3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜
「……あの主任は何をやらかしたの?」
案の定。
後をついて行くと、東郷課長は休憩所の隅にある喫煙所で一人一服していたので、私はその隙を狙って、部下ではなく同期として遠慮なしに尋ねてみる。
「何だ?見てたのか」
「あなたが真ん前の席に置いたせいで、嫌でも全部丸聞こえなのよ」
この男は分かってて言ってるのか。白々しく薄ら笑いを浮かべる顔付きが憎たらしく、私は睨みを効かせて嫌味たっぷりに言い返した。
それから、彼は煙草の煙を一回吹かせた後、深い溜息を吐くと気怠そうな面持ちで遠い目をする。
「あいつはこの数日残業時間を水増ししてたんだよ。人数が多いからバレないとでも思ってたんだろうな。だから、今抱えてる案件が片付いたらこの部署から追い出すって伝えたんだよ」
一体どんな不祥事かと思えば、何ともせこい話に、私は唖然としてしまった。
仕事のやり方もさることながら、勤怠の不正だなんて違法行為であり、確かにそれはもう救いようが無い。
それよりも、ここは総勢百人は軽く越す大規模部署なのに、個々の勤務時間まで全て把握していることの方が驚きだった。
それは管理者としては当たり前なのかもしれないけど、これぐらいの規模になるとそう簡単に出来るものでは無い。
本当にどこまでも抜け目がなく、恐ろしい人間だと私は改めてそこで思った。
「それで、その人を何処に飛ばすわけ?」
主任男性の人事権は本来なら人事部にあるけど、おそらくこの男なら思い通りの所に操作してしまうのだろう。
そう確信した私は単刀直入に突っ込むと、東郷課長はその質問に対し突然鼻で笑ってきた。
「そんなの資料部屋に決まってるだろ」
そして、人を小馬鹿にするような目を向けると、予想通りの返答をしてきたので、そんな彼に対し私は密かに肩を落とす。
資料部屋とは別名解雇部屋。
仕事内容は主に社内で保有している資料の保管管理だけど、現在は全て電子化されているので主にあるのは過去のファイルであり、正直あまり活用することは無い。だから、居てもいなくてもどちらでもいいし、とても閉鎖的で周囲からは白い目で見られる。
その上、その部署にいる以上は昇任する事が出来ず、昇給もないし、引っ張りがない限り異動も出来ない。
なので、大抵の人はその環境に耐えられず辞職を余儀なくされるので、そこに配属になるという事は、ほぼ解雇されたも同然の話だった。
「確かあの主任って、最近二人目が出来たって聞いたけど……相変わらず容赦ないわね」
そんな事を仕出かした本人が全て悪いのは重々承知だけど、奥さんと子供のことを考えるとほんの少しだけ同情心が湧いてこないでもない。
「それがどうした?マイナスになる人間を切り捨てるのは当たり前だろ。特にここは在勤年数ばかり食ってるだけのポンコツが多すぎる。……まったく、海外事業舐めてるんだか知らないけど、足を引っ張る奴に情けは不要だ」
確かに彼の言い分は間違いではない。でも、その後のフォローぐらいはあっても良い気がするけど、人の首を切ることを屁でも思っていないような神経外れたこの男にそんなことを言っても全くの無駄なのだろう。
「それにしても、せめて案件が終わってから伝えるでも良かったんじゃない?」
即厳重注意することは必須だけど、左遷宣言までされては、おそらくもうあの主任男性は仕事どころではないはず。もしかしたら、この部署にいることもままならいかもしれない。
水増し時間を認識しているのなら、どのみちその残業代は認められない訳だし、宣告するならもう少し猶予を与えてからでもいい気がして、とりあえず同期として意見してみる。
「相手の話を鵜呑みにするような奴の仕事なんざ鼻から期待していない。改善する見込みもないし、それならさっさと離脱して貰った方がこっちも楽だ」
けど、人を駒でしか考えていない奴にそんな事を言ってもやはり無意味だったと、私は全てを諦めたような目で彼を見た。