3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜
__一ヶ月後。
研修を終えてから、ようやく私達に正式な異動の内示が発表された。
そこで言い渡されたのは、商業施設本部のリーシング営業部。
それは商業施設のテナント付けをするために市場の現状調査や分析、条件に合うテナント候補に営業し、契約するなど。優れた分析・洞察力と交渉術が必要となるこの会社の要の一つでもある重要ポストだ。
人付き合いが苦手なので、経理部や庶務課を希望していたのに、まさか営業担当になるなんて。
しかも、あの東郷楓と同じ配属先になるという更なる追い討ちに、私は入社して早々辞表を出そうか本気で思い悩んでしまった。
けど、苦労して大手企業に無事入社が決まり、それによって当分は親に好き勝手小言を言われずに済むので、ここは何とか踏み止まり、私は自分のデスクへと向かい荷物を広げた。
その向かいには、私と同じように黙々と作業を続ける東郷君。
同期で同じ部署へと配属されたというのに、この男は私に挨拶どころかこちらには一切目もくれない。
例え研修中に一言も話さなかったとはいえ、流石にここでは何かしらの一声があってもいいのではないかと待っていたけど、一向に話し掛けようとする素振りがないので、私は諦めたように小さくため息を吐いた。
「同期の白鳥です。今日からあなたと同じ部署で働くことになるので、よろしくお願いします」
大手企業だけあり、同期生の数も多いので、認識されていないことを考慮して、とりあえず愛想を抜かした軽い自己紹介をしてみると、ようやくこちらに視線を向けた東郷君とばっちり目が合った。
初めて真正面から見た彼の顔はやはりお人形みたいに整っていて、少し吊り気味の大きな琥珀色の瞳からは、何故だかただならぬ圧を感じる気がする。
「…………ああ」
それから、ようやく初めて口を開いたかと思うと、よろしくの挨拶もなく一言で終わらせた挙句、すぐさまこちらの存在を無視して作業を再開し始める始末。
そんなあまりの社交性のなさに、この男は財閥家の御曹司云々の前に、まず社会人として欠落しているのではと徐々に腹が立ち始めた時だった。
「東郷君、白鳥君机の整理は一段楽出来たかな?今日からよろしくね」
私達の元に部長が直々に挨拶に来て下さり、まさかの待遇に、私は少し緊張した面持ちで頭を下げる。
「特に、今年は東郷代表の御子息が来るっていうから、こちらも何だか気が張ってしまうよ。君達は今期の中でも優秀だって言われてるから、これからの活躍を大いに期待しているからね」
やはり、流石は御曹司。おそらく彼が居なければ配属初日に新人如きが部長から激励の言葉を頂けるなんてことはないのだろう。
こんな愛想皆無の礼儀知らずなくせに何て良いご身分なのだろうと呆れ返っていると、突然東郷君は今まで一度も見せたことがない程の満面の笑みを浮かべて、部長に対して深く一礼をした。
「東郷家のことは忘れて、私のことは一社員として見て下さい。ここでは基礎を学ばせて頂き、ご期待に添える成果を収めていけるよう精進して参りますので、よろしくお願いします」
そして、自信に満ち溢れた目をしながら、何とも礼儀正しく挨拶を返したのだった。
……何だ、この男は。本当に同一人物なのだろうか。
まるで白昼夢でも見ているかのように、目の前の光景が信じられず、私は開いた口が塞がらない。
当然ながらに気を良くした部長は、その後笑顔で私達と握手を交わすと、そのまま持ち場へと戻っていった。