第三王子の婚約者~内戦状態の母国から生き延びるため隣国へ送られた王女はそこで出会った王子と恋をする~
第11章
第1話
秋も深まり、吹く風はすっかり冷たくなった。
ノアが王宮を出てから、間もなく3週間が経とうとしている。
手紙は3日とおかずに届けられ、時には町で見かけたとかいう髪飾りや置物なども添えられていた。
『あと10日ほどで帰れるかと思ったけど、もう少し上流の方も見ておいた方がいいってことになったんだ。追加でさらに3日は帰りが遅れるかも。明日には天候を見て、険しい山を登るので、5日は手紙は出せない。戻ったらまた手紙を書くから。心配しないで』
『無事に帰ってくることを、楽しみに待っています』
そんな返事を書き記し、封をする。
ペンを片付けると、私は書斎を出た。
「セリーヌ。この手紙をノアさまに……」
「アデルさま!」
その階段を駆け上がってきたのは、セリーヌだった。
「ついに、ついにお迎えがまいりましたよ!」
「お迎え? ノアの?」
「違いますよ、何をおっしゃっているのですか。あぁ、どれだけこの日を待ちわびたことでしょう!」
そう言って、彼女は涙ぐむ。
「なに? どうしたの? ちゃんと話してくれないと分からないわ」
「シェル王国からの使節団が、こちらに向かっているそうです!」
急遽王宮へ呼び出された私は、第一王子であるステファーヌさまの前に進み出る。
その隣には、第二王子のフィルマンさまも控えていた。
「おめでとう、アデル。国からの連絡が来た」
ステファーヌさまはそう言うと、足を組みほおづえをついた。
「使節団の出発に先立ち、その数日前に先発隊が国境を渡ったそうだ。早ければ今日か明日にでも、正式なシェル新国王の伝言を持った使者がやって来る」
「そ、それじゃあ……」
「君は、シェル王国に帰るんだ」
か、帰ると言われても、もう私の居場所は、ここにしかないのに……。
ステファーヌさまの前で、動揺を見せるわけにはいかない。
強ばらせた顔を横に向ける。
「俺は覚えてるよ。君がここへ預けられた時のこと」
フィルマンさま、フゥーっと長い息を吐いた。
「君のお父さんと陛下は親交が深かったからね。内乱を起こすと相談を受けた時、真っ先に一人娘の君の心配をしてたんだ。預かると言い出したのは、うちの父の方なんだよ。我が家には娘がいないしね」
私の家族との思い出なんて、厳しかった父と、それを見ているだけだった母の姿しかない。
屋敷にはひっきりなしに父の客人が訪れ、いつもヒソヒソと密談を交わしていた。
「それでも、幼い娘だけを先に逃がして、身の保身は図ったのかという批判をかわすために、歳の一番近かったノアと婚約することを提案したんだ」
「君がこの国で幸せに暮らしているという対外アピールは、十分父王の援護射撃になったはずだよ。お父上の背後には、マルゴー王家がついてるってね」
その客人たちは誰もが、私を見て落胆し悲観にくれた。
私が女の子だから、男の子じゃないから。
一人娘ではなく一人息子であれば、父とその周辺の態度はもっと違ったのかもしれない。
私は生まれた時から、ずっとそう感じていた。
だからマルゴー王国へ送られるのは、必要な子として生まれて来れなかった報いなのだと。
だからせめて、それくらいの役は果たせと、そう言われたのだと思った。
「わ、私は、忘れられていたのかと……」
「それに関しては、申し訳なく思っている」
ステファーヌさまは言った。
「内戦状態だったからね。言い換えれば、反逆、造反、謀反。反旗を翻して戦うんだ。国内の情報統制が厳しくて、私たちも独自に情報を集めることは控えていた」
「それがようやく、君を迎えに来られるほど、落ち着いたみたいだな。無事に帰せるのなら、これほど嬉しいことはないよ」
私は、手にした扇を握りしめる。
いらない子なら、そのまま捨てておけばいいのに。
私がどれだけ尽くしても、見向きもしなかったくせに……。
必要とされなかった子が、ようやく務めを果たし終えたと判断したから、帰って来いというのだろうか。
それともまた、別の使い道を考えた?
