姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
どんな事情でも内容でも、彼女が『特別』という枠に入ったと認識されれば、面白くない人間もいたかもしれない。彼女のせいで仕事の負担が増えるだとか、ルールが曖昧になるだとか、いろんな難癖をつけられては堪ったものではないだろう。
幸が過去に一度でも働きづらさを抱きながら過ごしていたのかもと思うと、なんとも居た堪れない思いになる。
けれども彼女は、あっけらかんと返す。
「特に断ってほしいとは思いませんでした」
「……なぜ?」
「うーん。単純ですが、可能ならお客様のご希望に応えたかったから……ですね。お買い物を楽しんでもらいたいだけです。そのお手伝いになるならいくらでも、っていう気持ちで仕事をしていました」
俺はこれまで多くの人たちと接してきた。彼女のその答えは、会社のトップである俺にいい印象を与えようとして発した言葉ではないとわかる。
「だが、稀に無理難題をふっかけてくる人もいるだろう」
「大抵の場合はお話を詳しく伺えば、トラブルに発展することなく済みますから」
笑顔で即答できるところを見ると、嘘はないのだとわかる。
彼女にかかると、どんなお客様も心を満たされるのかもしれない。
「さすが接客のプロだな」
感嘆の声を漏らすと、幸は困った顔をして笑った。
「確かにプロ意識を持つよう研修で教わったのでそうかもしれませんが、ここだけの話、私は販売員としてフロアに立っているときは、あまりプロだからという意識はしていないんです」
ばつが悪そうに視線を逸らしていたかと思えば、はっとして俺を見る。
「あ、そんなこと菱科CEOに言えば問題ですね。それよりもさっき、私がここに勤務していたのが約一年間だって……もしかして、社員全員の異動歴が頭に入ってらっしゃるのですか?」
大真面目な顔で聞いてくるものだから、思わず一笑した。
「残念ながら、社員全員は無理」
うちの社員全員となれば、相当な人数。いくら外商時代に顧客を初め、多くの取り扱い商品を頭に入れていた俺でも、さすがに社員全員のデータを頭に入れることは不可能だ。
「そ、そうですよね。失礼しました。つい」
幸はふっと目線を落とし、顔を逸らした。
きっと彼女は今、疑問を抱いて懸命に答えを探っている。
俺がほかの社員の情報は出てこないのに自分については知っていた、その意味を。
つい好奇心が顔を覗かせ、悪戯に彼女の耳元に唇を寄せてささやく。
「君だけ……って言ったら、どうする?」
刹那、彼女は反射的に耳を押さえ、潤んだ瞳で俺を見上げた。そして、すぐさま顔を横に背ける。
――おい、勘弁してくれ。
その横顔は恥じらいの表情が滲み出ていて、可愛らしさを隠しきれていない。
この両手で赤らんだ頬を包み込みたい衝動を抑えるべく、俺は理性を総動員させた。
自分で仕掛けて自ら窮地に陥るだなんて、どうしようもない。
心臓が大きな音を立てる中、俺は必死に平然なふりを演じる。適正な距離を取り、しれっと訂正した。
「嘘。一応本社の人間の直近の異動歴は憶えた。だから、君だけってことはない」
「そ……そうでしたか。あの、すみませんが、そろそろ。下で須田さんが待っているので失礼します」
幸は淡々と言って、そそくさと去ろうとする。俺の横を颯爽と過ぎ、あっという間に背を見せた。
「待って」
彼女の後ろ姿に向かって思わず呼び止める。
「今夜、楽しみにしてる」
幸はきょとんとするのも束の間、瞬く間に赤面する。
「し、失礼します」
彼女は会釈をするや否や、小走りで行ってしまった。
不必要に接触するのを拒まれていたのに、興味本位で近づいてしまった自己嫌悪はある。しかし、それ以上に彼女の新たな一面を見られたことへの喜びが勝っていた。
「……これはまずいな」
店内でひとり佇み、ぽつりと漏らす。
三十数年生きていれば恋愛経験のひとつやふたつ、重ねてはきた。結果、自分は恋愛においても冷静に考えられるタイプだと、そう思ってきたのに。こうも容易く覆されるとは。
右手を口元に添え、幸が去っていった方向を見つめる。
毎度あんなふうに素直な反応を見せられたらな。駆け引きなどは無縁な人だ。つまり、彼女のあれらの表情すべてが本音だとわかっているから、こっちも疑う余地なく無条件でうれしくなる。うっかりすれば、彼女の無垢さに引きずられて、俺までポーカーフェイスを崩されそうだ。
静かに呼吸を整え、気持ちを落ちつかせる。幾分か平常心に戻ったところで、手を戻し
た。
実のことをいうと、幸の異動歴だけほぼすべて頭に入っていた。彼女の接客を目の当たりにしてからというもの、彼女の経歴を知りたくなって。
