仕事に悪影響なので、恋愛しません! ~極上CEOとお見合いのち疑似恋愛~
「彼女は大学からの同級生でもあり、彼女の父親も交えて三人で会う時期もあったから、彼女と彼女の父親を呼び分けていただけなんだ。でも、配慮が足りなくて申し訳なかった。もうほかの女性を名前では呼ばないよ」
 ああ。いつの間にか私は菱科さんの言葉ひとつで、こんなにも感情が大きく変化するようになってしまった。彼の存在が、私の中でもう引き返せないくらいに大きくなっているのだと今実感する。
「はい。それにしても、菱科さんは彼女と仕事で会うかもしれませんし大丈夫でしょうか? 今日のこと、引きずったり……」
「多分もうしばらくは関わってこないはず。というか、そんな気持ちの余裕もなくなっただろうな」
「え?」
「彼女。昔からめちゃくちゃプライド高い人だから。社内の案件で知らないことがあったってだけでショックを受けたに違いない。それに……」
 菱科さんが言葉を止める。私は純粋に話の続きが気になって、ぽつりと尋ねた。
「それに?」
 菱科さんは数秒思案し、口を開く。
「いや。これはただの憶測だけど、レストランでもアパレルショップでも、上辺しか見ずにいれば、きっとそっぽを向かれ始める。やっぱり、どんな職業の人でも自分の腕や作品に愛情を持っている人についていきたいって思うものだから」
 そういう考えは、きっと私もこれまで心の中にずっとあった。
 お客様に寄り添うのと同じくらい、メーカーさんや商品ひとつひとつ、深く知って好きになりたいと。
「菱科さんは初めから今の仕事に夢を持って、頑張ってきたんですか?」
 私が突然尋ねた質問に、菱科さんは目を丸くする。
「その、本当に都市開発のほうに未練はないのかな……と」
「まあ都市を造っていくのもやりがいはありそうだけど、子どもの頃から百貨店に思い入れもあったしね」
 菱科さんの返答に、思わず興奮気味に同調する。
「それ、私も同じです! お祖母ちゃんに連れられてやってきた百貨店が、小さな頃の私にとって特別な場所で、特別な時間だったから」
 すると、菱科さんがくすっと笑う。
「俺も。母親が連れてきてくれて、母方の祖父……今の久我谷グループ理事長がレストランのデザートを別室まで運ぶよう手配してくれた」
「別室ですか。でも菱科さんのおうちならそうなりますよね。それは特別な思い出ですね」
「いや。俺もそのうちレストランで食べたくなって、わがままを言ったりもした」
「菱科さんが? わがままを? 可愛いですね。今は想像できませんが」
 大人の頼りがいのある菱科さんしか知らないから、そんなふうに小さなわがままを言ってお母さんやお祖父さんを困らせる姿を想像したらにやけてしまう。
 両手を口に添えて笑い続けていると、菱科さんはずいと顔を近づけてきた。
 私は驚いて、笑い声も止まる。
「可愛い? 本当に?」
「え? はい……」
 気に障ってしまったかな、と不安になるや否や、彼がニッと口角を上げる。
「じゃあ、わがまま言わせてもらおうか。今夜、このあと幸を独り占めしたい」
 低く甘い声でささやかれる。私はドキッとして、即座に返答できなかった。
「あ……ええと、はい。……どうぞ」
 多分、今私の顔は真っ赤だと思う。
 菱科さんが幸せそうに頬を緩めて見つめてくるものだから、恥ずかしい気持ちがますます膨らんでいった。
「あ、紅茶。冷めちゃったけど、美味しさはそのままです」
 ひと口飲んで話題を変えると、菱科さんは柔和な目をして私を見つめていた。
 その視線にもどぎまぎさせられて、私はもう一度紅茶を口に含む。
「俺は前から漠然と今の仕事がいいと思っていたんだと思う。それを決定づけたきっかけが――幸だ」
 ふいうちの告白に言葉が詰まる。
 不器用なりに頑張ってきた私を、そんなふうに思ってくれてうれしい。
「最高のご褒美をもらった気分です」
 涙目になりながら笑顔で答えると、菱科さんは、屈託なく笑っていた。
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