第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第4話
「ね、何か飲む? アデルの好きな、クルミのケーキもあるよ。洋梨のパイも」
「いらないわ。お茶がいい。冷たいの」
ノアは給仕にそれを注文すると、そのまま空いていたソファに座った。
手にキスをする。
「ご機嫌は直った?」
「直ってない。今は我慢してるだけ」
彼は握った手を何度も握り返しながら、ずっと繋いだままだ。
「それは、兄さんの誕生日だから?」
「それ以外に、なにかある?」
「はは。じゃあ、ステファーヌ兄さんに感謝しないといけないな。おかげで僕は、アデルに怒られないですむ」
自分の顔が、怒りで赤くなっているのが分かる。
とにかく恥ずかしい。
早く帰りたい。
あんなことをされたのに、平静を保っていられる自分のことも嫌でしょうがない。
ノアも怒っている。
それでも静かに微笑んだ。
「君が、本当にそう思ってくれているのなら……。僕はうれしいよ」
明らかに表情は固く沈んでいるのに、何の気もなく、そんなことを言えてしまうノアが悔しい。
この人は本当に、この場さえ乗り切れればそれでいいんだ。
ステファーヌさまが近づいてくる。
「やぁ。随分楽しんでくれているみたいだね」
ノアが立ち上がるのに続いて、私も立ち上がった。
「兄さん。お誕生日おめでとう」
「ステファーヌさま。おめでとうございます」
「ありがとう」
型どおり決められた笑顔を浮かべた私たちに、ステファーヌさまは、フッと笑みを浮かべた。
「丁度いい機会だと思ってね。アデル。君に紹介したい人がいるんだ」
フィルマンさまに連れられ、リディとコリンヌが進み出る。
「アデル。君もこの二人のことは知っているね。将来、ノアの妃候補となる方たちだ」
ステファーヌさまに紹介され、二人は膝を折り頭を下げた。
「どうかよろしくお願いいたします」
「微力ながら、ノアさまにお力添えしたいと思います」
「いずれも、将来王室の支えとなるのにふさわしい方々だから、仲良くしてやってくれ」
そう言って、ステファーヌさまとフィルマンさまは微笑む。
ノアはじっと前を向いたまま動かない。
婚約者候補? 私以外にも?
そんなの、初めて聞い……。
私はにっこりと微笑む。
「もちろんですわ。お二人とも尊敬すべき方だと、以前から密かにお慕いしておりましたの。共にノアさまを支えていただけるのであれば、これほど心強いことはありません」
私はそう言うと、彼女たちの手をとった。
「どうかこれからも、よろしくお願いします」
違う。
私だって、ちゃんと知っていた。
分かっていた。
ノアには私ではない、国内の有力候補の中から、ちゃんとしたお妃が選ばれるんだって。
だからオスカー卿主催の馬術大会にも彼女たちはいたし、私の知らない所でも、常にノアは、そんなお妃候補となりうる女性たちと会っていたんだ。
「ありがたいお言葉ですわ」
「もったいなくございます」
「ねぇ、アデル。僕は……」
「ノアにもそろそろ、しっかりしてもらわないと。ちゃんとアデルの方は心得ているじゃないか」
ノアの言葉を、ステファーヌさまは遮る。
「いつまでも現実から逃れていてはいけないよ。お前にもこの国に生まれた王子としての役割がある」
広間には優雅な音楽が流れ、集まった人々はダンスをしたり、おしゃべりに花を咲かせたりしている。
リディさまとコリンヌさま以外にも、多くの女性たちが招かれていた。
先ほどから執拗に感じる視線の痛みは、気のせいなんかじゃない。
「恋人ごっこはお終いだ」
そう言うと、ステファーヌさまは微笑んだ。
その第一王子と同じ笑顔で、リディとコリンヌが応える。
「まぁ、そんな。『恋人ごっこ』だなんて、お戯れがすぎますわ」
「そうですよ。私もリディさまに賛成です。仲睦まじいということは、それだけでよいことでございますもの」
私も彼女たちと同じ、決められた笑みを返す。
「ふふ。お二人とも、ありがとうございます」
そうだ。
分かっていた。
知っていた。
