仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 リビングの真ん中に立っている菱科さんは、低めの天井に頭がつきそうに見える。
 菱科さんのマンションが立派だっただけに、どう思われているか……。
「あ……菱科さんのおうちに比べたら激狭ですよね。すみません、落ちつかないかと思いますが」
「そんなことないよ。幸の生活が見られてうれしい」
 たった三日ぶりなのに、彼のまっすぐな物言いへの免疫が薄れてしまったらしい。さわやかに白い歯を見せる菱科さんを直視できない。
「私生活がわかるようなものはなにもありませんよ。趣味という趣味もないので。えっと、私、食事を用意するので菱科さんはそちらのソファで待っていてください」
 そもそも、なぜ今こんな状況になっているかというと、自ら提案したためだ。
 待ち合わせして合流したのち、まずは食事にとなった流れで、私が言った。『うちに……来ますか?』と。
 だって、菱科さんってば『和洋ときたから、次は中華かな?』なんて平然と言うんだもの。そんなの絶対にまた、驚くくらいの高級店になる気がする。なにより、いつもごちそうになってばかりで申し訳なく思ったのが一番の理由だ。
 とはいえ、実は特別腕に自信があるわけでもないんだよね。至って普通の料理しか作れないんだけど……。
 キッチンに立って準備を進めていると、ソファにいるはずの菱科さんの声が背後からする。
「幸は家でも仕事ばかりしてるのか?」
「わっ。えっ? あ、それ……」
 振り返ると菱科さんが私の本を手にしていた。
 バイヤーやMD向けのビジネス書だ。最近図書館で借りてきたものをダイニングテーブルに置きっぱなしだった。
 私は反射的に謝る。
「す、すみません」
「どうして? 謝る必要はどこにもないだろう」
 責められなかったことに、ぽかんとする。すぐにはっとした。
 元カレは私生活に仕事を持ち込むことを極端に嫌がる人だった。だから、たとえばこの状況だったら、『これ見よがしに本を置いてる』なんて嫌味のひとつも言われていただろう。
 あの頃のなんともいえない気持ちがまだ記憶に残っていて、咄嗟に謝ってしまった。
 いろんな意味でばつが悪くなり、菱科さんの顔色を窺う。
 彼はというと、私の本をパラパラと捲り、穏やかな雰囲気のままだった。
「まあ、ちゃんと休めてるかって心配にはなるけど」
 やさしい言葉をかけられ、ぎこちなく返す。
「一応……休みの日は寝る時間を平日より長くとってます。あ、それに仕事はストレスじゃないですし。趣味みたいなものかも」
「そう。ならいい」
 彼は本を閉じ、ダイニングテーブルの隅にきちんと戻した。
 私は思わず菱科さんを観察するかのごとく、まじまじ見る。
「なに? なにか言いたげだ」
「〝それ〟は、本音ですか? いや……その、家に仕事を持ち込んでまで夢中になるのは、みんな嫌がることだと思っていて」
「みんな?」
「あっ、と……ひ、ひとりでした」
 私のこの不安感のルーツは元カレひとりだ。
 菱科さんには、詳細は伝えていなくとも元カレがきっかけで、恋愛に消極的なのは説明したから隠す必要はないんだけれど……。やっぱり少し、言い出しにくい話題ではある。
「そうだなあ。俺は少なくとも仕事に妬きはしない」
「そ、そうですよね」
 菱科さんはそういう人だともうわかっているのに。菱科さんもまた、何度も疑われている感覚になって、不快だったかもしれない。
 慌てた私は、きちんと謝罪しようと身体を向き直す。すると、菱科さんが蛍光灯を遮って私の顔に影を落とした。
「けど、その元カレにはめちゃくちゃ妬いてるみたいだ」
 口元に怪しげな笑みを浮かべ、両腕をするりと私の腰に回し、閉じ込める。少しでも動けば彼に触れてしまうから、私は身動き取れずに固まった。
 彼はそんな私を見て楽しそうに頬を緩めると、やさしい声音で続ける。
「俺は本当に構わないよ。何度も言っただろ? 仕事してる幸も好きだって」
 にこりと笑っているのに、菱科さんから微かに激情を感じる。その正体が元カレに対する嫉妬だなんて、にわかに信じがたくて頭の中で打ち消した。
 彼は相変わらず笑顔だ。
「ただ、そうだなあ。家で仕事に夢中になってる幸を見たら、社内とは違って歯止めはきかないかも」
 表情はさわやかなものなのに、その低く色っぽい声と私の髪に触れる手つきが官能的で、身体が熱くなっていく。
 視線のやり場さえままならなくて直立不動になっていたら、彼は結っていた私の髪留めを器用に外した。
 髪の毛がはらりと肩下で揺れるのを感じていると、耳に直接ささやかれる。
「ここから先は、俺でいっぱいにしていい?」
 彼の蜜を含んだ甘い声は、いとも容易く私の思考を蕩けさせる。
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