仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
 菱科さんが入り口のドアを開け、先へと促してくれた。私は会釈をして、敷居を跨いだ。
「わあ、すごい」
 店内は木の温もりを感じられる造りで、暖色のライトがなんだかぽかぽかと暖かく感じさせる。
 レジカウンターの周りには物販コーナーがあり、所狭しとコーヒーや紅茶、食器や雑貨まで並んでいる。その数、ざっと百種類以上はありそう。
 私は途端に隅々まで見たい衝動に駆られた。
 すると、店の奥からエプロンをつけた四十代くらいの女性がやってくる。
「いらっしゃいませ。こんばんは、菱科さん。いつもありがとうございます」
「こんばんは。今日は急な予約をお願いしてすみませんでした」
「いえいえ。どうぞ奥のお席へ」
 私は菱科さんに続いていき、店内の一番奥の席まで来ると、私は菱科さんの隣に座った。
 店内を改めて見てみると、テーブル席数は十席ほど。あとはキッチンの前にカウンター席が五つ。
 それから、テーブルに置いてあるメニュー表が視界に入った瞬間、驚いた。
「えっ。すごくリーズナブルですね……?」
 私にとってカフェの相場といったら、飲み物一杯は四百円前後のイメージだった。しかし、ここでは二百円程度のものが多い。
「リーズナブルにいろんな味が楽しめる、そういうコンセプトの店だよ」
 メニュー表をよくよく見ると、ついさっき見た銘柄のものに目が留まる。
「あれ? もしかして、レジカウンター付近に並んでいたお土産用のティーパックやドリップコーヒーが?」
「そう。豆からコーヒーを淹れてもらうこともできるけど、ここの売りはこの多くの種類の紅茶やコーヒーから選べるところ。ティーカップやカトラリーも取り寄せしてくれる」
「わ、それはあまり聞いたことがありません。面白いお店ですね」
 すっかり、このあと控えている予定も忘れ、メニューや店内に夢中になる。そこに、さっきの女性スタッフが、再びこちらにやってきた。
「こちらのお席です」
 女性スタッフの後ろから現れたのは美有さんだった。
 彼女はスタッフが去っていったのを確認してから、私を見て言い放つ。
「どういうつもり? その子がいるなんて聞いていないけど。大体、こんなところに呼び出すなんて。……もしかして、このお店をセレクトしたのはあなた?」
 美有さんは私に冷ややかな目を向ける。
 私は一瞬肩をすくめかけたけれど、気を持ち直して美有さんを堂々と見据えた。
 彼女の質問に対し、先に反応したのは菱科さんだ。
「ここに決めたのは俺だけど?」
「は? 冗談でしょ。どうしちゃったのよ。ああ、この子に合わせざるを得なくなったの? やっぱりやめたほうがいいわ。これまで積み上げてきたものがパアよ。一時の感情で知識もキャリアもなくすなんて」
「どうでもいいことをつらつらと……もう黙ってくれないか」
 菱科さんは眉根を寄せ、辟易したように淡々と返した。
 そして、オーダーを取ろうとして待っていたスタッフが気まずそうに尋ねてくる。
「あ、あの……ご注文はいかがいたしましょうか」
「いつものコーヒーをひとつ。幸は?」
「あっ。ええと、この一番上の紅茶を」
「かしこまりました」
 美有さんの言動はきっとスタッフにも届いていた。せめて表面だけでも、和やかな雰囲気を装おうと思って私が笑顔を振りまくも、心臓に悪い。
 すると、菱科さんが美有さんを一瞥した。
「社会人ならマナーくらい守ったらどうだ?」
「……彼と同じものを」
「はい。コーヒーはおふたつですね。お待ちくださいませ」
 美有さんはオーダーを終えると菱科さんの向かい側に座る。ピリついた空気が痛いほど伝わってきて、思わず息を潜めた。
 口火を切ったのは菱科さん。
「俺が君とマンションを選んだなんて事実はない。確かに物件を探している時期はスエヒロにお世話にもなったが、相談に乗ってくれていたのは末広さん……君の父親なのに、今回の幸に対する言動について説明願おうか」
 菱科さんのマンションは、美有さんは直接関わっていなかったんだ。
 事実を知り、ほっと胸を撫で下ろす。
 斜向かいに座る美有さんは、腕を組んで顔を背ける。
「さあね。私、怒ってるのよ。京が勝手に今の役職を選んだこと」
 菱科さんの指摘をスルーして、美有さんはあからさまに『不服だ』と態度に出してそう主張する。
「美有に許可を取らなければならない理由はない」
「都市開発を成功させるために、何度も一緒に出かけたじゃない。評判になりそうなシェ
フやバリスタのいるレストランやカフェを探して回ったわ。あなたの海外赴任も、現地の有名店と繋がりを作るためだと思ってた」
 美有さんは綺麗な顔を顰め、菱科さんに低い声で訴える。
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