江戸の妖女、鳥居耀子
高く明るく澄み切った娘の声が音吐朗々と座敷に響き渡る。
「ゆうとぴあ、とます・もあ、りべりうす、うぇあ、ねう、みのうす……」
彼女の口から発せられる呪文のような言葉に魅入られたかのように、その場の男たちは身動き一つせず聞き入っていた。咳き一つ発しない。寝ているのではない。春の江戸は好天に恵まれ暖かな日差しが降り注いでおり、そんな中で開かれる外国語の勉強会ともあれば一人や二人あるいは三人以上の出席者が居眠りしそうなものであるが、彼らは聞き慣れぬ異国の言葉に真剣に耳を傾けていた。その表情には一様に驚きの色がある。当時の日本で最高の西洋語学研究集団である彼ら尚歯会の面々が読めなかった異国の書を、会合に飛び入り参加した美しい武家娘がスラスラ読みこなしているのだ。驚くなと言っても無理だろう。
やがて娘は読んでいた書物を閉じ可愛らしい笑顔を見せた。
「もっと続けましょうか?」
娘の横に座っていた渡辺崋山は目をぱちくりさせて言った。
「いや、もう結構です。本当にありがとうございました」
自分の子供のような年齢の娘に渡辺崋山は頭を下げた。三河国田原藩家老でありながら、その物腰には威張ったところがなく、ごく自然な態度で女子供に礼を述べる。彼は温和な性格の紳士だった。
ただし、それだけではない。彼は娘に尋ねた。
「およう殿、今の言葉ですが、らてん語ではございませんか?」
おようと呼ばれた美しき乙女は頷いた。それを見て出席者の一人で医師の高野長英が感嘆の声を漏らした。
「さすがは渡辺様だ、らてん語がお分かりなのですね。本当に勉強家でございますなあ」
渡辺崋山は微笑んだ。
「いいえ、分かっているというほどのものではありません。絵画の勉強のために異国の書物を読むのですが、そのとき我らが知っている蘭語(オランダ語)とは別の文章が書かれた文献があり、その注釈に<らてん語>と説明書きがあって、気になったもので色々と調べていたのです」
藩重役にして西洋の学問の研究者である渡辺崋山は画家としても有名だった。西洋絵画を独学で学び陰影の付いた画法や遠近法を習得することで、自らの画風を高めていた。
高野長英は出席者たちに言った。
「らてん語は解剖学その他の学問でも使われています。西洋の学問の根幹をなす言葉だそうです。蘭語だけでなく、らてん語も我々は研究するべきでしょう」
一同は頷いた。その一人で高野と同じく医師の小関三英が娘に尋ねた。
「およう様は、どこでらてん語を学ばれたのですか?」
おようの父は幕府の旗本で、江戸城の書庫に勤めている。そこには神君家康公の時代からの蔵書が収められているが、百年以上も前の書物には修復が必要で、それが彼女の父のお役目だった。父は城だけで仕事が終わらず蔵書を自宅へ持ち帰り作業を続けることがあった。ある日おようは父の机の上で修復作業中の異国の書を見つけた。らてん語の教本だった。子供向けだったので、とても分かりやすく、父が修復を終えて城の書庫へ収めるまでの間に、彼女はらてん語の基礎を知ることができたのだった。
「ですから、らてん語を読めるだけで、意味まではわかりません」
おようの言葉を受けて、小関三英が言った。
「私はらてん語を読めませんが、先程およう様が読まれた、ゆうとぴあ、そして、とます・もあ、という言葉には聞き覚えがございます。西洋世界では、広く知られているようです」
高野長英が尋ねた。
「どのような意味なのですか?」
小関三英が答える。
「ゆうとぴあは、どこにもない理想郷という意味です。そして、とます・もあは……」
「とます・もあは?」
「ご政道を批判して処刑された学者のようです」
その場の空気が凍った。尚歯会の会員の中には徳川幕府の政治を批判している者が何名かいたのである。
その一人というか代表格が高野長英である。彼は『夢物語』という書物を匿名で著し幕府の鎖国政策を批判した。
もう一人が渡辺崋山だった。彼も同様に幕政批判の書『慎機論』を書いている。
ちなみに小関三英は、発表していないがキリスト教の研究書を執筆中だった。幕府はキリスト教を禁じている。執筆中の本の内容が発覚すると処罰される恐れがあった。
恐れ知らずの自信家である高野長英はカラカラと笑った。
「匿名の人間の色々な意見があるということで問題はございませんよ。問題なのは幕府の外交政策です。鎖国は危険です。いずれ西洋国家が日本に開国を迫ってくるでしょう。鎖国を盾に開国を拒否したら、西洋諸国が激怒して日本を攻撃してくることが予想されます。そうなったら、日本に勝ち目はないでしょう」
