その恋は、古本屋「夢幻堂」にて。
初恋相手は幼なじみの従兄弟
初恋相手は幼なじみの従兄弟
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詩side
10月上旬。
だいぶ暑さが落ち着いて、高校の制服を長袖に衣替えした翌日。
私・葉山詩が、セーラー服のリボンを弄りながらリュックを背負い向かうのは、幼稚園からの幼なじみである倉野樹李の家だ。
も〜あの寝坊助!
樹李が迎えに行くって言ったから待ってたのに、全然来ない!
このまま待ってたら学校遅れるし、面倒だけど遅刻したら可哀想だし樹李の様子見てかないと!
そして1分もしないうちに着いた、樹李の家。
インターフォンを鳴らし顔を出したのは、スーツ姿の樹李のお母さんだった。
どうやら出勤直前らしい。
「おはよう、樹李ママ」
「おはよう詩ちゃん。ごめんね、樹李今さっき起きて……」
やっぱり。
でも起きたのなら問題ない。
遅刻はしないはずだ。
「そっか。じゃあ私、先に……」
「あっ、ちょっと待って詩ちゃん。詩ちゃんに渡しておこうと思ったものが……数秒だけ待っててっ」
と言って、樹李ママはリビングへ走っていった。
渡したいもの?
なんだろう?
そして本当に数秒後。
また走って戻ってきた樹李ママの手には、1枚のチラシがあった。
「これ、私の兄の息子くん……つまり、樹李の従兄弟がやってる古本屋のチラシなんだけどね。あまりお客さんが来ないから、チラシ配ってくれってお願いされちゃって。詩ちゃん本読むの好きでしょ?だから、丁度いいと思って」
「古本屋……!」
私はその言葉に目を輝かせた。
私は幼い頃から本を読むことが好きで、最近は特に一昔前の小説にハマっている。
そんな私の元へ運命の如くやってきた情報に、私は学校のことを忘れて夢中になる。
「私前行ってみたの。そしたら、お店はやっぱり少し古いんだけど、雰囲気があってとっても素敵な本屋さんだったわ。だから良ければ行ってみてね、詩ちゃん」
「うんっ、ありがとう樹李ママ」
そして私は、樹李のことなんか気にも留めずに、ルンルンで学校へ向かった。
放課後。
チラシの隅に書いてあった地図を頼りに、古本屋へ行ってみることにした。
どんな古本屋なのかな?
楽しみっ。
胸の高鳴りを覚えながら、2-2と書いてある靴箱の前で靴を履き替える。
革靴を履き、いざ行こうと制服のポケットからチラシを取り出した時。
「詩!」
背後から、私を呼ぶ声が聞こえてきた。
この声は……
「樹李」
「これお前に……」
「あっ、ごめん!私今急いでるから、また後にでも!」
「は、ちょ、おい!」
今の時刻は16時過ぎ。
地図からして、ここから古本屋までは徒歩で30分近くはかかる。
それに対し、お店の閉店時間は19時。
今日は、どんな本が置いてあるのかだけでも、知りつくそうと思っている。
でも帰るのが遅い時間になってもダメだから、なるべく早く行きたい。
だからごめん樹李!
でも今日の朝寝坊したんだから、それでチャラね!
私は少しでも早く着くために、小走りで向かった。
無事、到着……の一歩手前。
私は今、四葉商店街の入口に立っている。
どうやら、この商店街の中にあるらしい。
でも、なんか……
人気(ひとけ)無さすぎじゃない!?
ちょっと、怖いかも……
でもやっぱり気になる!
