仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
「なに見てたの? あ、菱科CEO」
 鋭く見抜かれ、この上なく狼狽える。
「あ、あの」
「目立つもんね。無意識に目がいくのもわかるよ」
 あまりにあっさりした反応で、拍子抜けすると同時にほっとする。
 とはいえ、このまま菱科さんの話題を続けるのはハラハラするため、私は通路側に背を向けて話題を変えた。
「ところで、再来週に控えているフェアの商品配置について、のちほど少し相談に乗っていただけますか?」
「うん、もちろん。そのフェアが初だよね、新名さんが担当するイベント。今のところ順調そうじゃない」
「ありがとうございます。といっても、企画から下準備はすでにほぼ終えているものを引き継いだだけなので、前任の先輩のおかげです」
 それは、昨夜菱科さんとも話題に上ったイベントのこと。冬向きの紅茶をメインに、それらに合うお菓子も並べる予定だ。
「そうかもしれないけど、積極的にメーカーとも調整してるし。販売員とも何度か売り場のイメージや課題の共有をしてるから」
「ついこの間まで現場にいた立場として、定期的に顔を出したいなと思ってるんですよ。やっぱり、こういうのはチームワークが大事なので」
 いろんな面において、コミュニケーションは大切。イベントでなくとも、どういう目標を持ち、達成するためにどうするかを一緒に考えなくてはならないから。
 特に売り上げが芳しくないとき。報告、相談、戦略の練り直しを早めに行うためには、日頃からの意思疎通が重要だと感じていた。
「新名さんのそういうところ見てると、自分も初心を思い出せて助かるんだよな」
 須田さんは屈託なく笑ってそう言った。
 お世辞だったとしても、自分の存在がいい影響を与えていると言われたら、素直にうれしい。
 私も笑顔を返す。すると、視界の隅に菱科さんが入り込んだ。
 ほんの一瞬、彼が歩き去っていく姿を目で追うと、彼もまた時間にして一、二秒だけ私に視線を送ってきた。さらに、菱科さんは視線を外す直前に私の首元に目を向け、うっすらと口角を上げる。その意味深な目に、咄嗟に自分の首に片手を添えた。
 須田さんはなにも気づいていない様子で、雑談を続けている。
 私は須田さんに相槌を打ちつつも、胸の中で感情が激しく揺さぶられていた。
 たった数秒間視線が交わっただけで、こんなにも背徳感にも似た感情を抱き、ドキドキさせられる。
 やっぱり昨日、キスマークはわかっていてつけたんだ。
 あんな些細なアクションで、それがわかる自分がなんだか恥ずかしい。足が地についていないような、ふわふわした感覚から抜け出せない。社内恋愛をしている人は、こんな気持ちで毎日過ごしているの?
 私なんか、こんな状況で仕事どころか先輩との会話もままならない。
 仕事の面でマイナスになるとはっきり予測できているのに、なぜか私は『恋人関係の解消』の選択肢は頭に浮かんでいなかった。
 
 その日、午後からはなんとか持ち前の集中力を発揮できた。
 終業時間直前には広報部での用件を済ませ、自部署へ戻るためにエレベーターホールに足を向ける。あとひとつ角を曲がればエレベーターホールに着くところで、突然背後から腕を掴まれた。私は心底驚き、勢いよく振り返る。
「なっ……えっ! 菱――」
 その名を完全に発し終える前に、そのまま彼に腕を引かれ、近くの物品庫に連れ込まれる。
 薄暗い部屋にもかかわらず、彼は電気も点けずに人差し指を口元に添えて「しっ」とひとこと。
 突然の出来事に驚きを隠せず、いまだに気持ちが状況についていけていない私は、目を見開いて至近距離の菱科さんを見上げた。
「な、なにをしてるんですか」
 ようやく言葉が出たかと思えば、そんなセリフだった。
 菱科さんが社内のどこにいようが、それは不思議ではない。でも、終業時間が近いからって、こんなふうに接触してくるのは危険すぎる。
「いや、偶然会えたからつい」
 あっけらかんとして答えた内容に、開いた口が塞がらない。
「ついって! だめじゃないですか、こんなの誰かに見られでもしたら!」
「幸だって、昼のあれはだめだろ?」
「えっ?」
 昼のあれ……って、なにかあったっけ?
 必死に昼のことを思い出していると、彼が先に答えてしまう。
「休憩中、少し離れたところから俺のほうをしばらく見てただろう」
 僅差でその出来事を思い出していた私は、瞬く間に恥ずかしくなって顔を背けた。
 昼休みのとき、確かに菱科さんと視線がぶつかった。だから、私があの場にいると気づかれていたのは理解できる。けれども、『少し離れたところからしばらく見てた』ことまで知られているとは思っていなかった。
 途端に羞恥に襲われ、なにも言えなくなる。
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