姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
約束
 久東(くとう)百貨店――。日本国内だけでなく、海外にも店舗を持つ有名老舗百貨店だ。
 私はそこに大学を卒業して就職し、この春から七年目。さらに、本社商品管理本部の食品・雑貨部門に配属となった。
 そこではマーチャンダイザー、いわゆるMD兼バイヤーとして仕事をしている。
 仕事内容は、市場調査から始まり、店で取り扱う商品の選出から買いつけ、メーカーとの出店取り引き、現場の監督……と多岐にわたる。
 仕事量が多いのもさることながら、売り上げに直結する重要な役目でもあるため、責任重大な仕事だ。だけど私は、この部署に配属されるのを目標に、販売員としてずっと頑張ってきた。
 世界各国を飛び回っているCAの実姉、『來未ちゃん』の影響もあり、海外出張で現地のメーカーと直に関われる商品管理本部に憧れがあったのだ。
 そして今、私がいるここはアメリカのワシントン。同部署にいる先輩と一緒に出張に来ているところ。
 私が商品管理本部に配属されて、もうすぐで半年。二年上の男性先輩である須田(すだ)さんに同行する形で海外出張に来るのは、今回で三回目。
 国内でも取引先へ出向いての打ち合わせや交渉の経験も積んできたし、このあたりでまた一歩ステップアップしたいと思っていた。
 そんな中、チャンスは予期せず訪れる。あるメーカーの都合で急な予定変更が生じ、夕方の同じ時間帯に二社のアポイントを余儀なくされた。そこで、やむを得ず二手に分かれ、行動することとなったのだ。
 須田さんも不安そうではあったものの、事情が事情なため私に一社任せてくれた。
 そうして私は無事に取引先にたどり着き、任された仕事をなんとか終えたところ。
 ほっとしたタイミングで、スマートフォンが着信を知らせる。見れば、須田さんで私はすぐに応答した。
「はい。新名です」
『新名さん、どう? 無事に終わったかな』
「須田さんが、日本語が多少通じるメーカーさんを私に振り分けてくれたおかげで、スムーズにいきました」
『そうか。ごめんな、まだ慣れてなかったのに。でも助かったよ』
「いえ、急なことだったので、少しでもお役に立ててよかったです」
 話しながら、充足感でいっぱいだった。ひとつ前進した感じだ。
『じゃあ、どうしようかな。俺のほうはまだもう少しかかりそうなんだけど。お互い今いる場所からなら、ホテル集合が一番効率的だと思う。大丈夫そう? もうタクシー使っちゃっていいから』
「わかりました。では、のちほど」
 今日の私の仕事は終わり。このあと、須田さんと合流して一緒に夕食をとりながら、メーカーと話した内容の共有をするくらい。
 時計を見ると、現地時刻で午後五時半。まだ空は明るい。
 ほっとしたら急に喉が渇いて、道の脇で立ち止まった。背負っていたリュックを降ろし、ペットボトルの水を取り出そうとした。
 防犯意識を持って隠しジッパーリュックにしたため、もたつきながら水を出す。ペットボトルのふたを開け、口に運ぼうとした瞬間。
「ひゃ……っ」
 死角から思い切りなにかがぶつかってきて、すっかり油断していた私はその衝撃で膝をついて転んだ。
 ペットボトルが転がる方向へ、体格のいい外国人男性が走っていくのを見た。
 痛みよりもなにが起こったのか理解するまでに時間がかかり、頭の中は真っ白。しかし、走り去るその男性の手に自分のリュックがあるのを認識し、我に返った。
「ちょっ……だっ、誰か! リュック!」
 慌てているとここがどこだかも考えられなくなって、日本語で声をあげてしまう。驚きと混乱と恐怖と、いろんな感情が混じって冷静さを失った。
 あのリュックには企画書や契約書などのデータが入ったタブレットがある……! データはクラウドで引っ張り出せても、それ以前に、厳重にパスワードをかけているとはいえ、クラウド内の情報が漏洩する可能性もある。
 そんな失態をすれば、タダじゃすまされない。
「どうしてこんなことに……」
 顔面蒼白でつぶやくと、自分でも気づかないうちに涙が流れていた。
 泣いたって解決しないのは頭でわかっている。だけど、パニックになっていて情緒が不安定だ。制御なんかできない。
 私が地面に座り込んだまま絶望していたら、駆け足の音がものすごい勢いで近づいてきた。そして、顔を上げるや否やその人は一瞬で横を通過していく。
 いったい何事かと目を剥いて、走っていく黒髪の男性の後ろ姿を見つめる。角を曲がって姿が見えなくなったあと、再び現実に引き戻された。
 リュックは盗られたけど、パスポートやお財布はポケットの中。ひとりでさっきの泥棒を追いかけるのは危険すぎる。まずは須田さんに連絡を……。ああ、でも今はまだ商談中かも。なら、まずは警察? だけどこういうのって、大体リュックは戻ってきても中身は盗られていて戻ってこないパターン……。
 絶望に打ちひしがれていると、荒い息遣いが近づいてくるのを感じて警戒する。
 ここでさらに変な人に絡まれたら、もう踏んだり蹴ったり……。
 苛立ちと恐怖とでぐちゃぐちゃなまま、恐る恐る目を向けた。すると、日本人男性らしき人が私の前にやってきて足を止める。
 その男性は、さっき全速力で走って私を横切っていった黒髪の男性だった。
 ちょうど座り込んでいる私の視線の高さに見覚えのあるリュックがあって、思わず飛びついた。
「これ……っ!」
 私が両手でしっかとリュックを掴むと、男性は手を離し、すんなり返してくれた。
 自分のリュックが舞い戻ってきたことに歓喜し、安堵の涙が次々と溢れ出す。私はリュックを抱きしめた。
「よかっ……たあ」
 こんな奇跡があるなんて。
 リュックの上からでもタブレットが入っているって感触でわかる。
 ほっとするなり、この数分で感情がめまぐるしく変化したせいか、手が震え出す。足も力が入らず腰も抜けて、すぐには立てなかった。
「大丈夫?」
 取り返してくれた男性の声にハッとして、彼を見上げた。
 私は彼とまともに正面から顔を見合わせて驚く。
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