元彼専務の十年愛
隆司をこれ以上遅くまで残すわけにいかず、仕事を切り上げた。
車内では仕事の話もせず、隆司はただ黙って運転していた。

自宅に着くと、いつもは俺が帰ってくるまでついているダウンライトが玄関を照らしていない。
中に入れば、リビングの窓のカーテンも開きっぱなしだ。
それらが、紗知がもうここにいない何よりの証拠だった。
痛みを通り越した心はもう空虚でしかない。
こうやって、紗知によって埋められていた感情はまた失われていく。
それでいい。
重役として会社をより良くするために、俺は延々と仕事をしなければならないのだ。
やっぱり感情なんて必要ない。
あっても苦しくなるだけなのだから。

気持ちを切り替えようとリビングの電気をつけると、テーブルの隅に置かれた本に目が留まった。
男女が湖のほとりで背中合わせになっている表紙絵。
紗知が好きだった小説だ。忘れていったんだろうか。
彼女があまりにもハマっていたから、俺も一度読み流したことがある。
ふたりが結ばれずに終わる、悲恋の物語だ。
本を開いてパラパラとめくり、あるページで親指に引っかかっていたページ数に限界がきた。
そのまま閉じようとすると、よく見れば、ページの下の角に小さく折れ目がついている。
もう一度ページをめくり直してみるものの、他のページに折れ目はひとつも見当たらない。
紗知は本を粗雑に扱ったりはしないはずだし、こんなところが不自然に折れるだろうか。
何気なく文章を読むと、それは主人公が去り際に残した手紙のシーンだった。

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