仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 十数分後に俺が一階へ戻り、インフォメーション前を通過する際に、彼女はインフォメーションカウンターの隅で、子どもを笑顔であやしていた。インフォメーションスタッフとの会話をちょっと聞いた感じでは、どうやら迷子の子どもを不安にさせないようにするためと、インフォメーション業務が滞らないために手を貸していたみたいだった。
 また、あるときは早番で帰宅するところだったにもかかわらず、幸が店員だと知っていたらしい年配の男性に探し物の相談をされて、売り場まで戻っていったこともあった。
 どんなときも、生きがいみたいに楽しそうに、生き生きと。
 全身から明るさと優しさが滲み出ていた彼女の姿に、毎回見かけるたび、時間を忘れて遠くから目で追ってしまった。
 しかし、その翌年には自分が海外店舗に赴任したため、彼女の姿を見ることは叶わなくなった。
 海外では仕事に専念する傍ら、ふとしたときに彼女の姿が頭に浮かんだ。
 ごく自然に『もう一度、今度は直接会ってみたい』などと思うまでになったときには、『どうかしてる』と自分を叱咤した。
 だけど、海外にいると日本のサービスは本当に行き届いていると実感し、そんな接客サービスのクオリティが高い日本の中で、ひと際輝いていた彼女を忘れるなんて到底無理なことだった。
 三年間の海外勤務を終え帰国した俺が先月ワシントンへ行っていたのは、仕事の都合で数日渡っただけ。CEO就任の準備でしばらく息つく暇もなかった俺は、その出張の際に余裕のあるスケジュールにしておき、半分は休暇として過ごしていた。
 まさか、あんなところで彼女に会えるとは露ほどにも思わなかった。
 あの瞬間、自分が彼女に対してどういう感情を抱いているのかが、はっきりとした。
 幸は『お客様のために』『お客様に喜んでほしい』だけにとどまらず、お客様との関わりを通じ、さながら自分が当事者かのように楽しんでいるふうに思える。
 つまり、相手の目線で考え、困ったり悩んだり、喜んだり、共感している印象だ。
 見返りを求めず、自分の持ちうるすべてをかけて相手に寄り添う姿勢を目の当たりにして、ふと想像した。
 あの熱を自分に向けてもらえたら、どんなに胸が熱くなるか――と。
 彼女に自分の素性を伏せてまで接した理由は、彼女にも直接伝えた。
 あのままCEOとして赴任し、一社員として彼女に接するだけじゃ物足りない。
 俺はひとりの男として出会えた奇跡を喜び、欲を抱いたのだ。
 それでつい調子に乗って食事のあとも誘ったものの、彼女に断られてしまった。
 途端に火がついた。
 必ずまた会って〝約束〟を果たす。そして、そのときには、今よりももっと親密度を増したいと。
 すでに懐かしい思い出に浸り終えたのち、おもむろに立ち上がって書斎へ移動する。デスクの引き出しを開け、中からファイルを取り出した。
 これは、『新名幸』についてのプロフィールが書かれたもの。いわゆる釣書だ。
 デスクの上に置いた釣書を捲り、ぽつりとこぼす。
「まさかこんな縁まで用意してくれるなんてね。神様も粋なことをしてくれる」
 もう何度も見た、彼女の釣書。しかし、彼女は縁談の際、こちらの情報をまるで頭に入れずに当日を迎えたようだった。じゃなきゃ、待ち合わせ直後にあんなに驚くことはなかったはずだ。
 アメリカで交わした約束に、幸は戸惑っている雰囲気だった。そんな彼女が釣書を見て俺だと気づけば、即断られる可能性が高いと思っていた。
 それでも俺が余裕でいられたわけは、彼女が自社に在籍していることを知っていたからだ。必ず会えると確信していたため、悲観的にならずに構えていられたのだ。
 彼女は祖母を安心させるために結婚を考えた、というような話をしていた。
 なのに、釣書を見ないというのは……。
 瞼を下ろし、縁談で再会した日を思い返す。
『誰かのために――表向きだけでも引き受けた、とか?』と、指摘したとき、幸は否定しなかった。
『誰かのため』は『祖母のため』ということで、彼女自身はやはりそこまで結婚に前向きにはなれなかったのかもしれない。
 まあ、どれも推理でしかない。真相は彼女に聞くしかないだろうな。
 おもむろに下を向き、「ふう」と息を吐く。
「まあ、とりあえずひとつずつ、ゆっくりといくか」
 何事も結果を急いでもいいことはない。目下の目標は、俺が彼女の恋人だと意識してもらうこと。
 社内でアプローチするのは彼女を困らせる。よって、あまり得策ではない。
 ……とはいえ、あの同部署の男は、放っておいたら彼女との距離が近くなりそうな雰囲気だったな。
 須田という男性社員を思い出し、胸がもやりとする。
 
< 22 / 66 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop