仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
「私が縁談に行くことになった本当の理由は……姉が行く予定だと知って、それを阻止するためだったんです。……黙っていてごめんなさい」
 謝罪しながら一度落とした視線をそろりと戻す。
 菱科さんは唖然として、心から驚いたといった顔をしてつぶやいた。
「なにがどうなったら、そういうことになるんだ?」
「え……わ、わかりません。だけど、本当に初めは姉を前提とした話だったんです」
 それは間違いない。後日、父からの連絡も【幸が行っても大丈夫だ】って来ていた。その文面から、やはり元は姉への話だったと受け取ったのだ。
「うーん。いろいろ誤解があるようだから、一度きちんと解く必要があるな」
 菱科さんは目の前で考え込み、なにかパッと閃いたらしく明るい表情を見せる。
「よし。事情をよく知る人のもとへ一緒に行こうか。そのほうが話は早いし、きっと幸も納得すると思う」
「事情をよく知る人? 誰ですか……? それ」
 こんな込み入った話を見知らぬ誰かを交えることに抵抗を感じ、眉を顰めてしまう。しかし、彼はなぜか難しい顔をしている私を見て、ニコリと笑った。
 笑顔になれる理由がさっぱりわからず、首を捻るばかり。
 すると、菱科さんが私の問いに答える。
「幸のお祖母さんだよ」
 予想外の答えに言葉を失う。硬直し、数秒かけてやっとつぶやく。
「え、と……理解が追いつかないのですが……」
「本当になにも知らされないままだったんだな。俺たちの縁談は、幸のお祖母さんの関ふみ子さんと俺の祖父と父が再会したことが、そもそものきっかけだったんだ」
「お祖母ちゃんが!?」
 つい大きな声を出してしまった。
「あくまできっかけ。俺がふみ子さんと幸が血縁関係にあると知って、自らふみ子さんに働きかけた。『幸さんと正式に縁談を組ませてください』と」
 度肝を抜かれる発言に、もはや瞬きをすることさえ忘れていた。
 見開いた目に映し出される菱科さんは、苦笑交じりに続ける。
「信じられない? でもずっと伝えてきたはずだ。俺は君が好きで、今なおこうして必死に口説いてる」
 そりゃあ、信じられないに決まっている。もうなにがなんだか、パニック状態だ。
「一応経緯はそんなところ。あとはさっきも言ったけど、詳しいことは幸のお祖母さんを交えて話そう」
 私は茫然として、彼の提案にかろうじて頷く。
「とりあえず縁談について、今日はここまで。じゃ、別の話をしようか」
「別の?」
「幸が恋人だと知れたら、俺への影響が大きいって言ってた件について」
 そうだ。こっちもこっちで重要な話。
 菱科さんは優しく目を細めて見せる。
「幸とのことを周囲にとやかく言われたとしても、俺はまったく気にしないし仕事に影響も出さない自信はある。幸が心配することはなにもないんだけど」
 菱科さんが言うならそうなのだろう。でも、皆が皆、好意的に受け取るかどうかは……。どちらかというと好意的な人が少数派だと思う。
 沈黙する私の表情が曇っていたらしい。菱科さんは大きな手で私の顔を包み込み、片時も目を逸らさずに続ける。
「それでも幸が気になると言うなら、今俺が提示できる解決方法はひとつ。俺が久東百貨店から離れること」
「えっ……?」
「幸を近くで見守ることは叶わなくなるけど仕方ない。ただ就任直後だから、少し時間はもらわなきゃならないが、アテはないわけでもないから――」
「嫌です……っ」
 まったく予期せぬ彼の発言に、まるで子どもみたいに拒絶してしまった。
 だって、まさかそんな大それた提案をされるなんて思いもしない。
「だったら私が」
「それは絶対にだめ。久東百貨店がそんなもったいないことをするわけにいかない」
 言下に却下され、言葉を引っ込める。
『もったいないこと』とは、つまり私を買ってくれての発言だとは思っても、喜ぶよりも戸惑うばかり。
 私は複雑な心境を抱えたまま、彼をジッと見つめる。
 ふいに菱科さんが、私の頬に手を添えた。
「俺は久東百貨店販売員の幸に惹かれて、心を奪われた」
 販売員の私……? 菱科さんとは一度も勤務店舗がかぶったことはないのに……。
 動転する中で、彼がときおり過去の私の話をしてくれていたと思い出す。
 そもそも、彼が私を知っていたのって……いつから……?
 菱科さんは混乱する私に、柔らかな目を向けて話し出す。
「『日本橋店の小さなコンシェルジュ』――その異名を知ったあの日から、日本橋店へ出向いた際にはいつも君を目で追っていた。自分とは違う、計算も打算もない君の純粋な接客に惹かれずにはいられなかった」
 その呼び名は、少し前に菱科さんに教えてもらったものだ。
 私が日本橋店にいたとき……つまり四、五年前のこと。
 そんな前から、菱科さんは私をずっと?
「海外で生活していても幸の笑顔がずっと忘れられなくて、いつも思い出して、いつしか想像するようになっていた」
 私が愕然としていると、菱科さんは極上の笑みを浮かべる
「その笑顔を俺だけに向けてもらえることを」
 菱科さんの告白は衝撃的で、同時に私の胸に熱いものが込み上げる。
「だから、幸の事情ならともかく俺のせいで辞めさせるなんて絶対にさせない」
 菱科さんの香りに包まれながら、この大きな鼓動は私のものではないと気づく。
「ごめんなさい。私もそんなつもりじゃなかったんです。私だって、CEOの菱科さんのこと尊敬してて……離れてほしくない」
 初めから、すべて私のわがままだとわかっていた。
 仕事と恋愛の両立問題も、社内恋愛への不安も。
 ただどれも本音で、彼を振り回そうとして伝えたわけではなかった。
 思えば、菱科さんとお試しの恋人を始めてから、いつしか自分の保身のためではなく彼迷惑をかけたくない気持ちが上回っている。
 だから余計に、美有さんの言葉が胸に刺さったのだ。
 こうなれば、もう私が覚悟を決めたらいいのだろう。
 そう思う傍ら、やっぱり私の存在が菱科さんを貶めるものになる不安が拭えない。
 両手を握りしめて葛藤していると、ふわりと頭に手を置かれた。
「幸。もうひとつ、別の方法が浮かんだ」
「え……?」
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