コリアンモンスター
宿題をあっという間に終わらせると鞄から文庫本を取り出して読み始める、レベルの低い日本人は嫌いだが日本の小説は大好きだ。おかげで友人などいなくても退屈する事はない、むしろ読書の時間を削られる事を考えるといない方が良かったとすら思う。
「オンニー、お腹すいたー」
いつの間にか帰宅していた麗娜から声を掛けられて時計に目をやると、すでに夜の七時を回っていた。集中すると二、三時間はあっという間に過ぎてしまう、読んでいた本を鞄にしまい家を出た。
聚楽は赤羽の駅前にあるので徒歩で十分ほどの道程だ。住宅街を抜けると商店街がある、居酒屋に八百屋、小学校にスナック、娯楽と教育を無理やり詰め込んだ場所は夜の時間になると酔客で溢れていた。
あまり小中学生が歩き回るような環境ではないが、暗い細道を歩くよりは人が多い分安全な気がする、この街は決して治安が良いとは言えなかった。
「オッムラッイスー、黄色と赤のー、オッムラッイス♪」
自作の歌を歌いながらマイペースに歩いていく麗娜を、通り過ぎる大人達が二度見しては笑顔になる、可愛らしい女の子、一様に同じ感想を抱いている事は想像に難くないが果たして、在日朝鮮人だと知っても同じ反応を示すのだろうか疑問だった。
商店街の入り口付近にガラス張りの喫茶店が見えてきた、聚楽の置き看板の奥にはショーケースに入ったサンプル品が並んでいる、パスタ、ハンバーグ、オムライスのサンプルはどれも食欲をそそられる代物ではなかった、喫茶店なのになぜかラーメンまである。
木製の扉を開くとカランカランとドアベルが鳴った、四人がけのテーブル五席とインベーダーゲーム三台は全て埋まっている、コインを積み重ねて熱中している所を見るとかなり散布しているようだ。
シルバーのトレイを持って歩くオモニが気がついて歩み寄ってくる、今年で三十五歳になるはずだが二十代でも通用しそうな見た目だった、麗娜はオモニにそっくりだ。
「遅かったね、お腹すいたでしょう」
空いているカウンター席に座ると、オムライスとカレーを頼んだ、オモニは一度裏に引っ込むとすぐに戻ってきて麗娜の横に腰掛けた。
「今日はなにしてあそんだの?」
二人に向けられた言葉だったが堰を切ったように麗娜が話しだす、その内容は日によって様々だったが、今日はとりわけジェユンがどれだけ自分の事を好きかを熱弁していた。
「ジェユンはハンサムだしねぇ麗菜、も好きなの?」
外では通名の麗菜と呼んでいるがちょくちょく混在するので本人も混乱しているのだろう。
「どうしよっかなぁ、まだ決めなくていい?」
本人はどちらの名前で呼ばれても反応する、子供のほうが順応性がある。
「そうだねえ、まだ決めなくて良いよ、成美ちゃんは?」
「宿題やってから本読んでた」
オモニは目を細めてうんうんと頷いている。優しいオモニ、少し怖いけど頼もしいアボジ、二人を悲しませるような事はしたくないし言いたくない。もしも自分が学校で差別を受けていると言ったらどうなるだろうか、オモニは泣いて、アボジは学校に乗り込んでくる姿が容易に想像できた。
朝鮮人は暴力的で野蛮人――。
自分なりに日本や朝鮮の歴史について勉強してみた、どちらかと言えばアジアを侵攻していった日本のほうが暴力的な気がするが実際のところは分からなかった、今度歴史についてハラボジに聞いてみるのも良いかも知れない。
「オジョウサンタチオマタセネー」
東南アジア系の濃い顔が急に現れたので椅子ごとひっくり返りそうになった、麗娜はキャッキャッとはしゃいでいる、最近は人手不足で日本人だけでなく国籍不明の外国人も数名働いていた、パチェラという名前はダイヤモンドという意味だと自慢していたので、すっかり覚えてしまった。
「パチェラー、ありがとうー」
麗娜はなぜかアメリカ国旗の旗がついたオムライスを受け取ると、スプーンを使って食べ始めた、続いて宣美のカレーが置かれる、レトルトなので味にブレがない。
「成美ちゃん、麗菜ちゃん、プリンたべるかい?」
ちょうど食べ終わるタイミングで声をかけてきたのはアルバイトの石川孝介だった、都内の大学に通う学生で週に三回くらいのシフトなのであまり会う事はない、俗的な言い方をするのであれば二枚目なのだろう、トレンディドラマから飛び出してきたようなルックスをしていた。
「食べるー」
「頂きます」
麗娜の声にかき消されて聞こえなかったかも知れないと思ったがどうして、プリンはちゃんと二つ運ばれてきた、孝介がこちらを見て微笑む、慌てて目を逸らすが耳まで赤くなっている事に気が付いただろうか、そもそも彼は私達が在日朝鮮人だと知っているのか、出来れば知られたくなかった。
「もー、孝介はキザねぇ」
すでにプリンを食べ尽くした麗娜がため息をついて呟いた。宣美も急いでプリンを食べ終えると苦いコーヒーを飲んで店を後にした、来た時よりもさらに賑わっている商店街を抜けると急に静かな住宅街に差しかかる。月明かりの中、麗娜の手を握るとでっかい豆腐のようなマンション目指して歩いた。
朝鮮人じゃなかったら何の不満もない日々なのに、ただそれだけ、日本で生まれ日本で育ったのに朝鮮人の血が流れているだけでビクビクしなければならない、いったい私が何をしたと言うのか、何もしていない、そもそもされたのはこちら側じゃないか、植民地にされ迫害され、母国から連れてこられて酷い目にあったのは朝鮮人の方だ、言いようのない不満は澱のように蓄積し、いつの日か爆発してしまいそうだった。
「オンニー、お腹すいたー」
いつの間にか帰宅していた麗娜から声を掛けられて時計に目をやると、すでに夜の七時を回っていた。集中すると二、三時間はあっという間に過ぎてしまう、読んでいた本を鞄にしまい家を出た。
聚楽は赤羽の駅前にあるので徒歩で十分ほどの道程だ。住宅街を抜けると商店街がある、居酒屋に八百屋、小学校にスナック、娯楽と教育を無理やり詰め込んだ場所は夜の時間になると酔客で溢れていた。
あまり小中学生が歩き回るような環境ではないが、暗い細道を歩くよりは人が多い分安全な気がする、この街は決して治安が良いとは言えなかった。
「オッムラッイスー、黄色と赤のー、オッムラッイス♪」
自作の歌を歌いながらマイペースに歩いていく麗娜を、通り過ぎる大人達が二度見しては笑顔になる、可愛らしい女の子、一様に同じ感想を抱いている事は想像に難くないが果たして、在日朝鮮人だと知っても同じ反応を示すのだろうか疑問だった。
商店街の入り口付近にガラス張りの喫茶店が見えてきた、聚楽の置き看板の奥にはショーケースに入ったサンプル品が並んでいる、パスタ、ハンバーグ、オムライスのサンプルはどれも食欲をそそられる代物ではなかった、喫茶店なのになぜかラーメンまである。
木製の扉を開くとカランカランとドアベルが鳴った、四人がけのテーブル五席とインベーダーゲーム三台は全て埋まっている、コインを積み重ねて熱中している所を見るとかなり散布しているようだ。
シルバーのトレイを持って歩くオモニが気がついて歩み寄ってくる、今年で三十五歳になるはずだが二十代でも通用しそうな見た目だった、麗娜はオモニにそっくりだ。
「遅かったね、お腹すいたでしょう」
空いているカウンター席に座ると、オムライスとカレーを頼んだ、オモニは一度裏に引っ込むとすぐに戻ってきて麗娜の横に腰掛けた。
「今日はなにしてあそんだの?」
二人に向けられた言葉だったが堰を切ったように麗娜が話しだす、その内容は日によって様々だったが、今日はとりわけジェユンがどれだけ自分の事を好きかを熱弁していた。
「ジェユンはハンサムだしねぇ麗菜、も好きなの?」
外では通名の麗菜と呼んでいるがちょくちょく混在するので本人も混乱しているのだろう。
「どうしよっかなぁ、まだ決めなくていい?」
本人はどちらの名前で呼ばれても反応する、子供のほうが順応性がある。
「そうだねえ、まだ決めなくて良いよ、成美ちゃんは?」
「宿題やってから本読んでた」
オモニは目を細めてうんうんと頷いている。優しいオモニ、少し怖いけど頼もしいアボジ、二人を悲しませるような事はしたくないし言いたくない。もしも自分が学校で差別を受けていると言ったらどうなるだろうか、オモニは泣いて、アボジは学校に乗り込んでくる姿が容易に想像できた。
朝鮮人は暴力的で野蛮人――。
自分なりに日本や朝鮮の歴史について勉強してみた、どちらかと言えばアジアを侵攻していった日本のほうが暴力的な気がするが実際のところは分からなかった、今度歴史についてハラボジに聞いてみるのも良いかも知れない。
「オジョウサンタチオマタセネー」
東南アジア系の濃い顔が急に現れたので椅子ごとひっくり返りそうになった、麗娜はキャッキャッとはしゃいでいる、最近は人手不足で日本人だけでなく国籍不明の外国人も数名働いていた、パチェラという名前はダイヤモンドという意味だと自慢していたので、すっかり覚えてしまった。
「パチェラー、ありがとうー」
麗娜はなぜかアメリカ国旗の旗がついたオムライスを受け取ると、スプーンを使って食べ始めた、続いて宣美のカレーが置かれる、レトルトなので味にブレがない。
「成美ちゃん、麗菜ちゃん、プリンたべるかい?」
ちょうど食べ終わるタイミングで声をかけてきたのはアルバイトの石川孝介だった、都内の大学に通う学生で週に三回くらいのシフトなのであまり会う事はない、俗的な言い方をするのであれば二枚目なのだろう、トレンディドラマから飛び出してきたようなルックスをしていた。
「食べるー」
「頂きます」
麗娜の声にかき消されて聞こえなかったかも知れないと思ったがどうして、プリンはちゃんと二つ運ばれてきた、孝介がこちらを見て微笑む、慌てて目を逸らすが耳まで赤くなっている事に気が付いただろうか、そもそも彼は私達が在日朝鮮人だと知っているのか、出来れば知られたくなかった。
「もー、孝介はキザねぇ」
すでにプリンを食べ尽くした麗娜がため息をついて呟いた。宣美も急いでプリンを食べ終えると苦いコーヒーを飲んで店を後にした、来た時よりもさらに賑わっている商店街を抜けると急に静かな住宅街に差しかかる。月明かりの中、麗娜の手を握るとでっかい豆腐のようなマンション目指して歩いた。
朝鮮人じゃなかったら何の不満もない日々なのに、ただそれだけ、日本で生まれ日本で育ったのに朝鮮人の血が流れているだけでビクビクしなければならない、いったい私が何をしたと言うのか、何もしていない、そもそもされたのはこちら側じゃないか、植民地にされ迫害され、母国から連れてこられて酷い目にあったのは朝鮮人の方だ、言いようのない不満は澱のように蓄積し、いつの日か爆発してしまいそうだった。