「アデル? 大丈夫かい?」
「は、はい……」
ステファーヌさまの言葉に、つい扇を開き顔を隠す。
フィルマンさまのため息が聞こえた。
「それが困ったことに、ノアがすっかり君を気に入ってしまってね」
そう言って、ケラケラと笑い出す。
ステファーヌさまも指で額を押さえた。
「本当に。預かった大切な娘さんを傷物にして返すわけにはいかないだろう。アイツには本当に、いつもハラハラさせられる」
「政略結婚した相手になぁ! あぁいうのを、バカって言うんだぜ」
「フィルマン。ノアのことは、かわいいと言いなさい」
「あはは」
ステファーヌさまは、コホンと咳払いをする。
「そういうわけで、とにかく君は、一度は祖国に帰らなくてはいけない」
じっと見つめられるその視線に、動けなくなる。
私はいま自分が、何を求められているのか、その答えを知っている。
知っているのに、どうしてもそれが言葉になって出てこない。
「ま。俺と交換条件にしてもいいけどな?」
「フィルマンがアデルの代わりに? お前がシェル王国へ行くのか?」
「そう」
「そ、それは……。大変ありがたいお申し出ですけれども……」
フィルマンさまを見上げる。
彼はニッと微笑んだ。
だけど、そんなことが許されるわけもない。
彼はこの国の第二王子だ。
唯一この場を穏便に済ませる方法を、私は知っている。
ただ笑って、「はい。帰ります」と答えればいいだけ……。
二人を見上げた。
彼らはじっと、私の次の言葉を待っている。
「アデル。正直に言ってごらん」
「どうする?」
「わ、私は……」
ノックが聞こえ、バタンと扉が開いた。
真っ黒なマントを翻し、肩までの黒髪をサラリとハーフアップに流した男性が現れる。
一見軍服に見える黒い皮の鎧を身に纏い、背は高く体格もよいその人は、ステファーヌさまの前にひざまずく。
「シェル王国より参りました。オランドと申します。この度の謁見、お許しいただき大変恐縮にございます」
そう言うと、懐から書簡を取りだす。
そこに父の紋章で封がされていることを、私は自分の目ではっきりと確認した。
迎えが来ているというのは、本当なんだ。
ステファーヌさまは、すぐにそれに目を通す。
オランドは私を振り返った。
「アデルさま」
彼は私の前に膝をつくと、手を取りそれを痛いほど握りしめる。
「随分ご立派になられて……。お久しぶりです。父王にあなたの迎えを命じられ、いてもたってもいられず、こうして馳せ参じました」
心なしか、声が涙ぐんでいるような気がする。
触れられた手が、痛くて仕方がない。
「あ、あの……。私は……」
「あなたのご両親、新国王夫妻はご無事です。いつもアデルさまの身を案じておりました」
そこにキスをし、立ち上がった彼の鎧の胸元には、確かに我がフローディ家の紋章がある。
「おとう……、さまの?」
見上げる私の肩を、オランドは引き寄せる。
固い鎧で覆われた腕に、しっかりと抱きしめられた。
「あなたには大変なご苦労をおかけしました。もう何も心配はいりません。私がついております。共に家へ帰りましょう」
彼は指先で私の髪をすくいとると、そこへキスをする。
「あの……。父と母は、無事なのですか?」
「もちろんです。無事、大義を成されました」
体が震えているのは、今にも泣き出してしまいそうだから。
どんなに遠く離れても、思い出はくすんでいようとも、父と母に愛された記憶は残っている。
私の頬を、涙が流れ落ちた。
そんな私に、彼は大きく息を飲み、思いを吐き出す。
ノアが王宮を出てから、間もなく3週間が経とうとしている。
手紙は3日とおかずに届けられ、時には町で見かけたとかいう髪飾りや置物なども添えられていた。
『あと10日ほどで帰れるかと思ったけど、もう少し上流の方も見ておいた方がいいってことになったんだ。追加でさらに3日は帰りが遅れるかも。明日には天候を見て、険しい山を登るので、5日は手紙は出せない。戻ったらまた手紙を書くから。心配しないで』
『無事に帰ってくることを、楽しみに待っています』
そんな返事を書き記し、封をする。
ペンを片付けると、私は書斎を出た。
「セリーヌ。この手紙をノアさまに……」
「アデルさま!」
その階段を駆け上がってきたのは、セリーヌだった。
「ついに、ついにお迎えがまいりましたよ!」
「お迎え? ノアの?」
「違いますよ、何をおっしゃっているのですか。あぁ、どれだけこの日を待ちわびたことでしょう!」
そう言って、彼女は涙ぐむ。
「なに? どうしたの? ちゃんと話してくれないと分からないわ」
「シェル王国からの使節団が、こちらに向かっているそうです!」
急遽王宮へ呼び出された私は、第一王子であるステファーヌさまの前に進み出る。
その隣には、第二王子のフィルマンさまも控えていた。
「おめでとう、アデル。国からの連絡が来た」
ステファーヌさまはそう言うと、足を組みほおづえをついた。
「使節団の出発に先立ち、その数日前に先発隊が国境を渡ったそうだ。早ければ今日か明日にでも、正式なシェル新国王の伝言を持った使者がやって来る」
「そ、それじゃあ……」
「君は、シェル王国に帰るんだ」
か、帰ると言われても、もう私の居場所は、ここにしかないのに……。
ステファーヌさまの前で、動揺を見せるわけにはいかない。
強ばらせた顔を横に向ける。
「俺は覚えてるよ。君がここへ預けられた時のこと」
フィルマンさま、フゥーっと長い息を吐いた。
「君のお父さんと陛下は親交が深かったからね。内乱を起こすと相談を受けた時、真っ先に一人娘の君の心配をしてたんだ。預かると言い出したのは、うちの父の方なんだよ。我が家には娘がいないしね」
私の家族との思い出なんて、厳しかった父と、それを見ているだけだった母の姿しかない。
屋敷にはひっきりなしに父の客人が訪れ、いつもヒソヒソと密談を交わしていた。
「それでも、幼い娘だけを先に逃がして、身の保身は図ったのかという批判をかわすために、歳の一番近かったノアと婚約することを提案したんだ」
「君がこの国で幸せに暮らしているという対外アピールは、十分父王の援護射撃になったはずだよ。お父上の背後には、マルゴー王家がついてるってね」
その客人たちは誰もが、私を見て落胆し悲観にくれた。
私が女の子だから、男の子じゃないから。
一人娘ではなく一人息子であれば、父とその周辺の態度はもっと違ったのかもしれない。
私は生まれた時から、ずっとそう感じていた。
だからマルゴー王国へ送られるのは、必要な子として生まれて来れなかった報いなのだと。
だからせめて、それくらいの役は果たせと、そう言われたのだと思った。
「わ、私は、忘れられていたのかと……」
「それに関しては、申し訳なく思っている」
ステファーヌさまは言った。
「内戦状態だったからね。言い換えれば、反逆、造反、謀反。反旗を翻して戦うんだ。国内の情報統制が厳しくて、私たちも独自に情報を集めることは控えていた」
「それがようやく、君を迎えに来られるほど、落ち着いたみたいだな。無事に帰せるのなら、これほど嬉しいことはないよ」
私は、手にした扇を握りしめる。
いらない子なら、そのまま捨てておけばいいのに。
私がどれだけ尽くしても、見向きもしなかったくせに……。
必要とされなかった子が、ようやく務めを果たし終えたと判断したから、帰って来いというのだろうか。
それともまた、別の使い道を考えた?
「アデル? 大丈夫かい?」
「は、はい……」
ステファーヌさまの言葉に、つい扇を開き顔を隠す。
フィルマンさまのため息が聞こえた。
「それが困ったことに、ノアがすっかり君を気に入ってしまってね」
そう言って、ケラケラと笑い出す。
ステファーヌさまも指で額を押さえた。
「本当に。預かった大切な娘さんを傷物にして返すわけにはいかないだろう。アイツには本当に、いつもハラハラさせられる」
「政略結婚した相手になぁ! あぁいうのを、バカって言うんだぜ」
「フィルマン。ノアのことは、かわいいと言いなさい」
「あはは」
ステファーヌさまは、コホンと咳払いをする。
「そういうわけで、とにかく君は、一度は祖国に帰らなくてはいけない」
じっと見つめられるその視線に、動けなくなる。
私はいま自分が、何を求められているのか、その答えを知っている。
知っているのに、どうしてもそれが言葉になって出てこない。
「ま。俺と交換条件にしてもいいけどな?」
「フィルマンがアデルの代わりに? お前がシェル王国へ行くのか?」
「そう」
「そ、それは……。大変ありがたいお申し出ですけれども……」
フィルマンさまを見上げる。
彼はニッと微笑んだ。
だけど、そんなことが許されるわけもない。
彼はこの国の第二王子だ。
唯一この場を穏便に済ませる方法を、私は知っている。
ただ笑って、「はい。帰ります」と答えればいいだけ……。
二人を見上げた。
彼らはじっと、私の次の言葉を待っている。
「アデル。正直に言ってごらん」
「どうする?」
「わ、私は……」
ノックが聞こえ、バタンと扉が開いた。
真っ黒なマントを翻し、肩までの黒髪をサラリとハーフアップに流した男性が現れる。
一見軍服に見える黒い皮の鎧を身に纏い、背は高く体格もよいその人は、ステファーヌさまの前にひざまずく。
「シェル王国より参りました。オランドと申します。この度の謁見、お許しいただき大変恐縮にございます」
そう言うと、懐から書簡を取りだす。
そこに父の紋章で封がされていることを、私は自分の目ではっきりと確認した。
迎えが来ているというのは、本当なんだ。
ステファーヌさまは、すぐにそれに目を通す。
オランドは私を振り返った。
「アデルさま」
彼は私の前に膝をつくと、手を取りそれを痛いほど握りしめる。
「随分ご立派になられて……。お久しぶりです。父王にあなたの迎えを命じられ、いてもたってもいられず、こうして馳せ参じました」
心なしか、声が涙ぐんでいるような気がする。
触れられた手が、痛くて仕方がない。
「あ、あの……。私は……」
「あなたのご両親、新国王夫妻はご無事です。いつもアデルさまの身を案じておりました」
そこにキスをし、立ち上がった彼の鎧の胸元には、確かに我がフローディ家の紋章がある。
「おとう……、さまの?」
見上げる私の肩を、オランドは引き寄せる。
固い鎧で覆われた腕に、しっかりと抱きしめられた。
「あなたには大変なご苦労をおかけしました。もう何も心配はいりません。私がついております。共に家へ帰りましょう」
彼は指先で私の髪をすくいとると、そこへキスをする。
「あの……。父と母は、無事なのですか?」
「もちろんです。無事、大義を成されました」
体が震えているのは、今にも泣き出してしまいそうだから。
どんなに遠く離れても、思い出はくすんでいようとも、父と母に愛された記憶は残っている。
私の頬を、涙が流れ落ちた。
そんな私に、彼は大きく息を飲み、思いを吐き出す。