまだ言い慣れていないのか、どこかぎこちない。
でも、その笑顔は、ただただ人の良さそうなものだった。
「神原さん、お名前、私と同じなんですね。分からないことばかりですが、いろいろと教えていただけると助かります。どうぞよろしくお願い致します」
その、まったく毒気のない笑顔を見ても、この激しい動揺は収まらない。
それは、私を納得させてくれなかったからだ。
恋心だと気付く前に、私を納得させてくれなかったから――。
目の前に現れた奥様は、本当にいたって普通の、どうということのない、どこにでもいそうな女性だった。