3121号室の狼〜孤高な冷徹御曹司の愛に溺れるまで〜
そうして、ついに迎えた終業時間。
私は、はやる気持ちで更衣室へと向かい、急いで着替えを済ませてからホテルのロビーへと向かった。

あれから何も連絡はなく、迎えに行くとはっきり言われたわけではないけど、自分の中で確信めいたものを感じていて、ロビーの椅子に座りながら彼が到着するのを今か今かと待ち続ける。

一体彼がいつここへ来るのか予定は全く分からないけど、今は待ち時間なんて気にならない程、頭の中は楓さんのことで一杯になり、心臓は今にも飛び出しそうなくらい激しく脈打つ。

もし、本当にこれから彼に会えるとしたら、先ずは何て言おうか。

会いたかった。嬉しい。ありがとう。

どの言葉も同じくらい想いが強く、どれを選べばいいのか整理が出来ない。




「あれ?天野さんまだ帰ってなかったんですか?」

すると、頭の中が混乱している中、突然背後からまだ勤務中である宮田さんに声を掛けられてしまい、思わず肩が大きく震えた。

「……あ。えと……その……」

まさか、彼女に見つかるとは思ってもいなかったので、私は何て返答しようか言葉につまり、しどろもどろになりながら視線を泳がす。

宮田さんは私達の事情を知っているから別に隠さなくていいとは思うけど、今はこの時を誰にも邪魔されたくなく、触れて欲しくもない為、私はこの場を何とか誤魔化そうと口を開いた時だった。


「美守!」


ほぼ同じタイミングで遠くの方から名前を呼ばれ、私はその声がした方向に彼女のことも忘れて思いっきり振り返る。

そして、目の前に映ったスーツ姿のある人物を見た瞬間、これまでの緊張の糸が緩み出し、そこから段々と目に涙が浮かび始めていく。

「え?天野さんあの人誰ですか?やば過ぎるくらい超美形なんですけど!?」

そんな動揺する私の様子に全く気付いてないようで、宮田さんも目を大きく見開きながら同じように目の前の人物を凝視する。

そうこうしている内に、彼は無表情のままこちらへと近付いてきて、私は何も言えないまま、ただその場でじっと立ち尽くす。

もう何も聞こえない。彼女の声も、周囲の雑音も。

今私の世界に存在するのは彼ただ一人だけ。

ずっと待ち焦がれていた、愛しい人。


「楓さんっ!」


やっとその人物の名前を口に出来たと同時に、楓さんの手が突然伸びてきて、私は包まれるように彼にそっと抱き寄せられる。
そこから伝わる彼の温もりと、香水ではない自然な良い香り。

この感覚を、一体どれだけ求め続けていて、どれ程に欲しかったのだろうか。

これまで夢に見ていたことが、ようやく現実となり、私は人目もはばからず楓さんの背中に両手を回し、これまで我慢していた想いを今ここで全部吐き出すように思いっきり泣いた。

「……待たせて悪かったな……」

そんな私の頭を宥めるように優しく撫でながら、楓さんはとても穏やかな口調でそう囁く。

それからどれぐらい時間が経ったのかは分からない。
暫く私達はそのまま何も言わずに抱き合っていると、気付けば宮田さんの姿は見えなくなっていて、思考回路が落ち着き始めた頃、段々と周囲の視線を意識するようになってきた。


「と、とりあえず場所変えましょうか?」

そして、ようやく自分の置かれている状況が理解出来るようになり、今更ながらに恥ずかしい気持ちが込み上がってきて、私は楓さんから離れると、全身に熱を感じながら視線を足下へと落とす。

「それなら地下に車停めてあるから、一旦そこで」

楓さんは私の手を握ると、終始落ち着いた様子で静かにそう促すと、一先ず私達は地下駐車場へと向かう為、ロビーの外へと出て行く。
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