仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 菱科さんのことを考えていたら、釣書の存在を思い出す。
 そういえば、未開封の釣書がデスクに置いたままだ。あれを見れば、菱科さんがどんな家柄で育ち、どんな職に就いているかはわかるはず。
 もしかしたら、今回の縁談が持ち上がったヒントもあるかもしれない。
 私はデスクまで移動し、無造作に積み上げていた書類をよけて釣書を見つけ出した。綺麗に封を開けて中身を確認し、絶句する。
「三十三歳……久東百貨店……執行役員、アメリカ東部エリアマネージャー……?」
 彼の職業欄に書かれた文字を見つめ、大きく動揺する。
 確かに父が『久我谷グループの関係者』とは言っていた。だけど、久我谷グループは物産や銀行、不動産など、抱えている業種は多岐にわたる。
 まさかその中で、同じ会社に所属している人だったなんて。それも、執行役員で海外のエリアマネージャーって、すごすぎる。
 茫然としつつ、改めて入社してからのことを思い出してみる。しかし、菱科さんと会った記憶はない。おそらく、菱科さんも初めて会ったときは私の職場については知らなかったはず。
 けど、今日は私の職場をわかった上で来たんだよね……?
「全然わかんない……」
 動機の予想はおろか、経緯のヒントすら遠のく現状に、その夜はまったく寝つけなかった。

 週が明けて月曜日を迎えた。
 私は週末の出来事をどうにか払拭し、職場に向かう。
 本社ビルに入り、エレベーターホールに着いたら社員が数人が待機していた。
 私も後方でエレベーターの到着を待つ。すると、どこからか視線を向けられている気がして、おもむろに顔を上げた。さりげなく周囲を窺うと、反対側に立っている背の高い男性がこちらを向いているとわかった。同時に声を上げる。
「えっ!」
 私の声に、その場にいた人たちが一斉に振り返る。はっとして、両手で口を押さえた。居た堪れなくなり、小声で「すみません」と謝って身体ごと横を向く。
 心音がバクバクうるさい。そうなった理由はひとつ。
 視線の先にいたのが、菱科さんだったから――。
 もう一度、ちゃんと確認したいのに彼の方向を見られない。
 菱科さんが間違いなくそこにいた。
 ……いや。冷静になれば、おかしくはない。ここは本社だし、彼は久東百貨店の執行役員。一時帰国してきたのも、縁談のためというより本社に用事があったのかもしれない。
 それでも突然のことで驚いたのには変わりなく、困惑する。
 そのうち、エレベーターがやってきたのを耳だけで察したものの、私は俯いて動くことができずエレベーターを一本見送った。さっき注目を浴びた手前、同乗しづらかったのもある。
 すると、視界に紳士物の革靴が映り込むと同時に言われた。
「おはよう」
 てっきり今のエレベーターでいなくなったとばかり思っていたから、この場に残っていたとわかってびっくりした。
 そろりと顔を上げる。
「おはようございます。え……と、今日は本社にご用事が?」
 どうにか平静を装うと、菱科さんはなぜか意味深ににっこりと微笑む。
「あ、あの?」
「いや。俺がここにいることに疑問を持っていないということは、釣書を見てくれたんだ
なと思って」
 本当、彼は洞察力に優れている。いよいよ感服の域に達するほどだ。
「はい。アメリカ東部のエリアマネージャーだと……知りました。これまで大変失礼ばか
り、申し訳ありません」
「ああ、ひとつ訂正させて」
「え?」
 彼はそう言ったあと、流れるような所作で名刺を一枚くれた。
「このたび久東百貨店、代表取締役CEOに就任した菱科京です」
「し……っ」
 CEO!? 菱科さんが!?
 ぽかんと口を開けたまま、時間が止まったみたいに動けない。
 いや、それこそそんな恋愛漫画みたいな展開……。だけど、受け取った名刺には間違いなく久東のロゴと【代表取締役CEO 菱科京】と書いてある。
 再び彼を見ると、今度はビジネスライクに握手を求めてきた。
「今後ともよろしく、新名幸さん」
 これは、〝CEOとして〟の挨拶だ。遠慮することも突っぱねることもできない。私の選択肢はひとつ。菱科さんの握手を受け入れ、手を重ねる。
 まだ頭の中の情報整理が追いつかずにいると、彼がなにか思い出したように切り出した。
「ああ、あの話だけど」
「あの話?」
 もう本当に思考回路が正常じゃないから、すぐに反応しきれずつい眉を顰める。
 手を離そうとした矢先、引き寄せられた。さらに近い距離になった菱科さんを仰ぎ見る。
 彼は妖しげに口角を上げ、耳元に唇を寄せたかと思えばビロードのような魅惑的な声でささやいた。
「〝約束〟――なかったことにはさせないよ」
 反射的に触れられていた手を引っ込め、耳を押さえる。
 私の目に映る彼は、なんだか自信満々に見えた。

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