第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第2話
おかしくて仕方がない。
侍女長に案内され、厨房へ逃げ込んだ。
壁には沢山の銀色に輝く調理器具が並べられ、中央の広い作業台では、パンをこねている真っ最中だった。
部屋中に小麦粉の香りが立ちこめている。
「まぁ、楽しそうね」
「ね、私たちにもやらせてもらえる?」
「明日のパンを作りましょうよ」
職人さんたちに手伝ってもらいながら、パンの形を整え始めた。
「ね、ウサギなんてどうかしら」
「いいわね。私は何にしようかな……」
気がつけば、台の上には様々な形のパンが並んでいた。
ウサギに星、天使の羽根、魚にヘビ……。
「ふふ、この細長いヘビは、ポールに食べさせましょう」
「なんでポールなの、エミリー」
「だって、ポールみたいに細長いんですもの。あんなに背の高い人、他に見たことないわ」
ポールは色白でとても背が高い。
痩せてひょろりとした体格が、どこにいてもすぐに目につく。
サラサラとした白金の髪は、彼の灰色の目によく似合う。
「それにいつも、ぼーっとしているんですもの。何を考えているのか分からないところも、そっくりだわ。口の利き方だって悪いくせに、いつも乱暴な言い方しておきながら、案外周りはよく見ているのよね」
「エミリーは、ヘビが好きだったの?」
「まさか! 嫌いだから言ってるのよ!」
ノックの音に続いて、そのポールの声が聞こえた。
「捜し物をしているんだ。入ってもいいかな」
どうしよう! 見つかってしまう!
慌てるエミリーと私に、職人の一人が声をかけた。
「こちらです。小麦粉を運び込む倉庫です。そこから外に出られますので、そのままお逃げください」
「ありがとう!」
「入るぞ」
私たちが作業場を出ると同時に、扉が開いた。
教えられたドアを開けて、館の裏へ飛び出す。
「あはは。逃げられたわね」
「危ないところだったわ」
「ポールは一人だったのかしら」
「ノアは? 別行動? 一緒にいた?」
「どうなのかしら、ノアさまも一緒にいるんなら、見つかる可能性が高くなるわね。こっちへ行ってみましょ」
エミリーは、そう言って正門の方へ回った。
「だめよエミリー。ノアとポールは、別行動してるかもしれないじゃない。もし見つかったら……」
と、そこに一台の見慣れぬ馬車が止まっていた。
随分と立派な執事服を着た男が立っている。
ピンと伸ばした口ひげを生やしたその執事は、ギロリと私たちを見下ろした。
「全く。第三王子の名を呼び捨てにしたうえに、そんな汚い格好のままでうろつくとは。この家の主の質がよく分かります」
立ち止まり、その男を見上げる。
どこかの使者だろうか。
かなり身分の高い家からの使いのようだ。
「恥ずかしいことですな。指導出来ないここの執事に代わって、ついでに注意して差し上げよう。手のかかることだ。お前たち、案内を」
エミリーと二人、顔を見合わせる。
そう言われても、何をしていいのか分からない。
「早く私を案内しろと言っているのです。分からないのですか」
困った。
だけど、事情を説明するわけにもいかない。
「ど、どうぞ。こちらです」
私は、ムッとしたままのエミリーを肘でつつくと、館の扉を開ける。
案内すると言っても、応接室がどこなのかも分からないのに……。
「こっちよ」
エミリーが先に歩き始めた。
「知ってるの?」
「何度か来たことがあるの」
「ゴホン! ここの使用人は、礼儀作法も知らないのか」
振り返ろうとしたエミリーを、慌てて引き留める。
ここは一刻も早く、ちゃんとした執事さんに交代して……。
「これはトリスさま。なぜこちらに?」
廊下でばったり出会ったのは、この家の筆頭執事であるニコラだ。
