3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜
「……悪い。あんたの手冷たくて気持ち良かったから、つい」

俺はとりあえず冷静になろうと、掴んだ手を離して、小さく溜息を吐いた。

そして、これまでずっと躊躇っていたことを、今ここでケリをつけようと、意を決して拳を握りしめる。


「美守。俺が完治したら、その時はお前をもう専属バトラーから……」


外すと言おうとした途端、突然美守が首元に抱きついてきて、度肝を抜かされた俺は、その言葉を口にする前に思考回路が止まってしまう。

「……なっ!?」

信じられなかった。

こいつの今までの反応を考えると、こんな積極的な事が出来るなんて思いもしなかったから。

「おいっ、何なんだよ!?やめろ、離れろっ!」

勿論、抱きつかれるのは全く嫌じゃない。

けど、このタイミングでこんな事をされては、せっかく固めていた決意が崩れてしまう。
だから俺はそれを阻止するよう必死で抵抗する為に怒鳴った。

「嫌ですっ!離しませんっ!」

しかし、それにも負けないくらいの声量で、美守に勢いよく突っぱねられてしまい、俺の方が一瞬怯んでしまう。

「楓様がそんな辛そうな顔をしていらっしゃるから……。せめて、私を解任したいのなら、ちゃんと理由を説明してから正々堂々と仰ってください。じゃないと、納得出来ません!」

その上、思いっきり痛いところを突かれてしまい、これ以上の言葉が出てこない。
それならば、ここはもう押し通すしかないと、俺は歯を食いしばる。

「お前、良い加減に身をわきまえろ。とにかく、もうバトラーからは外す。客がそう言ってんだから従うのが当然だろ」

だから、冷めた態度で正論を突きつけ、精一杯対抗した。

というか、そこまで言うのなら、美守のこの腕を解いてとことんなまでに突っぱねればいいのに。

それが出来ないのは、まだ甘えたい自分を拭いきれていない証拠だ。

我ながら矛盾しているし、そんな自分が大嫌いなのに。

「従いません!それならいっそのこと私をクビなり左遷なりして、このホテルから追い出して下さい。じゃなきゃ、正当な理由がなければ私は楓様のお側を離れるつもりはありませんからっ!」

そんな俺の弱い部分に遠慮なく響いてくる、美守の駄々をこねるような苦し紛れの叫び。

泣いているのか。抱き締められているせいで表情が全く見えないけど、声と体が震えていて、嗚咽まで聞こえ始める。

何でこいつは毎回俺の事で泣くんだ。

しかも、従業員の分際でそんな事が出来る訳ないのは分かっているだろ。

しかも、俺が美守をここから追い出すなんて……。

完全に手放すことなんて、そんな事……。


「やめろ。やめてくれ……」


お願いだから、これ以上纏わり付かないでくれ。

このままだと、本当に弱い自分に取り込まれてしまう。

せっかく浅野家の力を手に入れる事が出来るのに。

これまで何ら問題なく計画が進んできているというのに。

これで身を委ねてしまえば、復讐の為にここまでしてきた事が。

俺の生きる意味が、全部壊れてしまう。


だから、弱々しくも必死に足掻く。

いい加減に解放して欲しくて。

未だ心に残るあの声から。

美守から。

その温もりは、俺にとってただの毒でしかないんだ。
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