3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜
「そもそも、あの女はどんなにいい条件を提示したって首を縦に振るつもりなんて始めからなかったんだよ。だから、その無駄な意地を体を使って振り払っただけだ。それが何か問題でも?」

暫しの間沈黙が流れる中、彼は急に鼻で笑うと、相手をしている間に彼女の本音を聞き出したのか。遠い目をしながら打ち明けてくれた話に、私はそれ以上責める事が出来なかった。

もし、彼の言う事が本当だとしたら、この商談は元々絶望的なものであって、それをこの男の犠牲によって成立させたものなら、寧ろ先輩のように感謝するべきなのだろうか。

なんて、そう譲歩し始めていく自分がいて、私は段々と頭が混乱し始めていく。

「まあ、お陰で俺の成果に繋がった訳だし、この分なら昇任も目前だろう。悪くない取引だったな」

すると、そんな考えを蹴散らすように、これまた信じられない彼の腹黒さを垣間見た私は思わず一歩引いてしまった。

まだ二年目だというのに、もうそんな考えに至って動いている彼の貪欲さに圧倒されてしまう。
確かに、いずれは後継者のうちの一人になる人間なので、昇任することは必要不可欠なのだろうけど……。

「そんなに早く昇任したいわけ?」

昇任意欲皆無の私には彼の心理など分かるはずもなく、ついそんな質問を投げてしまう。

「…………ああ」

けど、私が求めているような詳しい返答はなく、暫く口を閉ざした後、彼は一点を見詰めながら静かな口調で一言そう答えただけだった。

「そろそろ戻るぞ。契約成立したならさっさとこの案件は終わらせないとな」

そして、これ以上詮索されたくないのか。
東郷君はまだ半分くらい残っている煙草の火を消すと、足早に喫煙所を出て行ってしまい、私は慌ててその後を追いかけた。


一先ず、成果云々やこの男の所作は置いといて、重大案件が無事に片付き、これで終電レベルの残業から解放されたかと思うと気持ちが少し楽になる。

おそらく何もなければ今日は定時に帰れそうなので、久しぶりに余裕のある時間をどう過ごすか思考を巡らせながら、通路の突き当たりを曲がった時だった。


「…………あ」

前方からこちらの方へ歩いて来るある人物が目に留まり、私はそこで思わず背筋をピンと正した。

その人物とは、この会社のもう一人の後継者候補である東郷家長男の東郷竜司だった。
確か東郷君とは歳が三つか四つくらい離れていて、今は金融の方を担当していたような。

長男とあって、どちらかといえばこちらの方が次期代表となる可能性が高い人間なので、私は妙な緊張感を覚えながら失礼のないように、とりあえず黙礼する。

しかし、私達には一切目もくれず、まるで存在していないかのようにそのまま黙って通り過ぎてしまった。

私はそんな彼の振る舞いに、一瞬自分の目を疑う。

私だけならまだしも、彼にも弟である東郷楓が居るのにも関わらず、挨拶すらないなんて。

もしかしたら仕事とプライベートで分けて接したいというなら理解出来なくもないけど、それにしては家族に対してあそこまで冷たい態度はいかがなものなのかと思うけど……。

そう思いながら、隣を歩く東郷君の横顔を覗いてみると、彼も彼で全く気にする素振りもなく、何事もなっかたように涼しい顔をしている。

この兄弟は一体何だろうか。

「……ねえ、東郷君はお兄さんと仲悪いの?」

まるで赤の他人とすれ違ったような二人の態度が腑に落ちず、私は余計な詮索だと思いながらも、聞かずにはいられない衝動についそんな疑問を口にしてしまう。

「そもそも家族として見られてないし」

しかも、もう少し軽い回答が来るのかと思いきや、想像以上の重たい話をさらりと言って退けた彼に、私は驚愕の眼差しを向ける。

「それ意味が分からないんだけど?」

深く踏み込むつもりなんてなかったけど、このまま彼の発言を放置するのも何だか変な気分なので、私は構わず突っ込んだ質問をする。

「俺は親父の浮気相手から生まれた子供で、訳あって引き取られたんだ。だから、あの家で俺を家族だと思う人間は一人もいない」

すると、まるで冗談を言われたような信じ難い話に、私は思わず進めていた歩を止めてしまった。

確かに、これまで人に対して無関心過ぎるし、恐ろしいくらい性格に裏表があるし、枕営業を最も簡単にやってのけるし、この男の人格は一体どうなっているのか疑問に思っていたけど、そんな悲惨な人生を歩んでいたとは。

しかも、家族だと思う人間が一人もいないなんて、仮にも父親は血が繋がっているのに、十分に愛されなかったということなのだろうか……。

思わぬところで知ってしまった、彼の裏事情と東郷家の闇に普通なら同情心でも見せてあげれば良かったのかもしれない。

けど、そんな重た過ぎる話に部外者である私が掛ける言葉なんて見つかるはずもなく、当の本人もあっけらかんとしているので、一先ず何事もなかったように私は無言のまま再び彼の隣を歩いた。
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