「ニコラ、なんだこの者たちは。相変わらずデュポール伯爵家では、使用人の躾けもできないようだな」
私とエミリーは、さっきまでこねていたパンの小麦粉で、服が真っ白になっている。
「あぁ、トリスさま。こちらの方々は……」
ニコラの目はオロオロとしている。
私はとっさに「シッ」と内緒にするよう合図を出した。
トリスと呼ばれた使者の前に進み出ると、うやうやしくスカートの裾を持ち上げる。
セリーヌに仕込まれた、最上級のご挨拶だ。
にっこりと微笑み、わずかに腰を落とす。
「申し訳ございません。大変な失礼をいたしました。ワタクシたちには与えられた言いつけがございますので、ここで失礼いたします」
その非の打ち所のない仕草に、驚いたトリスの目は丸くなった。
エミリーも続く。
「失礼いたします」
完璧な挨拶を披露し終え、エミリーと二人、立ち去ろうと背を向ける。
「待ちなさい!」
その男は、再び私たちを上からにらみつけた。
「この私が、生意気なお前たちに特別な指導をして差し上げよう。感謝したまえ。第三王子のお名を陰で呼び捨てにするような連中に、ノアさまのお世話など任せられるはずがありません。そうではありませんか?」
「あの、トリスさま。この方たちには、別のご用件が……」
「そうですね。そのままではお前たちのようなものは、ノアさまにご挨拶は出来ても、お茶まではお出しすることはできないでしょう。作法を見て差し上げます。お茶の用意を!」
トリスは自分で扉を開けると、勝手に応接室へと入っていってしまった。
そのままドカリと客用のソファに腰掛け、こちらをにらんでいる。
シモンの家の筆頭執事であるニコラは、困ったように私に視線を送った。
ここまで来たら、仕方がない。
「かしこまりました。それではご用意させていただきます」
とりあえず挨拶をして、扉を閉めた。
エミリーと並んで歩き出す。
「ねぇ、アデル! 本当にいいの? お茶持っていくの?」
「まぁいいじゃない。てゆーか、あの方はどなた? とりあえずシモンに知らせておきましょう」
「アデルはこんなことしてるって、バレて大丈夫なの?」
「それならそれで、面白いんじゃない?」
「……。アデルがそれでいいのならいいけど……。ごめんなさい。私が変なこと言うから……」
「いいのよ、気にしないで。私も楽しんでるもの。とにかく今は、お茶の準備よ」
キッチンに入る。
侍女長たちが私たちを待っていた。
侍女長に案内され、厨房へ逃げ込んだ。
壁には沢山の銀色に輝く調理器具が並べられ、中央の広い作業台では、パンをこねている真っ最中だった。
部屋中に小麦粉の香りが立ちこめている。
「まぁ、楽しそうね」
「ね、私たちにもやらせてもらえる?」
「明日のパンを作りましょうよ」
職人さんたちに手伝ってもらいながら、パンの形を整え始めた。
「ね、ウサギなんてどうかしら」
「いいわね。私は何にしようかな……」
気がつけば、台の上には様々な形のパンが並んでいた。
ウサギに星、天使の羽根、魚にヘビ……。
「ふふ、この細長いヘビは、ポールに食べさせましょう」
「なんでポールなの、エミリー」
「だって、ポールみたいに細長いんですもの。あんなに背の高い人、他に見たことないわ」
ポールは色白でとても背が高い。
痩せてひょろりとした体格が、どこにいてもすぐに目につく。
サラサラとした白金の髪は、彼の灰色の目によく似合う。
「それにいつも、ぼーっとしているんですもの。何を考えているのか分からないところも、そっくりだわ。口の利き方だって悪いくせに、いつも乱暴な言い方しておきながら、案外周りはよく見ているのよね」
「エミリーは、ヘビが好きだったの?」
「まさか! 嫌いだから言ってるのよ!」
ノックの音に続いて、そのポールの声が聞こえた。
「捜し物をしているんだ。入ってもいいかな」
どうしよう! 見つかってしまう!
