Beautiful moon
『婚約までしていてね。式まで後ひと月だったんだが…事故であっけなくさ』
『まさか。冗談…ですよね?』
『だったら良かったんだけどな』
先生は、自分の薬指の指輪を愛おしそうになぞりながら、ゆっくり言葉を噤む。
『あれからもう3年も経つのに、こんなものにすがって…』
『先生』
『あぁ悪い悪い。生徒に話すような話じゃないよな。まぁそういう訳で、いまだ独身だってわけだ』
『先生』
『この分だと、高木どころか、教え子の結婚を次々に見送るはめになりそ…』
『香坂先生っ』
気付けば、テーブルの上におかれた先生の左手首を握りしめていた。
『そんな…そんな、どうってことないような言い方しないでください』
『…木崎?』
『あんなに、あんなに好きだったくせに。ずっとすごく大事にしてたじゃないですか…』
『…』
『そんな泣きそうな顔で彼女のこと…普通に話さないでください』
…何故だろう?
会ったこともない彼女が今、凄く悲しんでいる気がして、どうしようも無く胸が痛む。
先生が空いていた右手を、子供をあやすように、私の手に重ねて置いた。
『ありがとうな』
その手の温かさと、低く切ない声音に、本気で泣きそうになる。
『一回り近く下の、しかも教え子に諭されるとか、ホント情けないな』
そうして、残っていたグラスの中身を飲み干すと、先生はガラス窓の向こう側にある地上に上る階段の先、はるか上空にかすかに見える月を眺める。