転生モブ令嬢の恩人は悪役令嬢〜婚約破棄からの結婚詐欺を撃退してくれたお義姉様は私が守る!〜
「よくも俺の妹を虐めてくれたな! マユカ! 君がそんな女だったなんて、許せん! 婚約破棄だ!」
からの。
「事情も聞かずに無実の君を断罪してあんなに人のいる場所で婚約破棄をしろと騒ぐなんて――。僕があなたを幸せにします。僕と結婚してください」
と、バルコニーに逃げた私に手を差し出してきたのは、シャラッド・クーラァ。
美形で女性人気が高く、浮名を流す色男の子爵令息。
そんな彼に私が?と驚きながらも、その整った顔立ちと優しい声にふらりと差し出された手に手を載せようとした。
「茶番ですわね」
そこへ現れたのは鮮血の縦巻きロールを揺らした赤いドレスの美女。
悪役令嬢、ジャスミン・コーベンデール。
彼女は閉じた扇をシャラッドへ向けて「先日あなたの婚約者とその男が下品に話しているのを見ましたわ。美しい女性たちをあなたの婚約者に紹介する代わり、あなたを――婚約者を譲るように」と告げる。
シャラッドは狼狽えたけれど、ジャスミンは侯爵令嬢で王太子の婚約者。
そして――私が前世でプレイしていた女性向けアプリゲーム『恋の鐘が鳴る下で』の悪役令嬢。
スマートフォンのアプリゲームだから、手軽にできて何週もしてしまった。
ストーリーは王道の平民が強い魔力を持っていたため子爵家の養子に入り、位の高いイケメン攻略対象たちと恋愛を楽しむ。
ジャスミン・コーベンデールは、悪役令嬢としてすべての攻略対象のルートで邪魔をしてくる。
特にメイン攻略対象の王太子を、ジャスミンは本当に愛していた。
だからこそ王太子と親しくするヒロインを許さない。
苛烈な性格だから、苛烈な嫌がらせをしてくる。
私も正直、前世では大嫌いなキャラだったし、前世の記憶を思い出してからは死んでも関わるものかと思っていた。
けれど、ジャスミンの言葉にシャラッドは「そんなことありませんって」と目を泳がせる。
女の勘で、ジャスミンの言葉が真実だと悟って、その場で婚約の話をお断りした。
するとシャラッドは「君みたい馴染みで華やかさのかけらもない、お金しか取り柄のない女が僕と結婚しないなんて絶対に後悔するからな!?」と叫んで逃げ去る。
ああ、本当に女を見下した金目当ての求婚だったんだ。
その場に崩れ落ちた私に、ジャスミンが歩み寄ってくる。
「男運のない方ね。マユカ・ファロディ様」
そう言われても言い返すことはできない。
だって事実なんだもの。その通りなんだもの。
「わたくしの弟、アミルは体が弱くて養生先を探しておりましたの。新入生歓迎の交流会でこんなことがあったのですから、あなたもしばらくはご実家で療養なさるのでしょう? 弟も連れて行ってくださらない?」
「え……?」
ジャスミンの――いいえ、ジャスミン様のその提案のおかげで、私は領地でアミル様とのんびり過ごすことができた。
アミル様はのほほんとした性格で、穏やかで優しい。
ゲームの攻略対象はジャスミン様とアミルのお兄様なので、アミル様から「僕、ずっとマユカさんとここで暮らしたいなぁ」と肩にもたれかかられて、もうダメだった。
幼い頃に婚約した婚約者に浮気されて、いじめの冤罪を吹っ掛けられ、大勢の前で婚約破棄を突きつけられた挙句弱ったところに結婚詐欺を持ちかけられた私は――アミル様のあたたかな将来を示唆する言葉に涙腺が崩壊した。
しばらくは恋なんてできないと思ったけれど、アミル様と過ごした五ヶ月間でこの人の人となりや優秀さはわかっていたから、アミル様からの婚約の申し入れを受け入れることにしたのだ。
アミル様をお預かりしt、私との相性を探る。
これらすべてが婚約破棄騒動を利用した、ジャスミン様が弟のアミル様を、裕福で療養に最適な我が領地に婿入りさせるための策略だったとしても――。
◆◇◆◇
半年後――。
婚約の手続きも終わり、王立貴族学院の方も私の婚約破棄騒動のほとぼりが冷めた頃だろうとアミル様とともに登校してみる。
すると、学院はすでに別な噂でもちきりになっていた。
平民で破格の魔力を持っている娘が見つかり、ルーン子爵が養子に迎えてこの学院に編入してきたらしい。
……『恋の鐘の鳴る下で』が始まったのだ。
しかし、そのヒロインの行動が貴族社会ではありえないもの。
挨拶も、本人の許しもなしに名前や愛称で呼び、婚約者のいる男性と二人きりになったり体に触れたりする。
特に王太子セイミュール・フィディール様を「セイ様」と甘ったるい声で呼び、目の前にジャスミン様がいるのに腕に抱きつき、怒ったジャスミン様がセイミュール様から離れるように言っても「やだ、こわ~い」とますますセイミュール様にしがみついたらしい。
セイミュール様も「平民出身でまだ貴族の学校に慣れていないのだから、ジャスミンが色々教えてやってくれ。ファフィもわからないことは私の婚約者のジャスミンに聞くといい」とやんわりその修羅場から逃げたそうだ。
その件でファフィ――ヒロインと悪役令嬢ジャスミンの対立は明確なものとなった。
さらに厄介なことに、その時はまだそれほど進んでいなかった攻略は、あっという間に進んだらしい。
クラスメイトは聞いてないことまで教えてくれた。
攻略対象六人と、一人一回デート済み。
アミル様のお兄様とまで……!