慌てるエミリーと私に、職人の一人が声をかけた。
「こちらです。小麦粉を運び込む倉庫です。そこから外に出られますので、そのままお逃げください」
「ありがとう!」
「入るぞ」
私たちが作業場を出ると同時に、扉が開いた。
教えられたドアを開けて、館の裏へ飛び出す。
「あはは。逃げられたわね」
「危ないところだったわ」
「ポールは一人だったのかしら」
「ノアは? 別行動? 一緒にいた?」
「どうなのかしら、ノアさまも一緒にいるんなら、見つかる可能性が高くなるわね。こっちへ行ってみましょ」
エミリーは、そう言って正門の方へ回った。
「だめよエミリー。ノアとポールは、別行動してるかもしれないじゃない。もし見つかったら……」
と、そこに一台の見慣れぬ馬車が止まっていた。
随分と立派な執事服を着た男が立っている。
ピンと伸ばした口ひげを生やしたその執事は、ギロリと私たちを見下ろした。
「全く。第三王子の名を呼び捨てにしたうえに、そんな汚い格好のままでうろつくとは。この家の主の質がよく分かります」
立ち止まり、その男を見上げる。
どこかの使者だろうか。
かなり身分の高い家からの使いのようだ。
「恥ずかしいことですな。指導出来ないここの執事に代わって、ついでに注意して差し上げよう。手のかかることだ。お前たち、案内を」
エミリーと二人、顔を見合わせる。
そう言われても、何をしていいのか分からない。
「早く私を案内しろと言っているのです。分からないのですか」
困った。
だけど、事情を説明するわけにもいかない。
「ど、どうぞ。こちらです」
私は、ムッとしたままのエミリーを肘でつつくと、館の扉を開ける。
案内すると言っても、応接室がどこなのかも分からないのに……。
「こっちよ」
エミリーが先に歩き始めた。
「知ってるの?」
「何度か来たことがあるの」
「ゴホン! ここの使用人は、礼儀作法も知らないのか」
振り返ろうとしたエミリーを、慌てて引き留める。
ここは一刻も早く、ちゃんとした執事さんに交代して……。
「これはトリスさま。なぜこちらに?」
廊下でばったり出会ったのは、この家の筆頭執事であるニコラだ。
「ニコラ、なんだこの者たちは。相変わらずデュポール伯爵家では、使用人の躾けもできないようだな」
私とエミリーは、さっきまでこねていたパンの小麦粉で、服が真っ白になっている。
「あぁ、トリスさま。こちらの方々は……」
ニコラの目はオロオロとしている。
私はとっさに「シッ」と内緒にするよう合図を出した。
トリスと呼ばれた使者の前に進み出ると、うやうやしくスカートの裾を持ち上げる。
セリーヌに仕込まれた、最上級のご挨拶だ。
にっこりと微笑み、わずかに腰を落とす。
「申し訳ございません。大変な失礼をいたしました。ワタクシたちには与えられた言いつけがございますので、ここで失礼いたします」
その非の打ち所のない仕草に、驚いたトリスの目は丸くなった。
エミリーも続く。
「失礼いたします」
完璧な挨拶を披露し終え、エミリーと二人、立ち去ろうと背を向ける。
「待ちなさい!」
その男は、再び私たちを上からにらみつけた。
「この私が、生意気なお前たちに特別な指導をして差し上げよう。感謝したまえ。第三王子のお名を陰で呼び捨てにするような連中に、ノアさまのお世話など任せられるはずがありません。そうではありませんか?」
「あの、トリスさま。この方たちには、別のご用件が……」
「そうですね。そのままではお前たちのようなものは、ノアさまにご挨拶は出来ても、お茶まではお出しすることはできないでしょう。作法を見て差し上げます。お茶の用意を!」
トリスは自分で扉を開けると、勝手に応接室へと入っていってしまった。
そのままドカリと客用のソファに腰掛け、こちらをにらんでいる。
シモンの家の筆頭執事であるニコラは、困ったように私に視線を送った。
ここまで来たら、仕方がない。
「かしこまりました。それではご用意させていただきます」
とりあえず挨拶をして、扉を閉めた。
エミリーと並んで歩き出す。
「ねぇ、アデル! 本当にいいの? お茶持っていくの?」
「まぁいいじゃない。てゆーか、あの方はどなた? とりあえずシモンに知らせておきましょう」
「アデルはこんなことしてるって、バレて大丈夫なの?」
「それならそれで、面白いんじゃない?」
「……。アデルがそれでいいのならいいけど……。ごめんなさい。私が変なこと言うから……」
「いいのよ、気にしないで。私も楽しんでるもの。とにかく今は、お茶の準備よ」
キッチンに入る。
侍女長たちが私たちを待っていた。