仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 いろいろと予定通りにいかないものだな、と思い耽っていると、一緒にいた男性が首を捻る。
「同行者と別行動になったの?」
「ええ、まあ。あ、お待たせしてごめんなさい。手当もありがとうございました。今手持ちがあまり……あ、日本円合わせれば大丈夫かも」
 ソファから勢いよく立ち上がり、ポケットから財布を取り出した瞬間、距離を詰められる。視界は彼の身体で埋め尽くされ、時間差でふわりとさわやかな香水の匂いが届いた。
 まるで抱きしめられている錯覚をしてしまいそうな距離だ。
「こら。こういう場所で無造作にお財布を出したらだめ」
 頭上に彼の声が落ちてきて、お互いパーソナルスペースに踏み込んだ状態にいるのだと認識するとますます動転する。
 慌てて両手でお財布を隠すようにしてから距離を取った。
「す、すみません。つい」
 心臓がバクバク騒いで静まらない。
 日常で男性にあんなに近づくことなんかないもの。
 気づかれないように、急いで気持ちを落ちつかせていると、彼はひとつも変わらぬ様子
でひとこと言う。
「お金はいらない」
「そういうわけにはいきません」
 さすがにいろいろとお世話になりすぎだ。そう思って断るものの、彼の表情に目を奪われて次の言葉を考える余裕さえなかった。
 彼は屈託のない笑顔で、まっすぐと見つめられたら……。
「だったら、その代わりに時間をくれる?」
 突飛なお願いに、思わずよくない想像をしてしまった。
 構える私など関係なく、彼は堂々と上品に微笑み続ける。
 不安をどうにか打ち消し、おずおずと尋ねた。
「それは、具体的にはいったいどういう……?」
「ちょうど俺もひとりで食事をしなきゃならなかったから。一緒に食事してくれたら、有意義に過ごせるなと思ってね」
 彼は奥のレストランを指さした。
「食事を一緒に……」
 変なことを考えて疑って恥ずかしい。
 とはいえ、冷静に考えると私が一緒に食事するくらいでお世話になったお礼になるとは到底思えないんだけど。
 まあでも、彼が有意義な時間を過ごせると思っているのなら、こちらも断る理由はないか……。行き先も、ホテル内のレストランみたいだし。
 私は姿勢を正して彼と改めて向き合うと、ぺこりと頭を下げた。
「そういうことでしたら、ぜひご一緒させていただきます」
 それから、レストランに移動する。店に入って彼がスタッフと挨拶を交わすと、すぐに案内された。先ほどのスタッフとの親しそうなやりとりから、どうやら彼はここをよく利用しているらしい。
 席に着き、彼に渡されたメニューを開くなり、眉根を寄せる。
 写真のないメニューって、こんなにわからないものなんだ。わかりそうなメニューもあるけれど、全部『なんとなく』だ。
「よかったらなにか手伝おうか?」
「すみません。ありがとうございます、じゃあ……」
 私があからさまに戸惑っていたらしく、彼はその後いろいろと好みを聞きうまくチョイスしてくれた。
 オーダーが済んでひと息ついたところで、彼が笑う。
「そういや、名乗るのが遅れたな。俺の名前は菱科(ひしな)(けい)
「あっ、確かにいろいろあってすっかり。私は新名(さち)と申します」
 私は深々と頭を下げた。
「幸さん。縁起のいい名前だね」
「そうですね。祖母の案だったようで、結構自分でも気に入ってます」
 柔らかく目を細める菱科さんに、ドキッとする。
 それから、運ばれてきた料理を前に口に運ぶも味わうどころでなく、頭の中では必死に話題を探っていた。どんな会話をしたらいいのかわからなくて。
 というのも、私にはこうして男性とふたりで食事に行くことなど、ほとんど経験がないからだ。大学時代は同級生と大勢で行くシチュエーションが多かった。
 唯一付き合ったことのある元恋人も、その同級生の中のひとり。そのため、今みたいな緊張感を経験したことがなかった。
 まして、菱科さんは紳士的なうえ、美しい容姿まで合わせ持つ、魅力的な男性だ。平常心でいろというほうが無理な話。
「急に手が止まったけど、思ったものと違った?」
 菱科さんに指摘され、慌てて笑顔を作る。
「え? あっ、違います。美味しいです」
「無理しなくても、もし苦手なら別のものを」
「いえ、本当に! 私、集中しすぎると同時にふたつのことができないんです。さすがに、車の運転とか歌いながら料理するとか、そのくらいはできますけど」
 私、なにを口走ってるんだろう。話せば話すほど墓穴を掘っている気がする。
 けれども、同時にふたつのことができない、というのは本当のこと。
 現に今も、どのように話を弾ませるべきかを考えすぎていて食事を疎かにしてしまっていた。
 彼は初め目を丸くしていたが、ふいに小さな笑い声をこぼした。
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