「それで、ジャスミン様は?」
「もう、機嫌悪くて近づけないわ」
「昨日食堂で水のぶっかけ合いしたのよ! ルーン様は『制服これしかないのに最低!』ってジャスミン様のことを罵っていたけれど、自業自得じゃない」
「王太子殿下や公爵令息スーミル様、ジャスミン様のお兄様のテッド様や従弟のアルジャン様、数学のニール先生や研究室のマーロウ様にまで声をかけていたのよ!」
ああ、ゲーム通りに攻略を始めたのね。
でも、ゲームよりもジャスミンとの関係性が悪い。
食堂で水のぶっかけ合いなんてゲームになかった。
「わたし、ジャスミン様に復学のご報告に行ってくるわ」
「ああ、ジャスミン様の弟のアミル様と婚約したのよね」
「アミル様もカッコいいわよねぇ! お優しいし! 同級生だけれど病弱で学院ではあまりお見かけしないわよね」
「ええ」
アミル様、冗談ではなく体が弱いのよね。
うちの温泉で半年ほど療養してかなりお元気になったけれど……。
「マユカさん、姉上のところに行くのでしたら僕も行きます」
「アミル様」
手を差し出されて、その手を取る。
赤茶色の髪と優しい紫の瞳。
ああ、こんな素敵な人に出会わせてくれて――ジャスミン様には感謝してもしきれないわ。
「いい加減になさい! 子爵家に養子入りしたのであればあなたも貴族! 貴族には貴族のルールがあります! セイミュール様もこれ以上甘やかしてはいけませんわ!」
「ファフィ、ジャスミンの言うことをしっかりと聞いて立派な淑女になってくれ。私は生徒会の仕事があるからここで失礼するよ」
「セイミュール様!」
ジャスミン様が咎めるように名前を呼ぶが、セイミュール様はそそくさとその場を立ち去る。
ファフィは「フン」と鼻を鳴らしてセイミュール様のうしろについていく。
え、この流れでセイミュール様についていくの?
ヒ、ヒロイン性格悪くない?
驚いてアミル様と目を丸くしていると、ジャスミン様がファフィの肩を掴んで手を上げる。
あ、まっずーーーい!
「姉上!」
「ッ!」
アミル様が咄嗟に声をかけたおかげでジャスミン様は手を下げた。
あ、あっぶねー!
「こほん。……姉上、お久しぶりです。療養より戻りました」
「え、ええ――」
「お久しぶりです、ジャスミン様。アミル様と婚約いたしました、マユカ・ファロディです」
「ええ、お久しぶりです。……場所を変えましょう」
「はい」
ちらりとアミル様が立ち止まったセイミュール様を振り返って、にっこり微笑み会釈する。
療養期間中に聞いたのだけれど、アミル様とセイミュール様はとても仲がいいそう。
なんなら、セイミュール様は婚約者のジャスミン様よりもアミル様と仲がいい。
アミル様のことを、本当の弟のように可愛がっていらっしゃる。
ジャスミン様との婚約も、アミル様が義弟になるから――という部分で了承したらしい。
どんだけアミル様が大好きなのよ……。
「アミル、久しぶりだね。婚約したのかい?」
「はい。セイお義兄様には改めてご報告にあがります。生徒会でお忙しいのでしょう?」
「あ……あ、ああ……そうだね。そうだった。じゃあ、その時を楽しみにしているから」
「はい」
その場から逃げるために生徒会を言い訳に使ったのに、わざわざアミル様に声をかけに戻ってくるセイミュール様。
アミル様に促されて、ものすごく残念そうに……チラチラ振り返り、後ろ髪を引かれまくって去っていく。
どんだけアミル様が好きなの?