だから決して、本気にしてはいけないんだって、自分でもあれほど……。
不意に、フィルマンさまの手が私の腰に回った。
「さぁ、こんなつまらない話しを、アデルもいつまでも聞いていたくはないだろ? 君にはまだ別の仕事がある。さっきから順調に挨拶はすませたみたいだけど、お気に入りは見つかったかい?」
その腕に連れ去られるように、私はその場を離れる。
「君には第三王子のお妃候補として、もう一つ役割があるだろう。この国には、才能がありながらなかなか世には認められない素晴らし力がある」
ノアは、リディさまとコリンヌさまに囲まれたまま、ステファーヌさまとまだ何かを話している。
「君にはそういった才能たちの、後ろ盾になってほしいんだ。いつまでも王宮の片隅に、じっと引きこもってばかりいてはダメだ。そうだろう? 君には君の立場にあった役割というものがある」
今や、この会場にいる女性たちの目は、全てリディとコリンヌに向けられていて、多くの男性の視線と注目は、私に向かっていた。
「君が思うより、この国で君は尊重されているし、世界は広い。君はシェル王国の王女なんだ。それなのにどうして、王宮の隅っこに隠れてばかりいる」
「ですが私には、そのような資格は……」
「資格? 生きて恋をすることに、どんな資格がいるって?」
そう言った私に、フィルマンさまはウインクを投げる。
「大丈夫だ。君の国のことは心配する必要はない。君はこの国にとって、我がマルゴー王家にとっても、大切なお客さまだ」
「だけど……」
「ほら、難しい話しは今はやめよう。せっかくのパーティーが台無しだ。それとも本当に、お気に入りは見つからなかった?」
「お気に入りって……。私に、パトロン……に、なれとおっしゃっているのですか」
「そう。君がよいと認めれば、世間も注目する。もちろん、恋をするのも自由だ。ノアがそうであるようにね」
目の前には、ノアのお妃候補である女性たちと、王室の支援を望む若き才能が集められている。
「ノアばかりが君に隠れてこんなことをしているなんて、許せないだろう? 君にも君の人生を楽しむ権利はある。少なくとも俺は、そう思ってるよ」
「それで、今年は呼んでくださったのですか?」
「アデルももうじき、16になる。ちょうどいい機会だと思ったんだ。それに、君にもちょっとは貫禄をつけてもらわないとね」
「貫禄?」
「お妃争いに、負けないように」
そんなこと、考えたこともなかった。
フィルマンさまを見上げる。
彼はその顔に、優しい笑みを浮かべた。
「君は自由なんだよ」
添えられていた手が離れる。
その瞬間、私を取り囲む人垣があっという間に出来た。
「アデルさま。これは私の作曲した楽譜です。ぜひ王宮の舞踏会で聴いていただきたく……」
「次の舞台では、大がかりなカラクリ仕掛けを試したいと思っておりまして、そのための装置なのですが、ぜひアデルさまのご意見をうかがいたく……」
「実は、田園の風景画はどうかと考えておりまして……」
私はにっこりと静かに笑みを浮かべたまま、順番に語る彼らに耳を傾けている。
『大人になれ』と、言われているのね。
私もノアも。
話しを聞いているフリをしながら、その内容は何一つ入ってこない。
「素敵ですわ。ぜひ皆さま一度、アカデミーでご紹介させてください」
そう答えるだけが精一杯で、自分が何をしているのかも分からない。
こみ上げてくる感情は、悔しさなのか、怒りなのか、悲しみなのか、憎しみなのか……。
私に必要とされているのは、あくまでその地位や肩書きに対する役割を果たすことであって、個人の感情や好き嫌いなんて、誰も聞いてくれない。
「本当に、素晴らしいお誕生日会だわ」
そうだ。
セリーヌに教わったんだ。
立ってる時は、手の位置に気をつけろって。
背筋は必ず、伸ばしておくようにって。
いつでもまっすぐ前を向いて、どんな時も微笑みを絶やさず、にこやかに微笑んでいるようにって……。
「アデルさま。お迎えの馬車が到着したとのご連絡でございます」
「そう。すぐに行くわ。では皆さま、ごきげんよう」