穏やかな人柄の渡辺崋山が同意する。
「そうなったら、無駄な血が流れる前に開国すべきでしょう。それが嫌なら海防体制を急いで構築すべきです。ただし、これには大金が必要です。それで破産する藩が出てくるかもしれません。しかし軍備を増強しないことには、日本は守れません」
海に面した田原藩の家老である渡辺崋山は外国船の接近に備えた沿岸防衛計画を作成する立場にあった。外国船との砲撃戦に勝つためには強力な大砲が要る、しかし日本の技術力では作れない……そんなジレンマを日々感じているのである。
高野長英は腕組みをした。
「日本を滅ぼすのは外国ではなく幕府ではないかと自分は考えています。西洋の学問を否定し、その優れた科学技術を目の敵にする守旧派こそ、日本の真の敵なのだと」
渡辺崋山は、うっすらと伸びてきた顎髭を撫でてから言った。
「その総帥が幕臣の鳥居耀蔵殿でしょうな。老中水野忠邦様の懐刀として改革の中心になっているお方ですが、その政策は改革ではなく現状維持だけで、海外の変化に対応ができていません。あれは良くないです」
出席者たちは暗い表情で俯いた……しかし勉強会が終わり宴会が始まると明るくなった。おようは宴会には参加せず、暗くなる前に帰宅した。いずれまたお目にかかります、と言い残して。
その日は思いのほか早くやってきた。場所は尚歯会の勉強会ではなく、江戸城内である。幕府批判の罪で逮捕された渡辺崋山は、取り調べ役の幕臣が用意した証言者のおようと対面することになったのだ。
先頃の会合での渡辺崋山の発言を、おようは証言した。まぎれもなく政道批判である。渡辺の有罪が確定した。国元の田原に蟄居を命じられ、後に自殺する。
高野長英も捕らえられ、伝馬町の牢獄に放り込まれたが、牢に放火して脱獄した。それから日本中を逃げ回るも最後は幕府の捕吏の手で捕殺される。
小関三英は逮捕されなかったが、自殺した。
この他にも多くの逮捕者が出た。これが後に蛮社の獄と呼ばれる思想弾圧事件である。その指揮を取ったのが鳥居耀蔵だった。後に江戸南町奉行となり強硬な市中取り締まりで町民たちから「江戸の妖怪」と恐れられた男である。
その令嬢である鳥居耀子が幕臣の娘おようを名乗り尚歯会への潜入捜査を敢行したと言われているが、もしもそれが事実だとしたなら彼女は「江戸の妖女」と呼ばれるに相応しい女だろう。
「ゆうとぴあ、とます・もあ、りべりうす、うぇあ、ねう、みのうす……」
彼女の口から発せられる呪文のような言葉に魅入られたかのように、その場の男たちは身動き一つせず聞き入っていた。咳き一つ発しない。寝ているのではない。春の江戸は好天に恵まれ暖かな日差しが降り注いでおり、そんな中で開かれる外国語の勉強会ともあれば一人や二人あるいは三人以上の出席者が居眠りしそうなものであるが、彼らは聞き慣れぬ異国の言葉に真剣に耳を傾けていた。その表情には一様に驚きの色がある。当時の日本で最高の西洋語学研究集団である彼ら尚歯会の面々が読めなかった異国の書を、会合に飛び入り参加した美しい武家娘がスラスラ読みこなしているのだ。驚くなと言っても無理だろう。
やがて娘は読んでいた書物を閉じ可愛らしい笑顔を見せた。
「もっと続けましょうか?」
娘の横に座っていた渡辺崋山は目をぱちくりさせて言った。
「いや、もう結構です。本当にありがとうございました」
自分の子供のような年齢の娘に渡辺崋山は頭を下げた。三河国田原藩家老でありながら、その物腰には威張ったところがなく、ごく自然な態度で女子供に礼を述べる。彼は温和な性格の紳士だった。
ただし、それだけではない。彼は娘に尋ねた。
「およう殿、今の言葉ですが、らてん語ではございませんか?」
おようと呼ばれた美しき乙女は頷いた。それを見て出席者の一人で医師の高野長英が感嘆の声を漏らした。
「さすがは渡辺様だ、らてん語がお分かりなのですね。本当に勉強家でございますなあ」
渡辺崋山は微笑んだ。
「いいえ、分かっているというほどのものではありません。絵画の勉強のために異国の書物を読むのですが、そのとき我らが知っている蘭語(オランダ語)とは別の文章が書かれた文献があり、その注釈に<らてん語>と説明書きがあって、気になったもので色々と調べていたのです」
藩重役にして西洋の学問の研究者である渡辺崋山は画家としても有名だった。西洋絵画を独学で学び陰影の付いた画法や遠近法を習得することで、自らの画風を高めていた。
高野長英は出席者たちに言った。
「らてん語は解剖学その他の学問でも使われています。西洋の学問の根幹をなす言葉だそうです。蘭語だけでなく、らてん語も我々は研究するべきでしょう」
