仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 確かにひとつのことに集中し始めると、思考がそちらに引っ張られる人なのだろう。仕事とプライベートの境界線が引けないタイプで、仕事に重きを置いている現状だ。
 おもむろに彼女の頬を手の甲で撫でた。幸は飛び上がるほど驚いた顔をしたものの、拒絶はせず、緊張からか硬直していた。
 決して彼女を困らせたいわけではないのだが……俺がもう遠くから見ているだけでは物足りなくなっている。
 こうして触れられる権利を得た今、余計に――。
「そんな幸に渡したいものがある。このあと家まで来てほしいんだけど」
「家? あの……明日も仕事ですし……。今日じゃないとだめ、ですか?」
 警戒されるのは気にならなかった。むしろ、少し安心した。考えたくはないが、もしも今後別の男に言い寄られたとき、その警戒心をフル稼働してほしいから。
 それと、単純に俺を意識しているのだと捉えたらうれしくなった。
「今日は特別な日だから、あと少し一緒にいられたらと思って」
 あまり欲張ると罰が当たる。
 下心がまったくないかと問われれば、そこは素直にそうとは言えない。しかし、一番は彼女と少しでも長い時間を共有することを求めているから。
 そのためには、過剰に警戒されないように距離感を正し、今ばかりは恋人の雰囲気を消す。
 幸は俺を一瞥したあと、手の中の花束を見つめる。しんと静まり返る車内で返答を待っていると、「わかりました。少しだけ」とひとこと返ってきた。

 俺の自宅は本社から車で十分程度のタワーマンション。
 エントランスをくぐってすぐ、幸が廊下の奥にあるガラス張りの部屋を見て足を止めた。
「あれって、もしかしてキッズルームですか?」
「そう。午前九時半から午後六時まで、入居者は自由に利用できるらしい」
「へえ~。こういうマンション、初めて来ました。外観からスタイリッシュで今風ですもんね」
「ファミリーの入居者がわりといるようで、見た目の印象はホテルライクかもしれないが、雰囲気はアットホームさを感じるところが気に入ってるんだ」
 物件がいろいろとある中でここを選んだ理由のひとつは、子ども連れの家族を身近で感じられるような気がしたためだ。
 普段あまり接点のないファミリー層のマーケティングを行う機会になるのではと。
「なるほど。なんとなく、菱科さんがここに住んでいる理由がわかった気がします」
「多分『正解』。自分で気づいていなかったが、俺も幸に負けず劣らず仕事人間かもしれないな」
 俺が冗談交じりに言うと、幸は目をまんまるにする。それから、くすくすと笑いだした。
 エレベーターで向かうは、最上階である四十五階にある一室。
 3LDKで二十畳近くある広々としたリビングと、大きな窓から望める景色がお気に入りだ。休日はソファに座り、時間の経過とともに街の風景の雰囲気が変わりゆくのを眺める。
 俺は幸をリビングへ案内する間、頻りに玄関や廊下の広さやデザインに感嘆し、リビングに到着すると、俺が好きなパノラマウインドウに釘づけになっていた。
 眼下に広がる夜景のように、瞳をキラキラとさせている幸の横顔に頬が緩む。
「飲み物を用意するから、幸は手を洗ったあとはソファでゆっくり休んでて」
 上着を脱ぎ、手を洗ったあと、早速ウォーターサーバーからティーポットとティーカップにお湯を注ぐ。それを一度捨て、トレーに置いた。
 ふと、ソファにちょこんと腰をかける幸を見た。彼女の顔には〝緊張しています〟と書いてある。その緊張を解すべく、トレーを彼女の前のローテーブルに置きながら言った。
「料理はできないけど、紅茶とコーヒーくらいなら淹れられるから安心して」
「いえ、そんな心配はしてませんから」
 俺がティーポットに茶葉を入れると、幸は食い入るようにティーポットの中を見つめる。
「フルーツティー? これ、昨年の春にフェアで取り扱っていたものじゃないですか?」
「さすがだなあ。疲れたときには、この上品な香りとほどよい甘みが美味しくて、何度かリピートしてる。ノンカフェインだし、さっき幸がデザートプレートを食べているときにフルーツが好きだって教えてくれたし、ちょうどいいなと思って」
「やっぱり! 茶葉も可愛いし、ティーポットがオシャレ! 私、ティーポットを持っていないので……。いいですね」
 ティーポットの蓋をトレーに置き、再びウォーターサーバーからお湯を注ぐ。幸のもとへ戻ると、蓋をしてくれた。
「わあ! ガラスのポットに乾燥させたフルーツやミントがいっぱい。映えますね!」
 幸はガラス製の丸型ティーポットの中で、お湯の対流によって茶葉がゆっくり開いて動くのをじっと見つめて歓喜する。
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