その場を離れる。
歩き出した私に気づいたノアは、すかさず真横に付き添った。
手を握られる。
「いらないわ。お茶がいい。冷たいの」
ノアは給仕にそれを注文すると、そのまま空いていたソファに座った。
手にキスをする。
「ご機嫌は直った?」
「直ってない。今は我慢してるだけ」
彼は握った手を何度も握り返しながら、ずっと繋いだままだ。
「それは、兄さんの誕生日だから?」
「それ以外に、なにかある?」
「はは。じゃあ、ステファーヌ兄さんに感謝しないといけないな。おかげで僕は、アデルに怒られないですむ」
自分の顔が、怒りで赤くなっているのが分かる。
とにかく恥ずかしい。
早く帰りたい。
あんなことをされたのに、平静を保っていられる自分のことも嫌でしょうがない。
ノアも怒っている。
それでも静かに微笑んだ。
「君が、本当にそう思ってくれているのなら……。僕はうれしいよ」
明らかに表情は固く沈んでいるのに、何の気もなく、そんなことを言えてしまうノアが悔しい。
この人は本当に、この場さえ乗り切れればそれでいいんだ。
ステファーヌさまが近づいてくる。
「やぁ。随分楽しんでくれているみたいだね」
ノアが立ち上がるのに続いて、私も立ち上がった。
「兄さん。お誕生日おめでとう」
「ステファーヌさま。おめでとうございます」
「ありがとう」
型どおり決められた笑顔を浮かべた私たちに、ステファーヌさまは、フッと笑みを浮かべた。
「丁度いい機会だと思ってね。アデル。君に紹介したい人がいるんだ」
フィルマンさまに連れられ、リディとコリンヌが進み出る。
「アデル。君もこの二人のことは知っているね。将来、ノアの妃候補となる方たちだ」
ステファーヌさまに紹介され、二人は膝を折り頭を下げた。
「どうかよろしくお願いいたします」
「微力ながら、ノアさまにお力添えしたいと思います」
「いずれも、将来王室の支えとなるのにふさわしい方々だから、仲良くしてやってくれ」
そう言って、ステファーヌさまとフィルマンさまは微笑む。
ノアはじっと前を向いたまま動かない。
婚約者候補? 私以外にも?
そんなの、初めて聞い……。
私はにっこりと微笑む。
「もちろんですわ。お二人とも尊敬すべき方だと、以前から密かにお慕いしておりましたの。共にノアさまを支えていただけるのであれば、これほど心強いことはありません」
私はそう言うと、彼女たちの手をとった。
「どうかこれからも、よろしくお願いします」
違う。
私だって、ちゃんと知っていた。
分かっていた。
ノアには私ではない、国内の有力候補の中から、ちゃんとしたお妃が選ばれるんだって。
だからオスカー卿主催の馬術大会にも彼女たちはいたし、私の知らない所でも、常にノアは、そんなお妃候補となりうる女性たちと会っていたんだ。
「ありがたいお言葉ですわ」
「もったいなくございます」
「ねぇ、アデル。僕は……」
「ノアにもそろそろ、しっかりしてもらわないと。ちゃんとアデルの方は心得ているじゃないか」
ノアの言葉を、ステファーヌさまは遮る。
「いつまでも現実から逃れていてはいけないよ。お前にもこの国に生まれた王子としての役割がある」
広間には優雅な音楽が流れ、集まった人々はダンスをしたり、おしゃべりに花を咲かせたりしている。
リディさまとコリンヌさま以外にも、多くの女性たちが招かれていた。
先ほどから執拗に感じる視線の痛みは、気のせいなんかじゃない。
「恋人ごっこはお終いだ」
そう言うと、ステファーヌさまは微笑んだ。
その第一王子と同じ笑顔で、リディとコリンヌが応える。
「まぁ、そんな。『恋人ごっこ』だなんて、お戯れがすぎますわ」
「そうですよ。私もリディさまに賛成です。仲睦まじいということは、それだけでよいことでございますもの」
私も彼女たちと同じ、決められた笑みを返す。
「ふふ。お二人とも、ありがとうございます」
そうだ。
分かっていた。
知っていた。
だから決して、本気にしてはいけないんだって、自分でもあれほど……。
不意に、フィルマンさまの手が私の腰に回った。