そして、私は勇気を振り絞って商店街の中へと入った。
数分後。
一角に、それらしきものが見えてきた。
看板や木製の引き戸は所々色褪せており、映える見た目では無い。
しかし、周りのお店には全てシャッターが下ろされている中、その古本屋には温かな光が灯っていた。
「夢幻堂……」
看板にあるその3文字は、チラシに書いてある名前と同じだ。
ついさっきまで商店街の静けさに怯えていたのに、夢幻堂に足を踏み入れると、なんとも言えない安心感に包まれた。
そこにはたくさんの四角い世界が並べられており、一昔前の木の香りや本の香りに、心が落ち着く。
でも、それよりももっと惹かれたのが。
「あれ、珍しい。学生さん?」
5冊ほど小説を持ちながら棚の奥からやってきた、樹李の従兄弟らしき人の、声だ。
頭がふわふわするような、カーテンの隙間から差し込んでくる朝日のような、そんな声。
なんだか、不思議な気持ち……
「いらっしゃい」
「っこ、こんにちは」
その人のオシャレな丸メガネの奥に見える優しい眼差しからは、人柄の良さが伺える。
そして、キャラメルブロンドの髪の毛はセンター分けにしてあり、動くたび外に跳ねている部分がふわりと揺れて。
穏やかな顔立ちに対し長身で、そのスラッとした佇まいに深緑のエプロンが似合っている。
いかにも、優しい大人の人、という感じだ。
オシャレで、かっこいい……
「あの、私、倉野樹李の幼なじみで、従兄弟の方がこの古本屋をやられてるって聞いて……」
そう言うと、その人の視線は私の手元にあるチラシへと移った。
「あ、そのチラシ……それに樹李くんの名前が出てくるってことは、もしかして春菜さんから?」
春菜さんとは、樹李ママのことだ。
「はい、そうです。私昔から本を読むことが好きで、気になって来てみたんです」
「そっか、来てくれてありがとう。それと、本を好きになってくれたことも。俺も本が好きだから、その気持ちが嬉しいよ」
「あ、えと、はい……っ」
なんて返せばいいのか分からなくて焦ってしまった。
でも、そこまで言ってもらえるなんて、なんだか照れる。
そこから私たちは、他愛のない会話を続けた。
「俺は木澄菖。去年大学を卒業したばかりで、今年で23歳になるよ。だからこの夢幻堂も、82歳までやられてた先代の方から継いで少ししか経ってないんだ」
「そうなんですね……って、えと、私は葉山詩と言います。さっきも言った通り樹李とは幼なじみで、今高校2年生です」
「ってことは16?」
「あ、17です」
「そっか〜、いいねぇ、若いねぇ」
いえいえ、木澄さんの方がうちのクラスメイトより全然若く見えます……
なんて心の声は閉まっておこう。
「ところで詩ちゃんは、なんで本が好きなの?」
詩ちゃん!?
その顔でちゃん呼びされたら破壊力がすごい……っ
“そういうこと”に免疫がない私は、それだけで内心ドキドキしてしまう。
それに勘づかれないように、私は必死に平静を装った。
「えっと…… 私、本とか物語って果てしないものだと思ってて。作者が伝えたいこととは別に、その物語から何を感じるかは読者それぞれだから、本の世界が広まって面白いと言いますか。例えその物語が完結していても、読み終えた時に……って、すみません。つい夢中になっちゃって……」
「なんで謝るの?いいことじゃん。夢中になれるとか、好きなものがあるって言うのは。それにさっきの詩ちゃん、目がキラキラしてて可愛かったし」
「か、かわ……!?」
もしかしなくてもこの人、天然の人たらしだ……!
自分に向けられる優しい笑顔に、やっぱりドキドキはやまなくて。
……いや、このドキドキは……
それだけじゃ、ない?
自分自身に疑問を抱いている私を置いて、木澄さんは話を続ける。
「うん。それも樹李の幼なじみで、しかも本好きな子に会えるなんて、今日はいいことあるかもね」
「今日……って、もう、夕方ですけど……」
「あははっ、確かにね。時計見ないし、ずっとお店の中にいると分かんないや」
「……っ」
笑顔、眩し……っ!
初めて声を出して笑っている木澄さんの様子に、私はつい見惚れてしまい、
「……あの、木澄さんて、付き合ってる方とかいらっしゃるんですか?」
気づけば私は、そんなことを口走っていた。
っ何聞いてるの、私……!
