姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
 あれから、さらに数日経って金曜日になった。
 本音を言うと、菱科さんから頻繁に連絡がくるかもと身構えて、ちょっと気にしていた。けれど、連絡先を教えてから実際はまだ一度も連絡がない。どこまでも、私を翻弄する。
 そして、やっぱり別のことに気を取られると仕事が疎かになりがち。今週は『仕事に集中しなきゃ』と何度自分に戒めたことか。
 それを自分に語りかけるということは、散漫になっているということだとわかっていた。
 ――と、こんなふうに考えている時点でまた集中しきれていない。
 軽く頭を振り、作成途中だったメールを勢いで仕上げて送信ボタンを押す。就業時間もあと十分ほどで終わるといったとき、今週やるべきだった仕事はすべて終えて、ほっと息をついた。
 数分後、人の気配を感じて顔を横に向ける。
「新名さん、ちょっといい?」
「はい」
 須田さんが真面目なトーンで声をかけてくるものだから、嫌な予感がした。
 なにかあったかと心当たりを考えてみるも、どれもピンと来ない。
 須田さんは上半身を屈め、私の耳元でささやく。
「あのね……。今、メーカーさん宛のメールが俺に届いたよ」
「え!」
 耳を疑った。今しがた送ったばかりのメールを開いて確認する。宛先は須田さんになっていた。
 信じられないミスに動転し、マウスを忙しなく操作する。
「すっ、すみません! すぐに本来の送信先へ再送します」
 ついに、こんなどうしようもないミスまで! 本当にどうかしてる!
 涙目になりそうになりつつも、どうにか堪えてメッセージを送り直す。
「まあ、相手が俺でよかったよ。次はくれぐれも気をつけて」
「はい! もちろんです。気をつけます。申し訳ありません」
 席を立ち、頭を下げて謝罪する。重ねて握る手に自然と力が入った。
「ま、その件は解決済みってことで。ところで来年の催事の企画案見たよ。二世代、三世代をテーマに商品を揃えたり限定品を用意するっていい方向性だと思う」
「本当ですか!」
 思わず勢いよく顔を上げた。来年行われる全店共通の催事について、コンペによりその企画内容が決められることになっているのだ。
 須田さんは笑顔で続ける。
「流行は巡るものだし、商品を厳選すれば世代を超えて共感を得られるかもね。ひいては広いターゲット層を狙えるし」
「そうなんです! それを目指してみたいなと思って」
「じゃあ、その企画書を作成しつつ、今進行中のクリスマスイベントの準備も同時にやらないとな。ただ、なにごとも根詰めすぎずに」
 軽めに注意を受けて、私は肩を竦める。
「はい。……けど、クリスマスっていいですよねえ。お客様がわくわくしてる雰囲気があって、こっちまで楽しくなっちゃうっていうか」
『クリスマスイベント』のワードに、どうしてもうずうずしてしまって気持ちが溢れ出す。
 クリスマス時期の盛り上がりは百貨店だけじゃないと思う。飲食店も、街全体がキラキラしているイメージ。子どもの頃から抱いているそういった感情は、いまだに変わらない。
「新名さんって、売り場担当の頃から、特にそういうイベントごとではうれしそうな顔して立ってたもんね」
「えっ。私のこと、知っていたんですか?」
 久東百貨店の総従業員数はゆうに一万人を超える。もちろん異動も頻繁にあるし、いまだに知らない人がいるのは普通のこと。かくいう私も、ここへ来てから須田さんを知ったのに。
「まあ、うん。新名さんの接客は一部で有名だったから」
 それって、どういう意味だろう。すごく気になるけれど、『どういうことですか?』ってなんだか聞きづらい。
 須田さんにちらっと目を向けると、にこっと笑顔を返してくれた。
 これはきっと、悪い意味ではなさそうかな……?
 そのとき、部署内の空気が変わった。なにごとかとみんなの視線を辿っていくと、そこには菱科さんの姿があった。
 部長となにやら話をしている。そのあとすぐに、菱科さんは私たちに向かって「お疲れ様です」と話し始めた。どうやら社内を巡回していたのかもしれない。
 菱科さんは私たちを見回し、明るい表情を浮かべて続ける。
「終業間際にすみません。少し社内を見て歩いていました。ここ商品管理本部は、久東百貨店の評判も売上も左右する重要な部署ですです。大変だと思いますが、ぜひ、いろいろとチャレンジしてほしいと思っています」
 菱科さんは社員を前に真剣な眼差しで言うと、微笑んだ。その笑顔からは揺るぎのない気品が感じられる。
「このあと少し部署内を見させていただきますが、私のことは気にせずお願いします」
 さわやかに歯を見せて笑い、菱科さんはゆっくり動き始めた。
 須田さんは遠くの席から順に見て回る菱科さんを横目に小声で話す。
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