姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
 先ほど、『新名さん』と親しげに幸を呼んだのは、年配女性のお客様だったようだ。幸は女性客の名前を口にし、笑顔で対応している。
「本日、妹様はご一緒ではいらしゃらないのですか?」
 笠巻様という女性客は、幸の手を取り本当にうれしそうに顔を綻ばせた。
「妹はちょっと風邪気味だからと家にいるの。妹もあれから新名さんに会いたがっていたのよ。風邪をひいてなければこうして会えたのに、残念ね」
「私も残念です。早くご体調がよくなりますように」
「ありがとう。伝えておくわ。それより、聞いたわよ。あなた、今は販売員とは別のお仕事になったんでしょう? 会えないはずよねえ」
 どうやらあのお客様も幸を気に入っていたらしい。
 俺は咄嗟に近くの柱に身を潜め、こっそり様子を見届ける。
「はい。春に異動になりまして。現在は販売員ではなく本社に勤務しております」
「やっぱりそうなのね。何度売り場に来ても姿が見えないから、別の方に聞いたのよ」
「それは大変ご心配とご迷惑を……」
 再会を喜ぶふたりを見た須田が、気を利かせてか幸になにかひとこと声をかけて、その場から離れていった。
 幸は改めてお客様と向き合う。
「ただ不定期ではありますが、こうして店舗を回っておりますので、見かけた際にはぜひお声がけください。私もうれしいです」
「まあ。また相談に乗ってくれるの?」
 陰で会話を盗み聞きしている罪悪感はあったものの、彼女に魅入られたお客様の弾んだ声にこちらまで胸が高揚する。
「もちろんです。ただ別の仕事も抱えているかもしれませんので、その場合には大変恐縮ですがお時間の相談させていただけますか?」
「わかったわ。大丈夫なときはぜひ、つき合ってちょうだい。ああ、でも今日会えて本当によかった。それじゃあ、また今度ね。次は妹と来るわ。お仕事頑張って」
「はい。ありがとうございます。またぜひお待ちしております」
 幸は丁寧にお辞儀をして見送る。女性客は歩きつつも、何度か幸を返りながら遠ざかっていった。
 幸は背筋を伸ばしたあと、女性客の背中がどれだけ小さくなっていっても、ずっと笑顔で見送っていた。
 女性客が完全に視界から見えなくなったタイミングで、俺は幸の前に姿を現す。
 幸は目を丸くした。
「あ……さっき戻られたのでは」
「日本橋店の小さなコンシェルジュは、ここ銀座店でも同じだったのか。君がここで働いていたのは約一年間だったろう」
 たったそれだけの期間であんなふうに慕われるまでになるのは、なかなかない。
 俺が感心すると、彼女は別の部分で引っかかったらしい。
「え? 小さなコンシェルジュ? なんですか? それ」
 彼女の反応に、今度は俺が目を白黒させた。
「知らなかったのか」
 というか、周囲がそうささやいていても目の前のことに夢中になって、聞こえていなかったのかもしれないな。
 脳内であれこれと考えていたせいか、幸は肩を竦め、怖々といった様子で俺を窺っていた。
「な、なんですか? ちょっと怖いんですが」
 おそらく、『自分は集中しすぎる』という欠点ばかりに気がいって、長所どころではないんだろう。
「ふ、いや。怖がることはなにもないよ」
 目の前のことに一生懸命な彼女を見て、うっかり触れてしまいそうになった。
 俺は平静を装い、ひとつ咳払いをして答える。
「君が特定のお客様に猛烈に気に入られて、フロアをまたいで接客することがあるって聞いた」
「ああ! それでそういう……。その件は、社員の皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……担当フロアから抜けることになるので」
 幸は思った反応とは違い、気まずそうにそう言った。
 彼女の接客にスポットライトを当てて見ていたが、確かにその皺寄せはフロア内に来る。
「当時のフロアマネージャーはなんて?」
「初めは自重するよう注意を受けたんです。私も、お客様の期待に添いたいけれど、組織の一員ということを念頭に置き、納得して切り替えたんですが」
 難しい問題だとは思う。お客様の要望にできる限り応えたいところだが、お客様はそのひとりだけではないから。心苦しいが、フロアマネージャーの判断は間違ってはいないだろう。
「それで?」
 合いの手を入れ、彼女の言葉を引き出す。
「とあるお客様がフロアマネージャーに直談判を……。その方、別の店舗のお得意様だったようで無碍に扱うことも憚られたらしく……。結局ピークタイムを除くという条件で承諾したんです」
「それは……君は平気だったのか? ほかの社員の反応とか。フロアマネージャーに、どうにかうまく断ってもらうこともできたんじゃないか?」
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