でも、こんなにかっこいい木澄さんの恋愛事情、気にせずにはいられない……
なぜ自分がそんなことを気にしているのか考えもしないまま、私は返答を待つ。
木澄さんは眉毛を可愛らしく下げながら、笑みを浮かべて言った。
「いやいや、そんなわけないよ」
そんなわけありますけど。
こんなにかっこよくて彼女さんいないなんて、不思議……
まぁ、人それぞれか。
そんなことを思っていると、木澄さんはこんなことを言ってきた。
「それと。木澄さんじゃなくて、菖でいいよ」
「えっ」
「名前で呼ばれた方が俺も嬉しいし、詩ちゃんと仲良くなれた感じがして嬉しいよ」
そしてニコッと天使の笑み。
そんな顔されちゃ呼ばずにはいられない……っ
でも呼び捨ては恐れ多いから……
「じゃ、じゃあ……菖、さん……」
「うん、ありがとう詩ちゃん」
そして、き……菖さん曰く仲良くなれた私たちは、そこから2時間ほど本について語り合っていた。
「あっ、私そろそろ帰らないと……」
「じゃあ送っていくよ。もうだいぶ暗いし、女の子一人じゃ危ないからね」
え、紳士?
もう菖さんの後ろが光ってるように見える……
私のためにそこまでしてくれるのはすごく嬉しい。
でも。
「まだ閉店時間まで時間が……」
19時まではあと20分ほど時間がある。
それなのに送ってもらうなんて、申し訳ない。
それでも菖さんは、変わらず温かい笑みを向けてくれて。
「この時間帯はもうお客さん来ないから。それに俺男だし、少しくらいカッコつけさせてほしいな、詩ちゃん?」
もう十分カッコイイですよ……この無自覚紳士め。
でもこんな子犬のような顔でお願いされて、断れるはずもなく。
菖さんのお言葉に甘えることにした。
「えっと、じゃあ、お願いしますっ」
「うん。じゃあ俺、お家に着くまで詩ちゃんの騎士だね、ふふ」
「っ………」
さっきまで騎士が出てくる小説について話していたから、きっとそれと繋げているのだと思う。
実は私は、密かに物語に出てくるお姫様に憧れている。
王子様に好かれて、キラキラ輝いている、お姫様に。
もし本当に菖さんが私の騎士だったら、毎日夢みたいに幸せだろうなぁ……
なーんて、考えてみるだけ。
でも今だけは、お姫様気分でもいいよね?
「じゃあお願いしますね、私の騎士さんっ」
「はい、お嬢様」
「……ふふ、あははっ」
「俺お嬢様なんて初めて言ったよ。ちょっと恥ずかしいね、ふふ」
ああ、私……
今が人生で1番楽しいかもしれない。
そんな幸せな思いを胸に、私は夢幻堂の閉店を手伝った。
商店街を出て、どこか寂しげな10月の歩道を進む。
しれっと車道側を歩いてくれている菖さんを、ついチラチラ見てしまう。
夢幻堂を出てハイネックの白いニットの上にコートを羽織った菖さんは、より一層かっこよくて。
これで彼女いないとかやっぱり信じられない……
そんな事を思っていると、私はあることを思い出す。
……あ、そういえば聞きたいことあったんだよね。
「菖さんて、どうして本が好きなんですか?」
菖さんはその問いに視線を少し下げながら言った。
「んー……実は俺、昔はあんまり本好きじゃなかったんだよね」
「えっ、そうなんですか!?」
「うん。こんなに都合のいいことがあるかーって。作り話だから普通のことなのにね。まぁ中にはノンフィクションのものもあるけど。俺昔、結構性格悪かったから」
「ええ!?」
それにはもっと驚き。
私の知っている菖さんからは、性格が悪い様子なんて全く想像出来ない。
菖さんは「あはは……お恥ずかしながら……」なんて言って苦笑いを浮かべている。
でも次の瞬間には、何かを愛しそうに思う瞳で、広い空を見上げた。
「でも、夢幻堂に出会ってから、俺は変わった。先代の方の温かい眼差し、本の香り、常連さんとの明るい会話。何か目的がある訳でもなく寄った夢幻堂に、俺は……うーん。恋に落ちでも、したのかな」
「っ……」
そう言った菖さんの表情が、何よりも綺麗で、愛しくて、夢幻堂に妬いてしまいそうになる。
