第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~

第4話

「おやまぁ、これはどういうことだ!」


 デュレー公爵家の執事だ。


こんなところで鉢合わせるなんて、最悪のタイミング。


トリスは鬼の首でも取ったかのように、高飛車な態度に出た。


「あなたは、ノアさまお気に入りの、バロー子爵家のポールさまではないですか。それがこんな侍女たちと……。お部屋でなにをなさっていたのです? はしたない。お前たち二人も恥を知りなさい」


 男はハンカチを取り出すと、さも汚いものでも見るかのような目で、私たちを眺めながら鼻をかむ。


「それともこの屋敷では、男は侍女を相手にひと夏を過ごすのが流行なのかな?」


 その汚れたハンカチを、ポイと床に投げ捨てる。


「拾いなさい」


 酷い。


いくらデュレー公爵家の執事とはいえ、失礼すぎる。


ポールに対してもだ。


茶色い絨毯の上に、トリスの投げ捨てた白いハンカチが落ちている。


だけどそれを、このままにしておくことは出来ない。


私が動こうとしたのを、エミリーが止めた。


その彼女がハンカチを拾おうとした瞬間、ポールは両腕でグイと私たちの肩を抱き寄せた。


「こういう遊びも、案外楽しいもんですよ。あんたが邪魔しに来るまで、ノアさまもこの二人と楽しんでらしたんだ。なぁ、そうだろ?」


 背の高いポールの両脇に、私とエミリーはすっぽり抱きかかえられている。


「まぁ、そうだったわね」


 そう答えたエミリーに、ポールは私をのぞき込む。


「なぁ、君もそうだろ?」


「そうね。残念だわ」


「はは。デュレー公爵家じゃ、絶対出来ない遊びだな」


 ポールは私たちを両脇に抱えたまま、クスクスと笑った。


「ポールさま! それではシモンさまだけでなく、ノアさままでそのようなことをなさっているとでも……」


 ドンッ! っと、杖で床を突く、重い振動が響いた。


「夏の別荘で、男の遊びをお楽しみだったのかな。ノアさまは」


「クレマンさま!」


 コリンヌのお父さま、デュレー公爵さまご本人だ! 


私とエミリーは、慌ててポールの背中に隠れる。


顔を見られたら、さすがにバレる!


「やはり、私が直接見に来て正解だったようだ。ポール。ノアさまのところへ案内を」


 そう言われて、私とエミリーはとっさに壁に向かって直立した。


侍女としての、貴人を見てはならないという作法だ。


クレマン公爵さまの、フンという鼻息が聞こえる。


「全く。火遊びも大概にしていただかないと」


 足音が遠ざかる。


ホッと一息ついた。


「びっくりしたわ。どうしてデュレー公爵さまが?」


「ノアに何か用事でもあったのかしら」


「なんの用があるってのよ」


「さぁ。だけど、わざわざノアのところに来るってことは、きっと何か……」


 その瞬間、背後からグイと腕を引かれる。


「ちょっ!」


「何をなさるのです!」


 トリスだ。


「どこで雇われたか知らんが、とんでもないあばずれどもだ」


 そのまま凄い力で、私とエミリーは廊下を引きずられてゆく。


「離して! 離してよ!」


「離しなさい!」


「黙れ! お前らのような口の利き方も知らない、恥じらいも常識もないような者には、戒めが必要です」


 ちょ、やめて……。


何をするつもりなの? 


振り払おうとしても、がっつりと掴まれた手を、腕から振りほどけない。


私とエミリーは、そのまま外へ引きずり出された。


「お前はこっちだ!」


 庭仕事用の道具が置かれた物置小屋に、エミリーが投げ込まれる。


そこに外からかんぬきがかけられた。


「ちょっと! 何するのよ、開けなさい!」


「やめて、誰か助けて!」


 エミリーが中で暴れている。


気づいた数人の男が駆け寄ってきた。


「どうされたのですか。トリスさま」


 シモンの家の者ではない。


この執事について来た、デュレー公爵家の使用人だ。


「この女がここから出て行かないよう、見張っておけ」


「かしこまりました」


「おやめなさい。いますぐエミリーを出して! じゃないと、あなた方は……」


「うるさい。お前はこっちだ!」


「きゃあ!」


 乱暴に引きずられる。


そのまま館の裏へ連れて行かれた。


見えたのは馬小屋の脇にある、飼料置き場だ。


「ここで許しを得られるまで、反省していなさい!」


 固い床の上に投げ出される。


バタンと扉が閉められた。


「待って! やめて!」


 外からガタガタと横木をさしている。


男たちの太い笑い声が響いた。


「ほら、諦めて大人しくしとけ!」


 扉が蹴り上げられ、それにまた全身がビクリとなる。


「あはははは。しょうがねぇ女だな。身の程知らずめ」


 怖い。手足が震えている。


絶望的な恐怖に支配されたまま、薄暗い庫内を見渡す。


積み上げられた藁と麻袋が天上近くまで積み上げられ、壁には鋤や鍬が立てかけられていた。


どうすればいいの? 


助けを求めたくても、薄い木の扉の向こうには、見張りの男たちの気配がする。


怖い。


私は震える手で、干し草用フォークを手に取ると、それにしがみついた。


鼓動が早い。息が出来ない。


寒くもないのに、手足の震えが止まらない。


頭が胸の鼓動に合わせて、振動している。


意識を保っていなければ、そのまま気を失ってしまいそう。


干し草の上にしゃがみ込んだ。


夏の日が沈む。


「あぁ、まただ……。やっぱりこうなるのね……」


 いつまで、こうしていればいいのだろう。


あの時は、本当に朝まで出してもらえなかった。


忘れることなど決してない、嵐の夜だ。


孤独と恐怖。


この世界には、頼れる人間はいないのだと、信じられるのは自分だけなのだと、はっきりと自覚した。


エミリーは? 


彼女は大丈夫だろうか。


酷いことされてないといいけど。


 涙がこぼれ落ちる。


泣いちゃダメ。絶対に泣いちゃダメ。


涙を見せれば、人は笑いバカにする。


私が、私がもっと強かったら。


私がもっと、しっかりしていれば。


自分の身は自分でしか守れないのだと、教えられたじゃない。


それは今だって、何も変わりない。


ここから抜け出すには、どうすればいいの? 


あの時も必死で考えたはずだ。


どうして? 何が原因なの? 


私の何が悪かった? 


自分のどこをどう直せばいいの? 


どうすれば認めて貰える? 


許される? 


私がもっと……。
< 30 / 51 >

この作品をシェア

pagetop