ファフィがそんなセイミュール様の腕に抱きつきながら、神妙な面持ちでアミル様を見ながら一緒に生徒会室に行ってしまう。
なんて図々しいのかしら。
生徒会役員でもないのに!
「サロンでよろしいかしら」
「はい、姉上」
ジャスミン様が見ていられないとばかりに背を向けて、カツカツ早歩きでサロンの方に向かう。
取り巻きの女生徒も一緒に来ようとしたけれど、ジャスミン様が目配せすると全員が頷いて散っていった。
あれは情報収集の合図ね。
セイミュール様や他の攻略対象とファフィがなにをしているのか、調べさせているのだ。
「先程の女生徒が噂の方ですか」
「知っていたの」
「もうすでにかなり噂になっております。久しぶりに登校してきたら、最初に教わったのがこの噂です。手を焼いておられるようですね」
「ええ。何度言っても聞く耳を持ちません。殿下も甘やかして、腕まで組ませて……!」
サロンに入るなり、ジャスミン様は肩を震わせる。
それだけではなく、お二人のお兄様のテッド様にまでベタベタしているというのも気に入らないのだそうだ。
いや、それは普通にキモいでしょう。
自分の婚約者だけじゃなく実兄にまで色目を使われたら。
嫌悪感と生理的なレベルで発症する。
「それなのに――殿下は……いくら、政略結婚とはいえ、わたくしの気持ちをご存知のはずなのに……」
そう言って、悔しそうに声を詰まらせたジャスミン様。
私たちに背を向けているのは、涙を堪える顔を見せたくないからなのかと思ったら、床にポタポタと水滴が落ちる。
涙を堪える顔を、ではなく泣いているのを見せないためだったのだ。
気丈なジャスミン様が……私を結婚詐欺から救い、アミル様と出会わせてくれた恩人が泣いている。
よし、ぶっ潰そうあの女。
私は目を細めてアミル様に微笑みかける。
私が内心でブチブチにブチギレているのに気がついたアミル様も、私ににっこりと微笑み返してきた。
よかった。
アミル様も私と同じ意見みたい。
……さてと、それじゃああの頭ゲーム脳のヒロイン様を地獄に落とすためにも――私も前世の知識を活用させてもらおうかしらね。
◆◇◆◇◆
ゲーム中盤の王立祭――王立貴族学院の開校日を祝う社交会。
ここで婚約者がいるセイミュール様はジャスミンに婚約破棄を突きつけるし、その他の攻略対象もヒロインを虐めたとして悪役令嬢ジャスミンを断罪する。
そして六人の攻略対象を侍らせたファフィが、ニヤニヤ笑いながら大勢の生徒が囲む中、ジャスミン様をそのど真ん中に立たせていた。
ゲームのイベント通りだ。
「ジャスミン、この状況がわかっているかな?」
「いいえ、どういう状況なのでしょうか?」
「……君がファフィを平民出身だからと蔑み、教育とは名ばかりの暴力で彼女を追い詰めていると聞いている。その扇で殴りつけて腕や肩に青痣を作ったところを見せてもらった」
「まあ」
腕ならまだ袖を捲ればわかるけれど、肩!?
セイミュール様の言葉に、会場内がざわめく。
みんなその言葉に隠された意味を深読みして、セイミュール様とファフィの仲を勘ぐる。
実際は肩を出したドレスを観劇デートの時に着てきたヒロインに、ジャスミンにやられた、と聞いて攻略対象が激怒する……というものであって別に変な事情はまったくない。
現に会場内でも肩出しドレスを着ている令嬢は半分以上。
ファフィも、ピンク色のいかにもなヒロインドレスを着て攻略対象たちに囲まれているじゃないか。
なお、その肩にはこれみよがしに布が貼られている。
「わたくしがやった証拠があるのでしょうか?」
「君の扇と形が一緒だった。オーダーメイドだろう?」
「ええ。しかし型は一般的な物から選びましたわ。わたくしと同じサイズの扇を持っていれば誰にでもできます」
「なるほど。と、ああ言っているけれど、ファフィ」
「ジャスミン様に殴られましたぁ」
しくしく、と先程までニヤニヤしていたくせに、セイミュール様に話を振られると涙をこぼした。
マジかよ、あの女……嘘泣き上手すぎるでしょ。こわ。
「茶番ですわね」
ふん、と赤い縦巻きロールをブォンと後ろに払うジャスミン様。
きゃー! カッコいー!