……私、菖さんが好きだ。
菖さんと出会って2時間と少し。
私がこの気持ちに自覚をするまで、そう時間はかからなかった。
「先代の方がお店を畳むって言い出した時は焦ったなぁ。もうすっかり常連だった俺にとって、夢幻堂の存在は大きすぎたから。俺が大学を卒業するまで待って欲しいってお願いして……今俺が、夢幻堂を続けていけてる」
菖さんの夢幻堂への気持ちは、どれほど大きいのか。
その気持ちで埋まっている菖さんの心の中に、私が入り込める場所はあるのか。
こっちを見て欲しいと、望んでしまう。
まだ菖さんのことをよく知りもしないのに、生意気に。
私も今日、菖さん同様、夢幻堂の在り方に胸が高鳴った。
でも、菖さんの夢幻堂への気持ちと、私の菖さんへの気持ちを自覚した今、それを悔しいと思ってしまう。
私って、欲張りなのかも。
これじゃあ、皆が憧れるお姫様じゃなくて……わがままなお姫様じゃん。
チクリと痛む心を隠しながら、私は菖さんの話に耳を傾け続けた。
……本が好きな理由なんて、聞かなければ良かったかな。
色々な気持ちが混ざり合う、午後7時の帰り道。
「あっ、あれです、私の家」
「おっ、到着?なんかごめんね、長々と話しちゃって」
楽しいばかりじゃなかったけど、菖さんと居れて楽しかったのは事実。
「いえっ、菖さんのこと知れて、嬉しいです!」
私は曇りのないように気をつけながら微笑んだ。
そうして家の玄関に近づいていくと、人影があることに気がつく。
「あれ、樹李?」
「お、ほんとだ。樹李だ」
「詩と……菖?なんで……」
驚いた顔をしている樹李の右手には、今朝樹李ママから貰った夢幻堂のチラシがあった。
「もしかして樹李、それ私にくれようとしてた?ごめん、もう樹李ママから貰っちゃった」
「え、あ……なんだよ、そういう事か。来て損した」
「ごめんてば」
そんな私たちのやり取りを見ていた菖さんが、
「やっぱり幼なじみってこともあって、2人仲良いんだね」
なんて言ってくるから。
「違います!」
って大きい声で否定してしまった。
いくらよく喧嘩するとは言え、樹李のことが嫌いな訳ではない。
流石に樹李が可哀想だ。
「あ、ごめん、樹李……」
「別に」
何その可愛くない反応。
樹李は私と仲良くなくていいんだ、ふんっ。
樹李にも、理想とは程遠い性格の自分にもムカつきながら、私は菖さんにお礼をする。
「菖さん、今日はありがとうございました。絶対また行きますっ」
「そう言って貰えて嬉しいよ。こちらこそありがとう」
優しい……っ
ほんと、少しでも樹李と同じ血が流れてるのが不思議なくらい。
「ところで菖さんのお家って、どの辺なんですか?」
「1つ隣の駅の住宅街だよ」
「えっ、駅って反対方向じゃないですかっ。ごめんなさい、私のせいで……」
私をここまで送っていなければ、菖さんはもっと早く帰れたはずだ。
それなのに、菖さんは優しい言葉をかけてくれる。
「違うよ、俺が詩ちゃんが心配でしたことだから。詩ちゃんに何もなくて良かったよ」
「あ、えと……んふふ」
言われたことのない言葉に、なんだか体がむず痒くて、変な笑いが出てしまう。
私は菖さんと恋人になれたら……って思ってるけど、お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな、とも思う。
……いや、こんなに優しいお兄ちゃん、そうそういないよね。
なんてことを考えていて私はハッとする。
いつまでも引き留めていたら、菖さんに申し訳ない。
だから私は、“そういう雰囲気”にするよう、また菖さんにお礼を言った。
「菖さん、今日は本当にありがとうございました」
「いーえ。いつでもおいで、夢幻堂にいるから。またね、詩ちゃん」
そして私は、手を振って菖さんを見送った。
またね、またね……
どうしよう、心臓がうるさい。
遠くなっていく菖さんの後ろ姿から、私は目を離すことが出来なかった。