「さぁ、こんなつまらない話しを、アデルもいつまでも聞いていたくはないだろ? 君にはまだ別の仕事がある。さっきから順調に挨拶はすませたみたいだけど、お気に入りは見つかったかい?」
その腕に連れ去られるように、私はその場を離れる。
「君には第三王子のお妃候補として、もう一つ役割があるだろう。この国には、才能がありながらなかなか世には認められない素晴らし力がある」
ノアは、リディさまとコリンヌさまに囲まれたまま、ステファーヌさまとまだ何かを話している。
「君にはそういった才能たちの、後ろ盾になってほしいんだ。いつまでも王宮の片隅に、じっと引きこもってばかりいてはダメだ。そうだろう? 君には君の立場にあった役割というものがある」
今や、この会場にいる女性たちの目は、全てリディとコリンヌに向けられていて、多くの男性の視線と注目は、私に向かっていた。
「君が思うより、この国で君は尊重されているし、世界は広い。君はシェル王国の王女なんだ。それなのにどうして、王宮の隅っこに隠れてばかりいる」
「ですが私には、そのような資格は……」
「資格? 生きて恋をすることに、どんな資格がいるって?」
そう言った私に、フィルマンさまはウインクを投げる。
「大丈夫だ。君の国のことは心配する必要はない。君はこの国にとって、我がマルゴー王家にとっても、大切なお客さまだ」
「だけど……」
「ほら、難しい話しは今はやめよう。せっかくのパーティーが台無しだ。それとも本当に、お気に入りは見つからなかった?」
「お気に入りって……。私に、パトロン……に、なれとおっしゃっているのですか」
「そう。君がよいと認めれば、世間も注目する。もちろん、恋をするのも自由だ。ノアがそうであるようにね」
目の前には、ノアのお妃候補である女性たちと、王室の支援を望む若き才能が集められている。
「ノアばかりが君に隠れてこんなことをしているなんて、許せないだろう? 君にも君の人生を楽しむ権利はある。少なくとも俺は、そう思ってるよ」
「それで、今年は呼んでくださったのですか?」
「アデルももうじき、16になる。ちょうどいい機会だと思ったんだ。それに、君にもちょっとは貫禄をつけてもらわないとね」
「貫禄?」
「お妃争いに、負けないように」
そんなこと、考えたこともなかった。
フィルマンさまを見上げる。
彼はその顔に、優しい笑みを浮かべた。
「君は自由なんだよ」
添えられていた手が離れる。
その瞬間、私を取り囲む人垣があっという間に出来た。
「アデルさま。これは私の作曲した楽譜です。ぜひ王宮の舞踏会で聴いていただきたく……」
「次の舞台では、大がかりなカラクリ仕掛けを試したいと思っておりまして、そのための装置なのですが、ぜひアデルさまのご意見をうかがいたく……」
「実は、田園の風景画はどうかと考えておりまして……」
私はにっこりと静かに笑みを浮かべたまま、順番に語る彼らに耳を傾けている。
『大人になれ』と、言われているのね。
私もノアも。
話しを聞いているフリをしながら、その内容は何一つ入ってこない。
「素敵ですわ。ぜひ皆さま一度、アカデミーでご紹介させてください」
そう答えるだけが精一杯で、自分が何をしているのかも分からない。
こみ上げてくる感情は、悔しさなのか、怒りなのか、悲しみなのか、憎しみなのか……。
私に必要とされているのは、あくまでその地位や肩書きに対する役割を果たすことであって、個人の感情や好き嫌いなんて、誰も聞いてくれない。
「本当に、素晴らしいお誕生日会だわ」
そうだ。
セリーヌに教わったんだ。
立ってる時は、手の位置に気をつけろって。
背筋は必ず、伸ばしておくようにって。
いつでもまっすぐ前を向いて、どんな時も微笑みを絶やさず、にこやかに微笑んでいるようにって……。
「アデルさま。お迎えの馬車が到着したとのご連絡でございます」
「そう。すぐに行くわ。では皆さま、ごきげんよう」
その場を離れる。
歩き出した私に気づいたノアは、すかさず真横に付き添った。
手を握られる。