とはいえ、さすがにこのことは本人も反応に困るだろうし……。
「今はまだ黙っとこう」
俺はさらにひとりごとを重ね、ようやくその場から足を踏み出した。
幸が過去に一度でも働きづらさを抱きながら過ごしていたのかもと思うと、なんとも居た堪れない思いになる。
けれども彼女は、あっけらかんと返す。
「特に断ってほしいとは思いませんでした」
「……なぜ?」
「うーん。単純ですが、可能ならお客様のご希望に応えたかったから……ですね。お買い物を楽しんでもらいたいだけです。そのお手伝いになるならいくらでも、っていう気持ちで仕事をしていました」
俺はこれまで多くの人たちと接してきた。彼女のその答えは、会社のトップである俺にいい印象を与えようとして発した言葉ではないとわかる。
「だが、稀に無理難題をふっかけてくる人もいるだろう」
「大抵の場合はお話を詳しく伺えば、トラブルに発展することなく済みますから」
笑顔で即答できるところを見ると、嘘はないのだとわかる。
彼女にかかると、どんなお客様も心を満たされるのかもしれない。
「さすが接客のプロだな」
感嘆の声を漏らすと、幸は困った顔をして笑った。
「確かにプロ意識を持つよう研修で教わったのでそうかもしれませんが、ここだけの話、私は販売員としてフロアに立っているときは、あまりプロだからという意識はしていないんです」
ばつが悪そうに視線を逸らしていたかと思えば、はっとして俺を見る。
「あ、そんなこと菱科CEOに言えば問題ですね。それよりもさっき、私がここに勤務していたのが約一年間だって……もしかして、社員全員の異動歴が頭に入ってらっしゃるのですか?」
大真面目な顔で聞いてくるものだから、思わず一笑した。
「残念ながら、社員全員は無理」
うちの社員全員となれば、相当な人数。いくら外商時代に顧客を初め、多くの取り扱い商品を頭に入れていた俺でも、さすがに社員全員のデータを頭に入れることは不可能だ。
「そ、そうですよね。失礼しました。つい」
幸はふっと目線を落とし、顔を逸らした。
きっと彼女は今、疑問を抱いて懸命に答えを探っている。
俺がほかの社員の情報は出てこないのに自分については知っていた、その意味を。
つい好奇心が顔を覗かせ、悪戯に彼女の耳元に唇を寄せてささやく。
「君だけ……って言ったら、どうする?」
刹那、彼女は反射的に耳を押さえ、潤んだ瞳で俺を見上げた。そして、すぐさま顔を横に背ける。
――おい、勘弁してくれ。
その横顔は恥じらいの表情が滲み出ていて、可愛らしさを隠しきれていない。
この両手で赤らんだ頬を包み込みたい衝動を抑えるべく、俺は理性を総動員させた。
自分で仕掛けて自ら窮地に陥るだなんて、どうしようもない。
心臓が大きな音を立てる中、俺は必死に平然なふりを演じる。適正な距離を取り、しれっと訂正した。
「嘘。一応本社の人間の直近の異動歴は憶えた。だから、君だけってことはない」
「そ……そうでしたか。あの、すみませんが、そろそろ。下で須田さんが待っているので失礼します」
幸は淡々と言って、そそくさと去ろうとする。俺の横を颯爽と過ぎ、あっという間に背を見せた。
「待って」
彼女の後ろ姿に向かって思わず呼び止める。
「今夜、楽しみにしてる」
幸はきょとんとするのも束の間、瞬く間に赤面する。
「し、失礼します」
彼女は会釈をするや否や、小走りで行ってしまった。
不必要に接触するのを拒まれていたのに、興味本位で近づいてしまった自己嫌悪はある。しかし、それ以上に彼女の新たな一面を見られたことへの喜びが勝っていた。
「……これはまずいな」
店内でひとり佇み、ぽつりと漏らす。
三十数年生きていれば恋愛経験のひとつやふたつ、重ねてはきた。結果、自分は恋愛においても冷静に考えられるタイプだと、そう思ってきたのに。こうも容易く覆されるとは。
右手を口元に添え、幸が去っていった方向を見つめる。
毎度あんなふうに素直な反応を見せられたらな。駆け引きなどは無縁な人だ。つまり、彼女のあれらの表情すべてが本音だとわかっているから、こっちも疑う余地なく無条件でうれしくなる。うっかりすれば、彼女の無垢さに引きずられて、俺までポーカーフェイスを崩されそうだ。
静かに呼吸を整え、気持ちを落ちつかせる。幾分か平常心に戻ったところで、手を戻し
た。
実のことをいうと、幸の異動歴だけほぼすべて頭に入っていた。彼女の接客を目の当たりにしてからというもの、彼女の経歴を知りたくなって。
とはいえ、さすがにこのことは本人も反応に困るだろうし……。
「今はまだ黙っとこう」
俺はさらにひとりごとを重ね、ようやくその場から足を踏み出した。