仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
「それなのに、パートナーの私になんの相談も報告もなしに、久東百貨店のCEOになるなんて……!」
 菱科さんもまた、しかめっ面で長い息を吐いた。
「当時、祖父に頼まれて久東と都市開発の仕事をかけ持っていただけに過ぎない。俺はすでに、そっちの事業から離れている。そもそも、祖父の頼みを聞いたのも、将来的に久東百貨店に入ってもらう店をリサーチしていたからだ」
「嘘よ。久東百貨店のほうが手伝いだったはずでしょ? それが落ちついたらグループ本社に行くはずだって父が言ってた」
 そこに、「お待たせしました」と飲み物が運ばれてきた。
 本来ならコーヒーや紅茶のいい香りに頬を緩ませているであろう場面に、私たち三人はニコリともせず穏やかではない雰囲気だ。
 私はスタッフに会釈をし、菱科さんは「ありがとう」とお礼を言った。
 再び三人になったところで、菱科さんから話の続きを始める。
「都市開発事業の件は、祖父の意志であって俺の意志じゃない。祖父も一時的な協力でいいと承諾し、あとのことは俺に一任している」
「私を無下にしていいの?」
 ここまでのふたりの会話を聞いて、いろいろな事実が見えてきた。そんなときに、美有さんが不穏な空気を醸し出すものだから固唾を呑んで見守る。
「うちが所有する開発地の中には、久我谷グループが……久東百貨店だって新店舗や新事業で関わるものもあることは知っているでしょ? 京の態度によっては私が父に考え直すようかけ合うことだって可能なんだから」
 美有さんが半ば脅し文句みたいなことを言っているようで。不安になる。思わず横目で菱科さんを窺った。
 しかし、彼は常に凛然としてそこにいた。
 彼は優雅にコーヒーを口に運び、ソーサーにカップを戻す。そして、美有さんをまっすぐ見据えた。
「スエヒロが魅力的な立地の土地を所有しているのは承知している。だが極論、お客はそのサービスと提供するものの内容や雰囲気などに魅力を感じて足を運んでくれる。俺は長らく百貨店にいていろいろと見て経験してきた。自分の見解に自信はある」
「あはは。京、本気? わざわざ冒険しなくたって、その『魅力的な立地』を利用すればいいだけの話じゃない。私はそれを与えられる側にいるのよ?」
 確かに、好条件の場所に魅力的なお店があれば鬼に金棒だ。菱科さんの意見も理解はできるけど、さすがにこれは分が悪いかも……。
 ふたりの動向を見守る。相変わらず美有さんは余裕綽々と言ったところ。
 そんな状況でも、菱科さんは動じず、堂々と言い切った。
「不要だ。土地や地域が魅力的でも、そこを管理する人間に魅力がないなら、発展する未来が見えない」
 迷いなくばっさりと美有さんの言葉を跳ね除ける様に、部外者の私まで度肝を抜かれた。当然美有さんも目を大きく見開いて固まっている。
「ちょっ……なに言ってるの? 本気なの……?」
 美有さんが前のめりになって菱科さんを問い質すも、彼は黙ってまたコーヒーを飲むだけ。
 すると、彼女は突如私を睨みつける。
「ずっと黙っているけれど、あなたは彼になにを与えられるの? まさか〝愛〟とかむず痒いこと言わないわよね」
 急に半笑いで矛先を向けられ、さすがにたじろぐ。
「美有、いい加減に――」
 菱科さんの言葉に被せ、私は真剣に答えを返す。
「私が菱科さんにあげられるものは、尊敬の念と思いやりくらいかもしれません」
 彼女は初め、ぽかんとするものの、すぐに小馬鹿にしたように笑った。
「まあ。ずいぶん漠然としたものを……まるで小さい子どものプレゼントね」
「私はあなたの目には無価値な人間に映っているのかもしれない。でも、私が大好きな人たちが私を必要としてくれたら、私はそれで十分。多くを望みません。ただ、誠心誠意同じ気持ちをお返しするだけです」
 誰に笑われたっていい。私の大切な人たちにさえ届いていれば、それだけで。
 恥じることなく、私はまっすぐ美有さんを見続けた。
 そこに菱科さんが言葉を添えてくれる。
「価値観は人それぞれ。それを否定するつもりはない。だからこそ、俺は美有とは価値観が合わない」
 美有さんは納得いかないと言わんばかりに首を傾げた。
「は? そんなことなかったでしょ? 食の好みも似ていたわ。気になる店も一緒だったじゃない」
「綺麗で美味しい高級店は、確かに素晴らしいし話題にもなる。しかし、身近な雰囲気で楽しく過ごす店も、お客さんは同じように笑顔になると知っているか?」
 菱科さんが紡ぐ言葉から、ある光景が目に浮かぶ。
 それは、私がこれまで毎日のように見続けてきた、お客様との時間――。
 お客様のうれしそうに頬を緩める顔は、『綺麗だから』『美味しいから』『高価なものだから』と、決してそんな単純な理由だけじゃなかった。
< 60 / 66 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop