第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第6話
「あの時のアデルは、まだここへ来たばかりで、何にも慣れていなくて、僕は婚約式で初めて君を見た時、震えてる君を見て、僕が守らなきゃって思ったんだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「なんで?」
「なんでって……。僕の、お嫁さんになる人だからさ」
「それって、単純すぎない?」
「悪かったね!」
そう言ってノアは、私の手を握り直した。
私は怖かった。
知らない場所、知らない国、知らない人たち。
自分の生まれたお城では、いつも大人たちが言い争っていた。
やがて父は不在がちとなり、母は毎日のように隠れて泣いていた。
自分がイイ子でいれば、全てがよくなると思っていたのに……。
「ノアが助けに来てくれて、うれしかった」
「ね、それはいつの話し? 今日のこと? それとも、昔の話し?」
「……。どっちもよ」
そう言うと、彼は満足そうにうなずいた。
真っ白なシーツの上に、繋がる指先と視線が重なる。
「あの時約束したよね。僕はどんなことがあっても、アデルを守るって。それも覚えてる?」
「覚えてる」
何が原因だとか、何がきっかけだったかなんて、もう覚えていない。
私はセリーヌと激しい言い争いをして、意味もなく彼女の全てに反抗し、暴れ、泣いて、結果馬小屋に閉じ込められた。
何もかもが憎らしかった。
「驚いたんだ。セリーヌがあんなことをするなんて。酷い嵐の夜で、僕は自分の部屋をこっそり抜け出して、君に会いに行った」
私は怖くて寒くて、怒りに我を忘れ、正気を失いかけていて、叩きつける雨と鳴り止まぬ風に、扉が開いた時には、ようやく悪魔が迎えに来てくれたのかと思った。
ノアはずぶ濡れで、髪からも滴をたらしていたのに、繋いだ手はとても温かかった。
私はその時、こんなにも温かい手なら、ずっと握っていられるかもしれないと思ったのに……。
「僕は、その時誓ったんだ。あの小さな緑の館を出ようって」
「どうして?」
あれからずっと離されていた手が、もう一度私を強く握りしめる。
「単純に、セリーヌに勝とうと思ったんだ。セリーヌにアデルが叱られないようにするためには、セリーヌに命令出来るようにならなくちゃいけないんだってね。僕は館を出て、城の人間になることで、それが出来ると思ったんだ」
「……。本当に、そんなことが出来ると思ったの?」
「そうだよ。あの時僕は15で、君は13になったばかりだった。アデルが……。ずっと、泣いたり怒ったり、そんな君を、見ているのも辛かった」
ノアが館を出て行った日、私の全ての希望が、望みが、奇跡が、可能性が、失われたのだと知った。
ノアがいなければ、私はここにいられない。
また自分は何かを間違えてしまったのだと、そう思った。
「決して、君が嫌いになったとか、嫌になったわけじゃないんだ。ただ、君を取り巻く環境から、ありとあらゆるものから、君を守りたかった。今もまだ……、それが出来ているとは、言えないけど」
自然と涙が流れ落ちる。
もうとっくの昔に心の奥底にしまい込んで、なかったことにしていた感情だ。
私はノアに、手を離して欲しくなかったんだ。
いなくなってほしくなかった。
今になって、ようやくその本当の気持ちが、何だったのか分かる。
私がすがらなければならないと信じたものは、ただそれだけの感情じゃない。
家族にも捨てられたんじゃない。
ノアにだって……。
「寂しかった。私は、置いていかれたのかと思った。ノアはもう、私のことなんて、何とも思ってないんだって思った」
「それは違う!」
ノアは勢いよく、上体を起こした。
「約束通り、今日だって助けに来た。アデル。僕はいつだって、君の側にいる。居たいと思ってる。ずっとそれが言いたかったんだ。アデルがどうして、急に聞き分けのいい子になったのかが分からなかった。それまであんなに、あの小さな緑の館の、何もかもが気に入らなかったのに」
ノアは再び、ドサリと私の隣で仰向けに寝転がる。
彼の白く透き通った肌が、窓から照らす月明かりに透けている。
「僕は、僕がいなくなって、君たちがようやく落ち着いたことに驚いた。アデルはすっかり、僕の知っているアデルではなくなってしまった。あの場所で僕の存在が、どれほど君たちにとって負担だったのかと思うと、今も申し訳ないと思う」
冷たいシーツの上に、また涙が流れ落ちる。
見られたくないのに、彼はちゃんとそれを指で拭う。
「だけど、にこやかに笑うその目の奥に、何も映ってないことくらい、気づいてたよ。アデル」
彼の指先が頬に触れ、唇が近づいてくる。
ぐちゃぐちゃになっている自分を見られたくなくて、私はマットレスに顔を埋めた。
「……。アデル、もう少し、もう少しだから。待ってて。僕は必ず、君をちゃんと迎えに行く」
大きくマットレスが揺れて、ノアはまたごろりと横になった。
「ね、今夜はここで眠っていい? 館の馬小屋の、あの晩みたいにさ」
そう言って、もう一度私の手を握りしめる。
「いいよ。だけどもう、私を置いて行かないで。一人にしないで……」
「もちろんだよ。約束する」
私はその手を、そっと握り返した。
ノアもそれに応えるように、もう一度握りしめる。
本当はずっとこうして見つめ合っていたいのに、やがてまぶたは重みを増してくる。
今日一日の疲れと緊張で、もう話してなんていられない。
ノアの指先は、ずっと私の指を優しく撫で続けている。
「ねぇ、ぜったい……よ。やくそ……く、して。わたし……を、ひとり……に……、しな……い……で……」
「うん。お休みアデル」
深い眠りに落ちようとする額に、ノアの唇がそっと触れた。
「そうなの?」
「そうだよ」
「なんで?」
「なんでって……。僕の、お嫁さんになる人だからさ」
「それって、単純すぎない?」
「悪かったね!」
そう言ってノアは、私の手を握り直した。
私は怖かった。
知らない場所、知らない国、知らない人たち。
自分の生まれたお城では、いつも大人たちが言い争っていた。
やがて父は不在がちとなり、母は毎日のように隠れて泣いていた。
自分がイイ子でいれば、全てがよくなると思っていたのに……。
「ノアが助けに来てくれて、うれしかった」
「ね、それはいつの話し? 今日のこと? それとも、昔の話し?」
「……。どっちもよ」
そう言うと、彼は満足そうにうなずいた。
真っ白なシーツの上に、繋がる指先と視線が重なる。
「あの時約束したよね。僕はどんなことがあっても、アデルを守るって。それも覚えてる?」
「覚えてる」
何が原因だとか、何がきっかけだったかなんて、もう覚えていない。
私はセリーヌと激しい言い争いをして、意味もなく彼女の全てに反抗し、暴れ、泣いて、結果馬小屋に閉じ込められた。
何もかもが憎らしかった。
「驚いたんだ。セリーヌがあんなことをするなんて。酷い嵐の夜で、僕は自分の部屋をこっそり抜け出して、君に会いに行った」
私は怖くて寒くて、怒りに我を忘れ、正気を失いかけていて、叩きつける雨と鳴り止まぬ風に、扉が開いた時には、ようやく悪魔が迎えに来てくれたのかと思った。
ノアはずぶ濡れで、髪からも滴をたらしていたのに、繋いだ手はとても温かかった。
私はその時、こんなにも温かい手なら、ずっと握っていられるかもしれないと思ったのに……。
「僕は、その時誓ったんだ。あの小さな緑の館を出ようって」
「どうして?」
あれからずっと離されていた手が、もう一度私を強く握りしめる。
「単純に、セリーヌに勝とうと思ったんだ。セリーヌにアデルが叱られないようにするためには、セリーヌに命令出来るようにならなくちゃいけないんだってね。僕は館を出て、城の人間になることで、それが出来ると思ったんだ」
「……。本当に、そんなことが出来ると思ったの?」
「そうだよ。あの時僕は15で、君は13になったばかりだった。アデルが……。ずっと、泣いたり怒ったり、そんな君を、見ているのも辛かった」
ノアが館を出て行った日、私の全ての希望が、望みが、奇跡が、可能性が、失われたのだと知った。
ノアがいなければ、私はここにいられない。
また自分は何かを間違えてしまったのだと、そう思った。
「決して、君が嫌いになったとか、嫌になったわけじゃないんだ。ただ、君を取り巻く環境から、ありとあらゆるものから、君を守りたかった。今もまだ……、それが出来ているとは、言えないけど」
自然と涙が流れ落ちる。
もうとっくの昔に心の奥底にしまい込んで、なかったことにしていた感情だ。
私はノアに、手を離して欲しくなかったんだ。
いなくなってほしくなかった。
今になって、ようやくその本当の気持ちが、何だったのか分かる。
私がすがらなければならないと信じたものは、ただそれだけの感情じゃない。
家族にも捨てられたんじゃない。
ノアにだって……。
「寂しかった。私は、置いていかれたのかと思った。ノアはもう、私のことなんて、何とも思ってないんだって思った」
「それは違う!」
ノアは勢いよく、上体を起こした。
「約束通り、今日だって助けに来た。アデル。僕はいつだって、君の側にいる。居たいと思ってる。ずっとそれが言いたかったんだ。アデルがどうして、急に聞き分けのいい子になったのかが分からなかった。それまであんなに、あの小さな緑の館の、何もかもが気に入らなかったのに」
ノアは再び、ドサリと私の隣で仰向けに寝転がる。
彼の白く透き通った肌が、窓から照らす月明かりに透けている。
「僕は、僕がいなくなって、君たちがようやく落ち着いたことに驚いた。アデルはすっかり、僕の知っているアデルではなくなってしまった。あの場所で僕の存在が、どれほど君たちにとって負担だったのかと思うと、今も申し訳ないと思う」
冷たいシーツの上に、また涙が流れ落ちる。
見られたくないのに、彼はちゃんとそれを指で拭う。
「だけど、にこやかに笑うその目の奥に、何も映ってないことくらい、気づいてたよ。アデル」
彼の指先が頬に触れ、唇が近づいてくる。
ぐちゃぐちゃになっている自分を見られたくなくて、私はマットレスに顔を埋めた。
「……。アデル、もう少し、もう少しだから。待ってて。僕は必ず、君をちゃんと迎えに行く」
大きくマットレスが揺れて、ノアはまたごろりと横になった。
「ね、今夜はここで眠っていい? 館の馬小屋の、あの晩みたいにさ」
そう言って、もう一度私の手を握りしめる。
「いいよ。だけどもう、私を置いて行かないで。一人にしないで……」
「もちろんだよ。約束する」
私はその手を、そっと握り返した。
ノアもそれに応えるように、もう一度握りしめる。
本当はずっとこうして見つめ合っていたいのに、やがてまぶたは重みを増してくる。
今日一日の疲れと緊張で、もう話してなんていられない。
ノアの指先は、ずっと私の指を優しく撫で続けている。
「ねぇ、ぜったい……よ。やくそ……く、して。わたし……を、ひとり……に……、しな……い……で……」
「うん。お休みアデル」
深い眠りに落ちようとする額に、ノアの唇がそっと触れた。