一同は頷いた。その一人で高野と同じく医師の小関三英が娘に尋ねた。
「およう様は、どこでらてん語を学ばれたのですか?」
おようの父は幕府の旗本で、江戸城の書庫に勤めている。そこには神君家康公の時代からの蔵書が収められているが、百年以上も前の書物には修復が必要で、それが彼女の父のお役目だった。父は城だけで仕事が終わらず蔵書を自宅へ持ち帰り作業を続けることがあった。ある日おようは父の机の上で修復作業中の異国の書を見つけた。らてん語の教本だった。子供向けだったので、とても分かりやすく、父が修復を終えて城の書庫へ収めるまでの間に、彼女はらてん語の基礎を知ることができたのだった。
「ですから、らてん語を読めるだけで、意味まではわかりません」
おようの言葉を受けて、小関三英が言った。
「私はらてん語を読めませんが、先程およう様が読まれた、ゆうとぴあ、そして、とます・もあ、という言葉には聞き覚えがございます。西洋世界では、広く知られているようです」
高野長英が尋ねた。
「どのような意味なのですか?」
小関三英が答える。
「ゆうとぴあは、どこにもない理想郷という意味です。そして、とます・もあは……」
「とます・もあは?」
「ご政道を批判して処刑された学者のようです」
その場の空気が凍った。尚歯会の会員の中には徳川幕府の政治を批判している者が何名かいたのである。
その一人というか代表格が高野長英である。彼は『夢物語』という書物を匿名で著し幕府の鎖国政策を批判した。
もう一人が渡辺崋山だった。彼も同様に幕政批判の書『慎機論』を書いている。
ちなみに小関三英は、発表していないがキリスト教の研究書を執筆中だった。幕府はキリスト教を禁じている。執筆中の本の内容が発覚すると処罰される恐れがあった。
恐れ知らずの自信家である高野長英はカラカラと笑った。
「匿名の人間の色々な意見があるということで問題はございませんよ。問題なのは幕府の外交政策です。鎖国は危険です。いずれ西洋国家が日本に開国を迫ってくるでしょう。鎖国を盾に開国を拒否したら、西洋諸国が激怒して日本を攻撃してくることが予想されます。そうなったら、日本に勝ち目はないでしょう」
穏やかな人柄の渡辺崋山が同意する。
「そうなったら、無駄な血が流れる前に開国すべきでしょう。それが嫌なら海防体制を急いで構築すべきです。ただし、これには大金が必要です。それで破産する藩が出てくるかもしれません。しかし軍備を増強しないことには、日本は守れません」
海に面した田原藩の家老である渡辺崋山は外国船の接近に備えた沿岸防衛計画を作成する立場にあった。外国船との砲撃戦に勝つためには強力な大砲が要る、しかし日本の技術力では作れない……そんなジレンマを日々感じているのである。
高野長英は腕組みをした。
「日本を滅ぼすのは外国ではなく幕府ではないかと自分は考えています。西洋の学問を否定し、その優れた科学技術を目の敵にする守旧派こそ、日本の真の敵なのだと」
渡辺崋山は、うっすらと伸びてきた顎髭を撫でてから言った。
「その総帥が幕臣の鳥居耀蔵殿でしょうな。老中水野忠邦様の懐刀として改革の中心になっているお方ですが、その政策は改革ではなく現状維持だけで、海外の変化に対応ができていません。あれは良くないです」
出席者たちは暗い表情で俯いた……しかし勉強会が終わり宴会が始まると明るくなった。おようは宴会には参加せず、暗くなる前に帰宅した。いずれまたお目にかかります、と言い残して。
その日は思いのほか早くやってきた。場所は尚歯会の勉強会ではなく、江戸城内である。幕府批判の罪で逮捕された渡辺崋山は、取り調べ役の幕臣が用意した証言者のおようと対面することになったのだ。
先頃の会合での渡辺崋山の発言を、おようは証言した。まぎれもなく政道批判である。渡辺の有罪が確定した。国元の田原に蟄居を命じられ、後に自殺する。
高野長英も捕らえられ、伝馬町の牢獄に放り込まれたが、牢に放火して脱獄した。それから日本中を逃げ回るも最後は幕府の捕吏の手で捕殺される。
小関三英は逮捕されなかったが、自殺した。
この他にも多くの逮捕者が出た。これが後に蛮社の獄と呼ばれる思想弾圧事件である。その指揮を取ったのが鳥居耀蔵だった。後に江戸南町奉行となり強硬な市中取り締まりで町民たちから「江戸の妖怪」と恐れられた男である。
その令嬢である鳥居耀子が幕臣の娘おようを名乗り尚歯会への潜入捜査を敢行したと言われているが、もしもそれが事実だとしたなら彼女は「江戸の妖女」と呼ばれるに相応しい女だろう。