「わたくしには王家の影の監視がついております。嫉妬で自分で自分が制御できる気がしなかったので」
「えっ!?」
「王家の影はあなたのことも監視していましたわよ。ねえ? 皆さん?」
「え、え!?」
ジャスミン様が扇を広げると、攻略対象たちが溜息を吐いてファフィから離れていく。
今まで自分の味方だと思っていた六人のうち五人がジャスミン様を守るように立つ。
「すまないな、ファフィ。君はやりすぎてしまった」
「教師として何度も忠告しましたよ」
「僕らが君を可愛がっていたのは、ペットみたいな感じだよ」
「本当に自分の妹を貶めるイベントに、兄である私が加担するわけがないだろう?」
「ショックでした。ファフィさんが本当にジャスミン様を陥れようと平然と嘘を吐くなんて」
「ちょ、ちょっと、待ってよ!? みんな私への好感度は問題ないよね!? 王家の影なんて本当にいるのかわからないじゃない!」
「残念だけれど、王家の影を君とジャスミンにそれぞれつけるように頼んだのは私だ」
「セイ!?」
セイミュール様を勝手に愛称で呼んで、身の程を弁えないファフィ。
ついにセイミュール様まで離れていく。
「なんで!? 前半イベントは完璧だったのに!?」
そうね。
ファフィの攻略は完璧だった。
けれど、同じくストーリーを網羅している私がアミル様の助力を得ながらジャスミン様に手柄を譲り、攻略対象たちの後半イベントをすべてクリアしたのだ。
後半イベントは攻略対象の身辺トラブル――両親の離婚をとめたり、盗賊に苦しめられる領民を助けたり、職員室で巻き起こるいじめを解決したりする。
それらを前世の知識を用いて先回りしたの。
だから友情と恋愛のギリギリにいる攻略対象たちの好感度は友情のまま。
さらにジャスミン様は手柄を譲っているだけでなく、王家の影をつけたことで彼女の貴族矜持が刺激されファフィを過激にいじめたりしていない。
そう! 完全なる無実なのだ!
だからジャスミン様によって引き上げられるはずのファフィへの好感度、同情はナシ!
「ファフィ、君はもう貴族だ。学院に通うようになって一年近い。甘やかすのは終わりだ。これ以上は君を引き取った家に連絡しなければならなくなる」
「そ――そんな……!」
周りの貴族も、攻略対象も、冷たい眼差しをファフィに向ける。
その圧に耐えられなかったのか、舌打ちして会場から出て行くファフィ。
なんとなく、まだ諦めた気配はしないわね。
ま、今からどう頑張ったってイベントは全部終わっているけれどねー。
「セイミュール様もですよ」
「アミルっ、私も悪いと!?」
「姉上に彼女のことを任せるなんて、姉の性格を考えれば衝突は免れないではないですか。それなのにわざと彼女を任せきりにするなんて……姉上と結婚する気がないのかと思いました」
「そんなわけないだろう? 私はいつでも君の義兄になる気満々だよ」
どういう気だよ。
それが満々っていうのもちょっと気持ち悪いよ。
乙女ゲーの世界やぞ、ここ。
いきなりのBL要素やめて。
目覚めさせるつもりか。
「それなら姉のことももっと構ってあげてください。ああ見えて寂しがりやで可愛い人なんですよ」
「え、う、うーん」
「お願いします、お義兄さん」
「し、仕方ないな」
セイミュール殿下のアミル様への甘々っぷりなんなの?
アミル様は「体が弱くてあまり外に遊びに行けない僕を案じて、いつもお見舞いにきてくれたよ」っていう程度の関係性のはずなのだけれど……、
それにしては、アミル様が耳元で囁いただけでデッレデレになっている。
「そうだ、この場を借りて僕の婚約者も紹介しますね。マユカ・ファロディ伯爵令嬢です」
「あ、は、初めまして」
「ああ、君が……アミルは君の領地の温泉地で療養したんだってね。こんなに長く学院に通えるようになって本当によかった。これからもアミルを支えてやってくれ。……結婚後も絶対定期的に会いに来てくれると嬉しい」
アミル様が、ね?
「それは、アマル様の体調次第ですが――アミル様の体調は我が領地ならばきっともっと改善していくと思います」
「はい」
そう言ってアミル様を見ると、にっこり微笑まれた。
無意識に手を繋ぐ。
セイミュール様の隣にジャスミン様が近づいて、嬉しそうに微笑んでくれた。
――この国の未来の姿が垣間見得て、会場は拍手喝采に包まれた。
おわり