3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜

それから、結局あの主任男性は仕事を完遂させないまま一週間後に突然依願退職をしてしまった。

おそらく、資料部屋に左遷されることは主任男性も自ずと分かっていたのと、自分の不正が周囲にバレることを防ごうとしたのかもしれない。

退職理由も身内の病気だか何だか、無理矢理こじつけたようなものだったけど、そうでは無い事は部内の半数は気付いていた。

そしてこれを機に、この部署内に再び緊張感が走り、今度はその矛先が自分に向かないよう、皆東郷課長に認めてもらう為必死に働く。


こうして季節が幾つか過ぎた後、この部署内には以前に比べて新しい顔触れが増えて、今まで慢性的に流れていた仕事も、背後にいる冷徹鬼課長の存在により、活気溢れるようになっていったのだった。






「コーヒーフラペチーノとホットアメリカーノ、店内でお願いします」

時刻は丁度二時を回ったところ。
私はカフェのレジで二人分の飲み物を注文した後、受取口へと向かいその場で待機する。

今日は珍しく東郷課長の出張に付き合う事になり、打ち合わせ時間まで少し余裕がある私達は、駅近のカフェで時間を潰す事にした。

こうして彼と二人でお店に入るのは、リーシング部門の時から何度かあるので、特に抵抗感はない。
しかも、向かい合って座ってもお互い会話をするタイプでは無いので、思い思いの好きな事に集中出来るため、どちらかと言えば一緒に居て気楽な方だった。

「どうぞ」

出来上がった飲み物を受け取った後、テラス席へ戻ると、私は彼が頼んだアイスコーヒーを渡して、自分も席に座る。

相変わらず、お礼も何も言わず、彼は自前のタブレットに目を向けたまま無言でそれを受け取り、足を組みながらブラックコーヒーをゆっくりと口に運んだ。

私も時間潰しの為に持って来た書籍を読もうと、鞄から本を取り出そうとした時だった。


「ねえねえ、お兄さんって男の人なの?それとも実は女の人なの?」

突然私達のテーブル脇から幼稚園児くらいの男の子が顔を出して来て、不意をつかれた私は危うく手に持った本を落としそうになってしまった。

流石の東郷課長も予想外の出来事にかなり驚いたようで、目を丸くして男の子の方へと視線を向ける。

「…………は?何だ?」

しかも、子供相手だと言うのに、私達に向けるような冷めた目で挑発的な態度をとる配慮無視な彼の振る舞いに、私は内心呆れ返ってしまう。

「この人はこう見えて男の人だよー」

私も子供は大の苦手だけど、ここはしっかり対応しなければと。人生の中で一番苦痛と感じる自分の中で精一杯の猫撫で声を出して、何とか作り笑いを浮かべてみせた。

「嘘だあ。だってお母さんやお姉ちゃんより全然この人の方が綺麗だよ。やっぱり女の人なんじゃないの?」


…………このクソガキめ。


思いっきり痛い所を付かれ、危うく本音が漏れそうになるのを私はすんでのところで堪え、引き攣った笑いでその場を濁す。

「こら圭太!ダメでしょっ!すみません、この子好奇心旺盛過ぎて、大変失礼致しましたっ!」

すると、今度は母親と思われる、髪の短い女性が慌てて私達のテーブルまで駆け寄ると、男の子の腕を引っ張り勢い良く頭を下げた。

「いえ、お気になさらず」

……いや、めちゃくちゃ気にしてますけどね。
なんて、言えるわけもないので、私は体裁を整え大人の対応をする。


「ねえ、お母さんやっぱりあの人女の人だよー。近くで見たらすっごい綺麗だったもん」

「だから、違うって言ってるでしょ!そんな事ばっかり言ってたら三時のおやつはなしにするわよ!」

「えー!それはやだぁ!」

去り際でも納得していないようで、文句を言い続ける男の子を宥める母親も何だか威勢の良い人だなと。

まるで嵐のように去って行く親子を見送りながら、女性だと連呼され続けた少し気の毒な同期に目を向けた瞬間、私は自分の目を疑った。

一体どれ程不服な表情をしているのかと思いきや、予想に反して東郷課長はとても穏やかな笑みを浮かべながら親子の背中をじっと見続けている。
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