姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
 本音を言えば、須田に直接牽制したいところだが……。そうすると、幸が仕事をしづらくなるだけだ。彼女が内密にしたいと望んでいる以上、感づかれるような言動はご法度だ
ろう。
 数秒考えたのち、楽観的な結論に落ちついた。
 秘密の社内恋愛を幸と経験するのも悪くない。須田を意識する余裕もないくらい、幸には俺を見てもらう努力をする。それでいい。
 決意を固めた俺は、デスク淵に腰を浅くかけてスマートフォンを操作した。
【了解。じゃあ、月曜の終業後はデートしよう】
 やや強引な誘い文句かとも思ったが、すぐに『かしこまりました』のスタンプが返ってきて口元が緩む。
 スマートフォンをデスクに置き、釣書を閉じて引き出しにしまった。それから、途中だったネクタイをしめる。
「さて……どうしようかな」
 月曜日にデートを取りつけた俺は、浮き立つ気持ちで準備をして家を出た。

 月曜日を迎えた。
 ようやく幸に会えると思うと、普段よりも三十分も早く出社してしまった。
 自分にこんな純粋な部分があったのかと苦笑しつつ、気持ちを落ちつかせた。
 互いに本社勤務とはいえ、そう簡単に彼女の顔を見ることは叶わないだろう。第一、内密にしてほしいとお願いされた手前、破るわけにもいかない。
 浮つきそうな自分を律しつつ、業務に就く。そうして終業時間まであと一時間となった頃、銀座店へ視察に向かった。
 七階催事場では『ベーカリーフェア』を開催している。
 すべて個包装で販売していても、パンの香ばしい匂いがフロアに広がっている。
 十メートルほど離れた場所から、遠目で催事場を確認するも大盛況。あれやこれやと多くの種類のパンに目を輝かせるお客様を見て、自然と口角が上がる。
 そのとき、多くの人が賑わう中でひとりの女性に目が留まった。
 後ろでひとつに括った艶やかな髪。背筋が伸びていて美しい姿勢のパンツスーツ姿の彼女は……間違いなく幸だ。
 幸は売り場の確認をしているのか、その横顔は真剣そのもの。
 ふと、彼女の近くに須田がいることに気がついた。
 仕事に夢中になっている幸を隣で見つめる須田の視線が、妙に引っかかる。
 モヤモヤした心境でふたりを窺っていると、メモを取り出してペンを走らせる幸に、須田が肩を密着させるようにしてメモを覗き込んだ。
 気づけば勝手に足が動く。
「新名さん」
 俺が幸の名前を呼んだ瞬間、彼女はこちらを振り返る。俺の顔を見た途端、なんとも言えない表情を見せた。
 必死に平静を保とうと試みて眉間に皺を作ってしまったような、険しい顔になっている。
「菱科CEO、お疲れ様です」
 須田が俺に挨拶をすると、幸もそれに倣って頭を下げる。
 相変わらず近い距離間のふたりに、急激に心が狭くなった。
「お疲れ様。奇遇だね。商品管理部のふたりに、ここで会うとは」
「そうですね」
 はきはきと答える須田には笑顔を返し、俺はあえて幸の目の前に立って問いかける。
「進捗はどうかな?」
 現在抱えている仕事のことだけでなく、今夜の約束に支障がないかを確認する意図もあり、質問を投げかけた。
 これが正確に伝わらなくても別にいい。こういうちょっとした〝遊び〟もしなければ。この先、ずっと社内で他人行儀を続けるのもつまらない。
 彼女はこちらを見上げ、俺の真意をなんとなく感じ取ってくれたのか、ぽそりと答える。
「じゅ、順調です。おそらく残業も必要ない……かと」
 幸の小さな耳がうっすらと赤くなっている。
 彼女の反応に満足すした俺は、横に立っている須田へも忘れずフォローする。
「コンペ。須田くんのも楽しみにしてるよ」
「え? あ……! はい、頑張ります」
 彼はさっき俺が幸に質問した内容に首を傾げるような顔をしていた。だから、それっぽい理由をさりげなく口にして、彼に疑問を抱かせずに納得させた。
 再度ちらりと幸を見やれば、俺に向かってじとっとした目を向けている。
「じゃあ、頑張って」
 俺はそう言い残してふたりに背を向け、エスカレーターを目指して歩きだす。
 須田とふたりで並んだ姿が頭から離れない。
 いつから俺はこんなに余裕のない男に成り下がったんだ。これまで、こんなことは一度だってなかった。
 細かな事情はどうあれ、今彼女は俺の恋人になった。一歩前進したはずなのに、どうしてこうも感情のコントロールがきかないんだ。
 エスカレーター目前、無意識に歩調を緩める。
 幸のあの仕事に熱中する姿や、充実して楽しそうな笑顔を一番近くで見られるあいつに嫉妬してるのか。
 初めての感覚に戸惑いを覚え、思わず苦笑する。
「新名さん? まあ、久しぶりに顔を見た」
 そのとき、後方から女性のうれしそうな声が響き、思わず振り返った。
笠巻(かさまき)様! いらっしゃいませ。ご無沙汰しております」
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