姉の身代わりでお見合いしたら、激甘CEOの執着愛に火がつきました
 本来は、身代わりだという気持ちで乗り込んだ縁談だった。でも、結果的に、菱科さんのおかげで、今こうしてがんじがらめになっていた自分から脱却しつつある。
 菱科さんは私の視線に気づき、相好を崩した。ふいうちの柔らかい表情にドキッとする。
「京くん、さっちゃんとの縁談のあとに病院まで来てね。さっちゃんに逃げられてしまったって少し落ち込んだあと、でももう少し頑張りたいって言ってたのよ」
「あー、その話は……」
 菱科さんがめずらしく気まずそうにもごもごとしている。
「私はね。京くんは、さっちゃんのいいところをちゃんとわかってくれているって感じていたから応援していたのよ。だから恋が実ったようで本当にうれしい」
 祖母の口から赤裸々に語られると、さっきまでとは比べものにならないほどの羞恥心だ。顔から火が出るほど恥ずかしい。
 しかし、ふと思い出す。
「縁談のあと、病院に? え……もしかして、前に連絡先を交換したとき?」
 菱科さんがばつが悪そうに笑う。
「あれは……驚いたな。まさか幸とばったり会うと思ってなかったから」
 あの日、祖母にそんな話をしていたなんて。
「ふふ。さっちゃん、少し前と比べて随分いい顔してるわよ。ひとりで背負ってたものを下ろせて、心に余裕ができたのね」
 祖母が頬を緩め、私の顔を覗き込みながら言った。
 それは間違いなく菱科さんのおかげだ。
 自分でも気づいていない些細な変化を人に指摘されると、途端に恥ずかしくなり咄嗟に俯いた。
 すると、祖母がさっきよりも元気のない声で話し出す。
「あのね。私がまた病気になってしまったせいで、まだ小さかったさっちゃんは頑張り屋さんになりすぎちゃったから、申し訳ないなあって思っていたの」
「え……」
「覚えてるのよ。十歳のさっちゃんが、入院することになった私に『なんでもひとりでできるから大丈夫』って言ってくれたのを」
 私も覚えている。元気そうに見えていた祖母が、実は病を患っていたと知った日のことだ。
 ずっと我慢して平気なふりをして笑って私と姉の面倒を見てくれていた。そう知った私は、今祖母が言ったように『大丈夫』とよく口にした。そうすれば、祖母の負担が減り、早く元気になれると思って。
 祖母は力なく笑う。
「大丈夫なわけがないってわかっていたけど、さっちゃんがあまりに懸命にそう言うから、
『ありがとう。頼もしいわね』って言ってしまったのよね」
 祖母は私の肩に手を置く。
「あれから、自分ひとりでなんとかしようって頑張って、人に頼ることが苦手になっちゃったのかなと思っていたの。うんと小さいときは私にも來未ちゃんにも甘えてべったりだった子なのにね」
 いつの間にか私よりも小さくなった、華奢な手。
「さっちゃんは、これから京くんと助け合っていってね」
 私は祖母の手を見つめ、得も言われぬ思いがこみ上げて、そっと手を握った。
「うん」
 祖母を安心させるために――そう思っていたことだった動機が、気づけば自分の意志となり、結果大切な人を喜ばせ、自身も心が温かくなる。
 それから、私たちは和気あいあいとお茶を飲みながら話に花を咲かせていた。

 小一時間ほど祖母と話をして、私は菱科さんを見送るために一度家を出た。
 菱科さんは愛車を解錠し、運転席のドアを開ける。
「本当にいろいろと衝撃的でした。それに、久東百貨店の社外取締役だったって……なんで今まで教えてくれなかったんだろ」
 私がつぶやくと、菱科さんは車に乗らずに私に向き直す。
「夫君含め、お祖母様も頼られる人だったようだけど、昔から自分の話より、幸やお姉さんの話を聞きたいから自分の話は後回しにしていたと、以前聞いたよ。自分の功績に執着しないところは幸と同じだな」
 小さい頃からずっと、祖母は私たち姉妹の話を相槌を打ちながら聞いてくれていた光景を思い出す。
 過去に思いを馳せていると、急に菱科さんが頭を下げる。私は慌てて意識を現実に引き戻した。
「幸、悪かった。お祖母様の経歴はともかく、今回の縁談や俺が幸を好きになったことを、本当はもっと早く話すべきだったとは思ってたんだけど」
「あ……いえ。あれですよね。私が冷静じゃない上、頑なだったせいですよね。なにせ縁談の日なんか逃げ去ったくらいですし……」
 あのときなら、きっとなにを言われても素直に聞き入れてなかった。
 菱科さんも、私の言葉に心当たりがあるようで、小さく笑う。
「確かに、幸の不安をひとつずつ取り除かないことには、落ちついて耳を傾けてもらえないかなとは思ったかな」
「分析力とお心遣い、感謝します……」
 首を窄めて小声で返すと、彼は顔を傾けて覗き込む。
「ともかく、これで幸は納得してくれた?」
 私はコクコクと首を縦に振る。
 菱科さんは満足そうに微笑んだあと、腕時計を確認した。
「さて。そろそろ出社しなきゃ」
「すみません。お忙しいのに、ありがとうございました」
 私が改めてお礼を伝えると、彼は笑顔で返してくる。
「俺がしたくてしたこと。幸の大切な人は俺にとっても大事だから」
 そういうことを、さらりと言える彼が好きだ。
 菱科さんは私の頭を軽く撫でて、目尻を下げる。
「仕事が終わったら連絡するよ。幸はお祖母様とゆっくり休んで」
 そう言って車に乗り込むと、颯爽と行ってしまった。
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